五百二十二、共産党と旧社会党の復活大作戦
平成25年
十二月二十八日(土)「日本における社会主義への道・平成版」
三年前に「日本における社会主義への道・平成版」を書いたことがある。あれはかつて日本社会党といふ政党があり「日本における社会主義への道」といふ公式文書があつたことをもう一度確認し、しかし作成時と平成年間では世の中が変つたのでそこを補正しようと考へた。
その後、三年間を経過し社会主義を自然経済と言ひ換へたので見直す必要があると思ひ「日本における社会主義への道・平成版」を読み返してみた。しかし今と違ひはなかつた。
十二月二十九日(日)「旧社会党特集」
ここで今までの旧社会党に関係する特集をまとめてみた。
117.動的社会科学のすすめ
139.日本における社会主義への道・平成版
148.米帝国主義は人類と全生物の敵である
153.日本における協同主義への道
166.失業は資本主義の欠陥
189.江田三郎、五月親子批判(社会党左派はなぜ国民の人気を集めたか)
240.資本主義と社会主義は死んだ(今後はハイブリッド経済を目指すべきだ)
256.社会主義者は社会主義を目指してはいけない
296.自由経済を守る爲に資本主義に反對しよう(社会主義者は社会主義を目指してはいけない、その二)
319.社会主義は自由経済を目指せ(資本主義はどこが間違つてゐるか)
以上を読み返して社会主義を協同主義、自由経済、自然経済と言ひ換へてゐるがすべて実態は同じである。社会のことに責任を持つのが本当の社会主義である。
十二月二十九日(日)その二「共産党と旧社会党が目指してはいけないもの」
共産党と旧社会党が目指してはいけないものはリベラルである。リベラルの行き着く先が新自由主義であり社会崩壊である。ところがシロアリ民主党は党内に拝米新自由主義と左翼崩れが共存するものだからリベラルと怪しげな言葉をさかんに使ふ。
共産党と旧社会党は絶対にこんな言葉を使つてはいけない。使ふべきは社会主義であり、今では印象が悪いといふなら社会重視派、協同主義、自然経済を用いるべきだ。ここでリベラルを批判した特集をまとめてみた。
61.史上最悪の誤訳(自由という訳語は国を亡ぼす)
136.元「自民、社会、民社の三党」対「悪魔の思想リベラル」
164.菅直人とリベラル勢力が国を滅ぼす
198.新自由主義はどこが有害か
222-3.民主党新自由主義派の本質は左翼崩れだ
236(丙)自民党は党内の拝米新自由主義派を分離すべきだ
422.拝米新自由主義者どもがつひに馬脚を現はした
十二月三十日(月)「マルクスは100%信じてはいけないが100%否定してもいけない」
マルクスを100%信じてはいけないが100%否定してもいけない。おそらく80%くらいは正しい。20%が欠ける理由は今と当時では世の中が違ふ。二番目にマルクスの時代は人類は永遠に進歩すると信じた。実際は地球温暖化で不可能である。三番目に文化の重要性に気が付かなかつた。これは世の中が大きく変動したのだから仕方が無い。
以下にマルクス関係の特集をまとめてみた。
110.アジアではなぜ社会民社主義は共産主義に劣るのか
140.石原莞爾(その六)マルクスと僧X
205.マルクスを現代に生かすには(その一、不破哲三氏「マルクス未来社会論」)
291.トロツキー
346.日本共産党中央委員会発行「文化評論」誌七十年七月号
367.幸徳秋水
409(その二).ベトナム共産党に代はり帝国主義を批判
458.レーニンの「唯物論と経験批判論」は極めて有害である
486.アジアから構造主義の復活を(その一、マルクスとの関係)
一月五日(日)「アジアで共産主義が受け入れられる要因」
アジアでは西洋文明は自分たちの生活を破壊するといふ意識がある。だからベトナム戦争ではフランス、そしてその次はアメリカに勝利した。後に東欧の共産主義国家が崩壊してもアジアでは崩壊しなかつた。中国も同じで蒋介石といふイギリスやアメリカの支援を受けた政権より中国独自政権の毛沢東のほうが人気があつた。
日本でも社会党や共産党は都市部では強かつた。日本の場合は農地解放が既に行はれた。農地解放といふのは社会主義である。しかし社会党や共産党が実施した訳ではないから農村は自民党支持だつた。つまり昭和四十年代は日本の大半が社会主義支持だつた。
カンボジアがその典型だが戦争の人的貢献は王党派が一番多かつた。それなのにポルポトが政権を握ると王党派はおろか共産主義者まで次々に処刑した。あれでアジアでは共産主義は信用されなくなつた。
共産主義は新しい時代を作るのではなく今の時代は生活を破壊するものだから親や祖父母や更にその前の時代に戻すといふ意識でなくてはいけない。だいたい新しい時代を作るなんてことはできない。九分九厘失敗する。(完)
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(國の獨立と社會主義と民主主義、その九十六)
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