四百八十六、アジアから構造主義の復活を(その一、マルクスとの関係)


平成25年
十月七日(月)「クロード・レヴィ=ストロース」
クロード・レヴィ=ストロースは社会人類学者で、世界各地の西洋が未開と呼ぶ人たちを研究した。そして西洋文明だけが正しい訳ではないことを発表した。当時フランス随一の哲学者でマルクス主義者だつたサルトルと論争になりサルトルは反論できなかつた。当時のフランスはマルクス全盛の時代だからストロースの思想は構造主義と呼ばれ流行した。しかし今では構造主義は方法論だといふ主張が有力になつてしまつた。あるいはストロースの主張とは正反対なのにポスト構造主義を名乗る奇妙な主張まで現れた。
ストロースの功績は西洋文明の相対化である。ところが二流三流西洋人たちは西洋絶対を捨てられない。そして奇妙な主張に至つた。今回の特集は小野功生氏と大城信哉氏の「ポスト構造主義」があまりにひどいため、その口直しの意味もある。

十月十三日(日)「アルチュセール」
構造主義の後継者の一人と言はれるアルチュセールはマルクス・レーニン主義者である。だから旧ソ連でスターリン批判の起きる前までは、フランスでソ連擁護の論陣を張つたし、スターリン批判の後はソ連はプロレタリア独裁が終了して次の段階に至り、その他の共産主義国はプロレタリア独裁だといつた。つまり典型的なマルクス・レーニン主義者である。
重用なことはマルクスの著作の中で正しいと思はれることを採ることだ。これはマルクスを学者として扱ふ。例へばニュートンの主張のうち今でも正しい学説は採用するが、今では間違ひと断定されるものは採らない。それと同じである。しかしアルチュセールはマルクスを教祖として扱つてゐる。特にマルクスを年代別に分類するところに現れてゐる。
アルチュセールの主張で今でも有益なものは「資本論を読む」の中の次の文章である。まづあらゆる生産様式は諸要素の結合であると述べた後で
それは、実際、生産の(したがって社会の)歴史にかんするマルクス主義理論のラディカルな反進化論的性格をあらわしている。(以下略)
したがってそこには、諸形態の前進的な差異的運動もなければ、それについての論理が一つの運命に結びつく進歩線もない。(中略)「ある規定は--とすでに引用した『経済学批判序説』でマルクスは書いている--もっとも新しい時代ともっとも古い時代とに共通する」(たとえば、協業とか経営・簿記の諸形態は、「アジア的」生産様式、資本主義的生産様式それにすべての生産様式に共通している)。こうして、年代記と、諸形態の内面的発展法則との同一性--これはあらゆる「超克」の歴史主義と同様に、進化論の根底にある--が切断される。(以下略)
しかしながら、構造主義という科学性のきわめて稀薄な現行のイデオロギーとの混同を生む危険をおかしてまで、伝統的に進化論や歴史主義へと屈折する読み方を訂正するために、人びとがそう示唆したい気持ちになったように、一つの「構造主義」が問題なのだろうか?たしかにマルクスが分析した「結合」は、変異を通して得られる「共時的」所関係の体系である。しかしこの諸結合の科学は結合体ではない。


十月十四日(月)「不確定な唯物論」
アルチュセールは晩年に殺人事件を起こし心神喪失として起訴猶予になり精神病院に入院した。社会的には人生を終了したが、メキシコ人の学者がアルチュセールと対談し「不確定な唯物論のために」といふ書物になつた。そこでは次のように語る。
スターリン主義のいっさいの悲劇は、部分的には、「弁証法的唯物論」に基礎を置いていた、と。(中略)マルクスがけっして「弁証法的唯物論」という用語を用いなかったことを指摘することが大切です。(中略)マルクス主義唯物論を弁証法的唯物論と命名したのは、一定の状況においてのことでしたが、エンゲルスでした。


もしエンゲルスではなくマルクスが言つたとしても、弁証法的唯物論は間違つてゐると指摘しなくてはいけない。アルチュセールはやはりマルクスを教祖として扱つてゐる。 一方でマルクスとは別のことも言つてゐる。不確定な唯物論である。
思うに、「真の」唯物論--マルクス主義にもっとも適した唯物論--とは、エピクロスやデモクリトスの路線に銘記されているような、不確定な唯物論です。もっと正確にいいましょう。この唯物論は、哲学という名にふさわしくなるために体系へと加工されざるをえないような、ひとつの哲学などではありません。


私は哲学とは無神論の前提で作られた無益な理論といふ概念を持つて来た。哲学より伝統文化を優先する立場である。しかし哲学を優先させる方法もある。観念論と唯物論の対立である。
後者の場合、観念論と唯物論はどちらも正しい。まづ思考は脳で行はれ脳は物質である。一方でまつたく同じ脳を複製できたとして同じ判断ができるか。今度の日曜は雨だが外出すべきか。一つの脳は外出すべきと考へ、もう一つは家にゐるべきだと考へる。そこに物質以外の何かがある。つまり観念論であり、これは哲学より伝統文化を優先させる立場と変らない。このような唯物論がアルチュセールのいふ不確定の唯物論なのではないだらうか。

唯物論と観念論の対立は今では無意味だが、冷戦時代は違つた。70年代に日本共産党の「月刊学習」誌に掲載された萩原千也氏の「弁証法的唯物論・史的唯物論講座」に次のように書かれてゐる。
  主として知的労働に携わっていた支配階級に属する人々は、自分たち自身が肉体労働を卑しいものと考えたばかりでなく、被支配階級に属する人々にも、知的労働の方が肉体労働よりも尊いものであり、従ってまた、知的労働に携わっている人々は主として肉体労働に携わっている自分たちよりも「偉い」人達だ、と思い込ませるように仕向けました。(中略)こうして彼らは知的労働の対象である観念が、肉体労働の対象である物質よりも優れたものだと自分で考えたばかりでなく、被支配階級にもそういう考えを押しつけようとしました。観念が全てを支配していると考え、又その考えを押し付けようとしたので、物を生産するには労働対象や労働手段があらかじめ存在していなければならないと言う、あの決まり切ったことを忘れてしまったか、または知っていてもことさらに誤魔化そうとしたのです。


なるほどこれなら納得できる。日本ではプラザ合意の後に肉体労働が激減した。その前にも機械化で力仕事は少なくなつてはゐたが、肉体労働の立場から見れば確かに唯物論と観念論の対立は存在する。

十月十四日(月)その二「オクタビオ・パス著『クロード・レヴィ=ストロース』」
話をアルチュセールの一つ前のストロースに戻すと、メキシコの詩人・言論人のオクタビオ・パスが『クロード・レヴィ=ストロース』といふ本を著した。
レヴィ=ストロースはこれまで、自分はマルクスの弟子(弟子であって、模倣するだけの人間ではない)である、と言い続けてきた。唯物論者であり決定論者でもある彼は、ある社会の制度やその社会が自分自身について作り上げた観念は無意識的な下部構造から生まれたものであると考えている。彼はまたマルクスの言う歴史のプログラムにも敏感に反応し、わたしの思い違いでなければ、社会主義は西欧、そして恐らくは全世界の歴史の来るべき次の段階である(あるいは、ありえた?)と信じている*。


最後の文には*印が付けられ、欄外に「彼の最近の著作から判断して、こうした希望は完全に失われてしまったように思われる(一九八三)」と特記されてゐる。
これは同感である。一九七五年あたりまでは社会主義は世界中で人気のある思想であつた。しかし中国の文化大革命の失敗と、カンボジアのポルポトで一気に人気を失つた。
ふとわたしは(中略)レヴィ=ストロースをマルクス主義者と呼べないのではないか、と考えた。たとえば、文化とは物質的諸関係の単なる反映でしかないと考える理論を、彼が信じているかどうかは疑わしい。確かに彼は、経済構造が他の構造より優先することを素直に認める、と述べている。『野生の思考』のなかでは、経済構造以外のものは上部構造でしかない、と断定し、自分の研究は「上部構造の一般理論」と呼び得るものであると付け加えている。にもかかわらず、経済的決定論の有効性の範囲を歴史的社会だけに限定している。


これもストロースに賛成である。上部構造と下部構造はどちらが重要といふものではない。勿論衣食住がなければ生きてゆけないから下部構造がより大切である。しかし人間はいつも衣食住が足りない状態にはない。それは西洋人が未開と呼んだ人たちにも当てはまる。


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