百三十九、日本における社会主義への道・平成版(その一)正当な国民感情の発露

平成二十二年
十月九日(日)「連合脱退」
私の所属する労組が今年七月に分裂した。本来は分裂後も連合系単産に所属しているはずだが、仲裁すべき単産の会長が向こう側の臨時大会でだけ挨拶したため、我々は連合を自然脱退の形になった。その後全労協系の組合と交流が深まっている。全労協は総評の後継団体といってもよい。組織上は多くの単産が連合に行ったが思想は全労協が引き継いでいる。厳密に言えば社会主義を諦めたあとの総評を引き継いでいる。
ということで、総評社会党ブロックの理論支柱であった「日本における社会主義への道」を現代に復活させようと思う。名付けて「日本における社会主義への道・平成版」である。

十月十一日(月)「正当な国民感情の発露」
一番目に安保反対闘争を考えよう。この運動は米ソ対立に巻き込まれはしたが、本来は正当な国民感情の発露である。国内に占領軍が居座る。これを国民が不快に感じるのは当然である。

二番目に資本主義は明治以降に日本に導入された。この歴史の浅い制度に反対するのは、これも国民感情として正当である。

つまり社会党や共産党は革新ではなく、本来は国民感情に基づいた政党を自覚すべきだった。

十月十四日(木)「半社会主義」
日本の大手企業のほとんどは、戦後に財閥が解体されて作られた。既に社会主義化されていた。資本主義か社会主義かというデジタル選択ではなく、中間が必要である。中間を考えなかったために、社会主義という未知の体制より現状のほうがいい、と多くの国民が考えるようになった。

十月十九日(火)「失業保険と生活保護の廃止を」
資本主義の欠点は失業にある。資本主義以前は個人商売だから失業者にも参入の機会はあった。日本は戦後の長い間、人手不足だった。だから社会主義の必要はなかった。
年越し派遣村騒動に見られるように今や失業者があふれている。卒業したが就職先がなくフリーターになった、会社が倒産したが再就職先がない、子育てが一段落したので仕事を探しているが派遣かパートしかない。こういった話をよく聞く。今こそ社会主義だ。まず失業者には役所が職を与える。今の失業保険は何もしない人に保険金を払うが、それより役所が仕事を与えれば全員に無期限に支給しても給付額は今より多くなる。失業者も公務員も役所に雇用されていることに変わりはないから、同じ扱いにする。これで公務員改革もできる。
社会主義とは社会全体を共有化することではない。資本主義と共存し、給料の高いほうがいい人は企業へ、安くていい人は公務員に。そういう流れにすべきだ。というか日本は昭和六十年あたりまではそういう構造だった。

失業保険だけではない。生活保護もいらない。カネの代わりに仕事を与えるべきだ。心身の不具合で働けない人は健常者が働いたのに準じた扱いとする。親子そろって障害者で子供が仕事を探しているのに親が働かなくてもカネがもらえる、と就職させない例もある。

十月二十一日(木)「自然を守る」
昭和四十年あたりまでは、古い自転車をクズ屋に引き取ってもらうとお金をもらえた。今はお金を払わないと古い自転車は引き取ってもらえない。クズ屋というのは鉄くずや紙を回収する立派な職業だが、クズが人間を修飾していると勘違いしたのか、今は差別用語になっている。昔は八百屋の袋は古新聞を貼って作られていたし納豆は藁に入っていた。今はビニールと発泡スチロールでどちらも石油から作られる。

資本主義だから生活が楽なのではない。自然資源を浪費するから生活が楽なのである。自然資源の消費を停止すれば社会主義のほうが生活は楽になる。

十月二十四日(日)「目的と手段」
化石燃料の使用停止は、社会主義を目指すためではない。地球が滅びることを防ぐためである。少なくとも昭和四〇年あたりまでに生まれた人は資源を大切にすることを本能として知っていた。社会主義を支持する人が多かったのも、資本主義は地球を滅ぼすことを感じていたからであった。
今こそ化石燃料の使用停止を決意する時である。それにより社会主義となるのか改良資本主義となるのか昔のように個人商店となるのかは次世代以降に決めればよい。まずは化石燃料の停止が必要である。

十月三十日(土)「森戸稲村論争」
昭和二四年の総選挙で、日本社会党は議席を一四三から四八に激減させた。それは昭電疑惑事件にで芦田内閣が崩壊し、副総理として入閣していた書記長の西尾が連座したためであった。直後の第四回大会で森戸稲村論争が起きた。二年前は清水慎三氏の著書を引用したが、今回は一九七三年に労働大学が発行した「日本社会党」を引用し、それは下欄のようになる。
紫色が賛成の意見である。

森  戸稲  村
資本主義社会から社会主義社会への転換を内容とする社会革命は長期にわたり、かつ国民生活の各域におよぶ建設的な過程を必要とする政治的権力が一つの階級から他の階級に移動することであり、われわれは、こうした政治的権力の掌握によってのみ社会主義革命を遂行し、(中略)民主的・平和的に前進できる
民主革命の時代とよばれる現在においても、すでに社会革命は発足し、その準備態勢と端緒は実現されている議会で多数をとってわが党の内閣を作るだけでは充分でない。
労働者階級は国民中の少数であるから(中略)社会革命の動機は単純に労働者の階級利益と、階級意識のみではありえない(中略)とりわけ敗戦日本にあっては、祖国の独立と再建をねがう熱烈な民族意識と愛国心とが、さらにヒューマニズムにたつ人格の尊厳と基本的人権の理念が浸透して、社会革命の動機は経済的なものにたいして道義的なものをくわえようとしている現実の政治的権力は、それ以上に広範な範囲にわたり、(中略)こうしたものを国会に絶対多数をもって政府を中心として充分に掌握し、選挙ごとにしばしば動揺するようなことのない確固とした政府を樹立することによって、(中略)社会主義革命を遂行することができる。


まず一だが、これは森戸案に賛成である。社会革命は一歩ずつ進めなくてはならないし、革命が達成されたから終わりということはない。終わりがあると考えると旧ソ連のように官僚主義で言論の自由のない体制となってしまう。
次に二は稲村案に賛成である。これはアメリカによって与えられた、或いは戦前に欧米の猿真似をして作られた国会を民主主義として評価するかどうかである。国民感情として欧米の民主主義は日本に馴染まない。だから欧米の民主主義を絶賛する森戸案には反対である。
最後に三は森戸案に賛成である。経済のみを目的としてはいけない。それでは唯物論である。社会革命には
(一)民族意識と愛国心
(二)人格の尊厳
(三)経済的なものにたいして道義的なものをくわえる

の三つが必要である。

十月三十一日(日)一「社会党分裂」
講和、安保両条約を巡って日本社会党は昭和二六年左右に分裂した。まず外交委員会十名のうち右派四名が両条約賛成、左派四名は両条約反対、浅沼稲次郎ら二名は講和条約賛成安保条約反対であった。中央執行委員会では右派が浅沼案に乗り左派1名も賛成、委員長鈴木茂三郎が棄権して浅沼案が可決された。しかし後日行われた党大会は混乱し議長は閉会を宣言。右社と左社に分裂した。
右社の声明「(前略)社会党は大胆に独立の機会をつかみ、祖国再建に直進すべく、さきに中央委員会で、講和条約賛成、安保条約反対の方針を決定(以下略)。しかるに鈴木委員長以下左派執行委員は、みずからすすんでその責をとろうとせず、(中略)しかも一部容共分子の計画的策謀と外部勢力との煽動によって、大会会場を支配し、(中略)ここにおいてわれわれは、彼ら一部全体主義者と決別し(中略)、断固党を統一せんことを期する。」

左社の声明「(前略)ゆうゆう過半数をこえる多数の代議員をもってここに臨時大会を継続し(中略)わが党のあらたなる発足の日たらしめんとするものである。
全国労働者、農民、インテリゲンチャ、一般市民諸君!わが党は、直面する日本民族の重大危機に当って、苦悩し搾取されている全勤労大衆とともに(中略)断固として闘いすすまんことをここに宣言す」


右社が最初に主張した安保条約賛成は絶対に容認できない。国内に外国軍が居座るということに国民のほとんどは反対であろう。一方で左社は声明がおそまつである。インテリゲンチャというロシア語まで入っている。左右の対立は、米ソのどちらと組むかという国際対立が持ち込まれたものであった。
これは資本主義政党も同じである。だから自由党と国民民主党(この当時は国民協同党と合併してこう名乗っていた)が安保条約に賛成したのもまさに米ソの対立により米国側に付いたということであった。

十月三十一日(日)二「左社綱領論争」
社会党分裂の後に、左社では綱領委員会が原案を作った。その際に総評出身中執の清水慎三委員が異なる意見を持っていた。しかし原案とどこが違うか明瞭ではなかったため、清水私案を提出してもらった。これにより左社綱領論争が起きた。

「委員会案」わが国は高度に資本主義の発達した国であり、金融独占資本の支配する国である。しかし、日本の資本家階級はアメリカの世界政策と完全にむすびつき、(中略)従属国としている。したがって日本の労働者階級は社会主義革命という本来の歴史的使命のほかに民族独立の回復と平和の維持という、解決をせまる重大な任務のまえにたたされている。(中略)労働者階級の民族解放のたたかいは、同時にアメリカとむすぶ独占資本の支配にたいするたたかいを意味する。われわれが民族解放を達成しえたときは、同時にわれわれが社会主義革命を達成しうるときである。
「清水私案」敗戦以来、祖国日本は一貫してアメリカの権力支配のもとにある。アメリカの対日支配の方法は占領以来ひきつづいて間接統治方式である。(中略)社会主義の実現を目的とするわが党の第一の任務は、まず民族の完全独立をたたかいとることでなければならない。(中略)われわれの樹立すべき政治権力は労働者・農民・中小企業主・インテリ層などの諸階層からなる国民的基礎に立ち、好意的資本家をもくわえた民族政権となるべきである。

どちらも日本を従属国と規定し民族独立を果たさなくてはならないと主張する。違いは前者が独立と独占資本との闘いの両方を進めるとしたのに対し、後者は独立をまず果たすとしている。どちらにせよ昭和四〇年あたり以降の社会党とは大違いである。今は独立を主張する人は少なくなってしまった。マッカーサーの洗脳政策が効いてきたのである。


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