百五十三、日本における協同主義への道

平成二十三年
一月九日(日)「日本社会党が解党に向つた分水嶺」
この章は「日本における社会主義への道、第三部」と名付けるつもりだつた。かつては社会党、公明党、共産党、民社党が社会主義を主張し、自民党も実質は社会主義だつた。しかし昭和五十年代以降社会主義といふ言葉に国民はよい印象を持たなくなつた。だからこの章では協同主義と称する。

野党第一党の日本社会党はなぜ解党したのだろうか。五一年間の歴史を振り返ると、佐々木更三が委員長を辞任した昭和四一年を境に社会党は転落を始めた。
このときまでは政権獲得の可能性があつた。だから佐々木更三は次のように演説した。「社会党が政権を獲得する時期は、私の委員長の間ではないが、そう遠くはない。」
事実、参議院選挙の得票率で与野党の逆転が起きた。地方区で自民が44.2%。社会、民社、共産の合計は45.8%。都議会議員選挙でも社会党は史上はじめて第一党になつた。

一月十五日(土)「社会党を活性した委員長」
歴代委員長のなかで社会党を活性化したのは浅沼稲次郎と佐々木更三である。浅沼は社会党の中間派で佐々木は左派でどちらも日本独立派である。そして元気である。元気だから独立派になれる。元気の足りない人はうじうじとアメリカと官僚とマスコミと財界のご機嫌を取るしかないためだ。

東京都知事の石原慎太郎氏は自民系に分類されるが都民の人気は高い。決して弱者いじめはせず、銀行の外形標準課税を導入した。アメリカから超ナショナリズムと批判されたが意に介さないところも偉い。駄目な政治家は途端にアメリカのご機嫌を取ろうとするからだ。管直人がよい例だ。管直人は消費税増税といふ弱者いじめもたくらんでゐる。

一月十六日(日)「社会党を駄目にした二人」
歴代委員長(代理)のなかで社会党を駄目にしたのは江田三郎と石橋政嗣である。江田三郎は左派なのに突然アメリカの平均した生活水準の高さ、ソ連の徹底した生活保障、イギリスの議会制民主主義、日本国憲法の平和主義と言ひ出した。
アメリカの生活水準が高いのは先住民と野生生物から大陸を強奪したからだ。イギリスは世界を植民地にした。そして戦後もパレスチナ問題、インドとパキスタンの分裂、スリランカの残留タミル人などの問題が解決されてゐない。シンガポールの独立もマレーシアが穏便に済ませたからよかつたが、一歩誤れば大変なことになつた。そもそもアメリカはイギリスがアメリカ大陸に作つた植民地が癌細胞化したものである。しかもイギリスはアヘンを中国で売つて貿易の帳尻を合わせるといふことまでやつた。アメリカとイギリスを美点として挙げたとたん社会党は偽善政党と国民から見做された。

もう一人の石橋政嗣は中間派だが非武装中立といふ絶対に不可能なことを主張した。独立中立と言へばよかつた。左派は、党が安保体制の延長を認めたような印象を与えると批判した。これが正論である。安保条約があるから非武装中立といふ偽善が言へる。非武装中立は日本永久属領論でもあつた。

一月十八日(火)「CIAの工作」
せつかく佐々木委員長のもとで社会党は躍進を始めたのに、国会内の与野党合意を党内の反対で破棄するいふ些細な理由で佐々木は退任することになつた。このときにアメリカCIAの工作があつたのではないだろうか。

反佐々木の先鋒は江田三郎である。CIAの工作が直接あつたかどうかは不明だが、間接にはあつたと言へる。江田は「われわれはマスコミを正面から敵にまわす必要はないのであつてマスコミは一方で多数の読者によつて支へられてゐることにも配慮すべきである。」と述べた。マスコミにはアメリカ大使館員といふ肩書きのCIA工作がある。そのマスコミに配慮することは間接的に工作を受けたに等しい。だいたい多数の読者は中身を吟味して読売、朝日、毎日を購読するわけではない。拝米の読売、新自由主義の朝日、小型朝日の毎日しかないからである。

一月二十一日(金)「江田三郎の不思議な動き」
党が停滞や衰退したときは新しい動きが必要である。ところが江田三郎は逆をやつた。浅沼稲次郎が演説中に殺害され臨時大会で委員長代行となつた。このときは国民の同情票が集まり拡大のチャンスだつた。ところが江田三郎は構造改革を提案した。怒りと悲しみと混乱のなかで提案されたため誰も注目しなかつた。しかしすぐに党内対立となつた。
佐々木委員長のときは党が躍進してゐるのに辞任させた。これ以降社会党は駄目になつた。

社会党が減衰したもう一つの理由は学生運動に世代間継承しなかつたことだ。そしてこれは社会党に限らず日本全体に言へる。

一月二十二日(土)「学生運動と社会党」
学生が安保条約に反対するために立ち上がつた。これは日本史に残る快挙である。学生は安保条約に反対しても何の利益もない。昭和四五年あたりまでは世の中のために運動をしようといふ気風が国民にあつた。三里塚闘争も立派である。空港に反対しても学生は何の利益もない。それなのに農民と共に闘つた。

しかし組織と人間は堕落する。学生運動も学内自治会の主導権争ひで堕落していつた。そして学生運動への国民の反感が社会党に向けられた。社会党の落ち度は学生に世代間継承をしなかつたことだ。安保闘争は一歩間違えると米ソ対立に巻き込まれる。学生運動も一歩間違えると文化破壊になる。

一月三十日(日)「新自由主義」
新自由主義が悪いことは誰でも知つてゐる。しかし新自由主義は突然現れたものではない。資本主義そのものである。
各国はそれぞれの国情に合わせた資本主義を形成してきた。だから日本の大企業は従業員の協同組合ともいふべき経営を行い成功してきた。それを本来の資本主義しようといふのが新自由主義である。そして新自由主義になつてしまつたものを元に戻そうといふのが、協同主義である。
新自由主義の前といつても重大な欠点がある。それは国内全部が協同主義ではなかつたから失業者が放置される。また技術革新の目的は省力化にある。そして社会制度は企業の利益を目的に改変される。
だから失業者が現れ、技能職が没落し、派遣や非正規雇用といふ悪質な制度が出てきた。派遣や非正規雇用のどこが悪質化といふと、雇用を労働から身分に変質させるからである。

二月五日(土)「社会主義こそ労使協調」
社会主義を協同主義と呼んでゐるが、今日だけは社会主義と戻すことにする。「協同主義こそ労使協調」と言つても当り前の間の抜けた文章になるからだ。
資本主義の労使協調はあり得ない。経済成長下にあつては他国や自然資源の犠牲の上での協調だし、成長期以外にあつては下請けや非正規雇用といふ労々対決の上での協調だからだ。
工場封鎖全員解雇闘争に勝利し新たに職場を作ることが過去にはよくあつた。例へば東芝アンペツクス闘争である。工場で自主生産を行ひソフトウエア業にも進出して受託開発を行つてゐた。開発言語はCOBOLで普通の技術だがリアルタイムの割り込みが入ると別ルーチンに行くところが目新しかつた。
受注が多く、私にも契約社員で来ないかと声が掛かつた。しかし丁寧に辞退した。なぜ正社員ではなく契約社員かといふと労働債務を会社が払つたときに私が加はると組合員一人当たりの配分が減るのではないかと心配する組合員がでるためである。私が辞退したのはまつたく別の理由だつたが、まず労働側が経営になる難しさがある。
争議に勝利し新たに職場を作つても経営がうまく行かないことが多い。これが二番目の問題である。経営がうまく行つても経営権を巡つて分裂することがある。これが三番目の問題である。
東芝アンペツクス争議は勝利し経営もうまく行つた。それなのに三番目の問題でその後分裂を繰り返した。
労働側が経営になつてはならず、そのときは新たな経営者を連れてくるべきだ、と昔の全国一般の幹部が言つたそうだ。これは今でも正しい。経営にはその才能が必要である。待遇は労働よりよくてよい。労使が役割を分担することこそ真の社会主義である。

二月七日(月)「唯物論に反対しよう」
一昨日連合赤軍大量リンチ事件で死刑判決を受けた永田洋子が病死した。あの事件以降共産主義は日本では信用されなくなつた。いくら連合赤軍と我々は違ふといつても世間は信用しなくなつた。すべては唯物論に原因がある。マルクスの時代の欧州では唯物論を自称したほうが有利だつたかも知れない。しかし唯物論が正しいのなら衣食住さへあれば人類は同じ言語を話し同じ生活をすればよいことになる。民族解放闘争は既に唯物論を超えてゐた。
船橋洋一の英語公用語に見られるように新自由主義こそ唯物論である。そして地球を滅ぼそうとしてゐる。今こそ人類は唯物論に反対すべきである。そうしないと地球は滅びる。

二月十九日(土)「徒党を組まなくて済む社会を」
徒党はよくない。かつては権力者のごり押しに対抗するため百姓一揆などやむを得ず徒党を組むこともあつた。しかし今は民主主義の名で徒党といふごり押しが横行してゐる。私は少数派に属することが好きである。これは平衡を重視した為だが、大手労働組合は必ず徒党に堕落する。
しかし今の日本では労組のない職場は退職勧奨や嫌がらせが続出してゐる。だから労働組合は必要である。
労働組合の要らない世の中を作る。これが協同主義の目的である。だから中小企業と零細企業の経営者はまつたく心配はいらない。退職勧奨や嫌がらせ退職は許されなくなるが労働の移動は容易になるから倒産の危険は激減する。
このような世の中の本地は非資本主義であり、協同主義であり、西洋のいふところの社会主義である。(完)


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