二百九十六、自由経済を守る爲に資本主義に反對しよう(社会主義者は社会主義を目指してはいけない、その二)

平成二十四年
七月三十一日(火)「自由経済」
自由経済は大昔から続く制度である。社会主義はそれを統制経済にしようとするから混乱する。しかし本当は資本主義こそ自由経済を破壊する。そればかりではない。文化を破壊し、人間関係を破壊し、地球まで破壊する。資本主義は早く変へなくてはいけない。
日本は明治維新以降資本主義だと思はれてゐるが、戦前は地主と財閥、戦後は企業内合議主義てあつた。まれに資本主義を振りかざして株の買占めもあつたが横井英樹のように世間の批判を浴びだ。横井秀樹のやり方が本当の資本主義であり、中曽根以降の日本はそれを目指して現在の醜い姿となつた。それを更に醜くしようとするのが今回の民主党新自由主義派である。

八月四日(土)「資本主義の出現」
生産力の発達とともに封建主義は崩壊し資本家が現れた。それまでの生産方式と文化が崩壊し世の中は混乱した。労働者と農民の生活は悲惨を極めた。そして(1)現状がいいといふ考へと、(2)更に進めて社会主義にしようとする考へと、(3)封建時代に戻さうとする考へが現れた。
このうち(1)は既得権勢力だから論外である。(3)の封建時代に戻さうといふ考へは、封建時代が本来在るべき世の中の堕落したものと考へ、堕落前の世の中にしようとするのならば評価することができる。町内会のような組織だつた国家が大きくなるにつれて堕落し封建主義になつたので、町内会のような組織に戻さうといふ考へである。これは権力としての国家が死滅して行くと考へたのと同じであり、つまり(2)と(3)は矛盾せず既得権派の(1)に対抗することができる。

八月二十七日(月)「資本主義以前の経済安定の方法」
資本主義以前で経済を均衡させる方法は、商店の主人や職人の親方の良心に期待することだつた。主人や親方に良心がなければ番頭、手代、丁稚や職人にやる気がでない。非常時の手段として徳政令や一揆があるが、あくまで非常時である。
資本主義には良心がない。とにかくカネもうけである。かつての米ソ対立で資本主義は仮面をかぶつてゐた。ソ連と東欧が崩壊し資本主義は馬脚を現わし始めた。新自由主義は資本主義の特殊形態ではない。資本主義とはさういふ制度なのだ。我々は資本主義と自由経済を区別し、自由経済に戻るべきだ。

九月二十七日(木)「マルクスが現代に当てはまらない部分」
マルクスが生産力の増大に合はせて社会が変はると考へたのは正しい。しかし社会が弁証法で進歩すると考へたのは間違つてゐる。世の中は変化が平衡しない間にその差分から利益を得ようとする不逞の輩が現れるからそれへの対策が必要である。マルクスの時代だとそれは社会主義であつた。差分を利用した不当利益への補正と考へれば、世の中が進歩するときも進歩しないときも当てはまる。
マルクスの理論は世の中が進歩するように見へるときだけに当てはまる。だからと言つてマルクスの時代の産業革命は著しかつた。マルクスを批判すべきではない。

九月三十日(日)「マルクスを現代に生かす」
昭和二十年から三十年代にかけて、日本の本当の独立が自由党、民主党、社会党、共産党から言はれた。社会党左派、共産党の場合は米ソ対立に巻き込まれ民族解放戦線や民族資本で理論付けされたが、正しくは国民意識の発露といふべきものだつた。
だから日米安保条約反対に向つたのだが、日米安保反対闘争は米ソ対立そのものである。日本の不幸はこのときに始まつた。そして本当の不幸は米ソ冷戦が終つてからだ。それまで米国はソ連と対抗するために、日本にいい顔をしてきた。米ソ冷戦が終れば自国の利益を優先する。日本に内政干渉を繰り返し、そしてその究極が今回の野田の大嘘ペテン師シロアリ事件である。

かつて社会党、共産党を支持した人達は拝米になりやすい。新しいことは正しいと信じるからだ。そして米国こそ進歩の最先端に見へる。しかし進歩は平衡までの間、変位を生じ、そこから不当利益を奪取するシロアリが出る。その対策が必要だが進歩主義者はそのことが判らない。マルクスの理論は変位からの不当利益への対策だと気が付けば、進歩主義者は国民の側に戻ることができる。

十月四日(木)「個人商店で出来ることは個人商店で」
戦前までは個人事業が普通だつた。戦後の企業化も昭和64年あたりまでは人手不足の世の中だつたから、問題にならなかつた。個人事業が中心の社会こそ社会のあるべき姿だ。しかし個人事業といふ言葉は悪徳企業が雇用を個人事業に偽装させるのに使ふからここでは使はない。代はりに個人商店と称する。
資本主義最大の欠点は失業である。それを防ぐため個人商店で出来ることは個人商店ですべきだ。その際に個人商店が雇用者より不利にならないようにする必要がある。また個人商店が雇用する際は、使用者側労働側の双方が不利にならないように労働組合による労働者供給事業で行ふべきだ。

十月十四日(日)「資本主義の欠陥」
資本主義の欠陥は、目的が利益であり雇用ではないことだ。そのため労働者の使い捨てが絶へないが、更に重大なことは失業者が増大することだ。失業者を無くし労働者の使い捨てもなくせば、その状態が社会主義だし、社会主義といふ言葉に語弊があれば社会全体を考へた政治である。(完)


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