三百十九、社会主義は自由経済を目指せ(資本主義はどこが間違つてゐるか)

平成24年
十一月十七日(土)「資本主義の欠点」
社会主義は統制経済を目指してはいけない。自由経済を目指すべきだ。自由経済に賛成しながら資本主義に反対することは矛盾しない。
資本主義の最大の欠点は利益を目的として雇用を目的としない。だから失業者が増大する。つまり社会を破壊し自由経済を破壊する。

十一月十八日(日)「日本の大手企業は既に社会主義化されてゐる」
産業革命とともに個人ではやつて行けない規模の産業も現れた。日本では戦前の財閥となつて現れたが、戦後は株式が分散した。つまり社会主義化である。しかし日本の社会主義化は国内全体ではなく企業毎だつた。それが政治問題とならなかつたのは人手不足で低い失業率だつたためである。つまり企業毎の社会主義が国内全体に波及してゐたのだつた。

十一月十九日(火)「原水禁の原発反対集会にて」
原水禁には、我々の組合が所属する中小ネツトも加盟してゐる。だから10月13日の10.13さようなら原発集会に私も参加した。最初は参加するかどうか迷つた。呼びかけ人に落合恵子、大江建三郎の名があり偽善の臭ひがするからだ。しかし鎌田慧氏と城南信金理事長吉原毅氏が登壇するので参加することにした。この感覚は多くの国民も同じであらう。
鎌田氏のように真面目に社会問題を提起する姿勢には多くの国民は共感を持つ。城南信金理事長吉原毅氏のように中小企業の経営者の立場にも多くの国民が共感する。この国民の感覚こそ大切である。

十一月二十三日(金)「総評と社会党を解体させた人達との違ひ」
社会主義が自由経済を目指すとなると、総評と社会党を解体させた人達との違ひは何だらうか。総評と社会党を解体させた人達は資本主義に気に入られることでいい思ひをしてきた。社会主義者は自由経済が人類の長い歴史でのあるべき姿だから、資本主義のせいでゆがんだ経済を立て直し自由経済を目指すといふ能動姿勢が必要である。
統制経済と自由経済はデジタル志向で二分できるものではない。非常時には統制経済が強くなるし、成長が必要なときは自由経済になる。偏りの補正や不正の廃絶のときも統制が掛かる。

総評と社会党を解体させた人達を弁護すれば、社会党が政権を取れないため欧州の社会民主主義を真似したと考へることができる。事実、連合を基盤とした連合の会といふ政党が一時あり、土井ブームで大勝した社会党とともに消費税廃止法案を参議院で可決させた(衆議院は廃案)。しかしあれから二十年、連合と民主党に行つた連中は腐つてしまつた。

十二月一日(土)「非資本主義での健全な経済」
旧財閥系で戦後は株が分散した大企業は黒字下にあつては社会主義が達成されてゐる。だから国内の雇用者10人以上のすべての企業をこれと同じ形態にして、しかも失業者がゐるときは各企業に人数を割り当てれば、国内の社会主義は達成できる。ここまでは簡単である。しかし黒字下といふ部分が難題である。
だから個人商店で経営できるものはすべて個人商店で行ふようにして、しかも個人商店を容易に開業できる環境にすることも社会主義である。個人商店とは個人事業のことだが、ソフトウエア業界では個人事業主といふのは極めて悪い意味を持つ。だから商店以外のすべての業種について私は個人商店と呼んでゐる。戦後の農地改革は農業を個人商店にはしたが容易に開業できないから、社会主義ではない。
マルクスの当時の社会の分析は見事である。また労働価値説も自然資源を消費させないといふ条件が抜けてゐる部分を除いて見事である。しかし社会の未来像を描いた部分は筆がすべつたとしか言ひようがない。同じように現在でも、社会主義は共同組合にすべきだとか国有化すべきだと言ふべきではない。
中国の経済については社会主義の堕落したものであつて、決してここで述べた社会主義ではない。しかし我々はそれを笑ふことはできない。中国がさうなつたのは資本主義国が地球滅亡に向かひ贅沢な生活を送るためである。我々の資本主義だつて資本主義の堕落したものだし、民主主義だつて民主主義の堕落したものだし、自由主義だつて自由主義の堕落したものである。これらの行き着く先が新自由主義と地球滅亡である。(完)


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