二百五十六、社会主義者は社会主義を目指してはいけない
平成二十四年
四月十一日(水)「なぜ資本主義は豊かなのか」
今は社会主義の人気がない。それは資本主義が豊かだからだ。しかし豊かなのは自然資源を消費するからである。自然資源を消費せず循環社会に戻れば、資本主義は豊かではなくなる。
だから社会主義者は社会主義を目指してはいけない。自然資源の消費を停止させるべきだ。しかもそれは社会主義を目指すためではない。人類と全生物が滅亡しないためだ。そしてその後に資本主義がよいのか、社会主義がよいのか、それとも第三の方法があるのか、そのときの世代に委ねればよい。
四月十二日(木)「もはや左右が存在しない理由」
資本主義が最初に出現したときは、個人経営や一族経営を克服する斬新な制度だつたに相違ない。しかしすぐに労働者農民の待遇は封建時代より悪くなつた。しかも帝国主義といふ悪魔が現れた。その悪魔の叫んだ「ネバー、ネバー、ネバー、ネバー、ギブアツプ」を真似する野田には驚くが、資本主義の堕落は重大である。地球を滅亡させようとしてゐる。
だとすればすべての人々は堕落した資本主義に反対することができる。既得権守旧者だけが死守する。「ネバネバ」男は既得権守旧者の一人であらう。
四月十三日(金)「社会主義者を辞めてはいけない」
社会主義を目指さなくても社会主義者を辞めてはいけない。一つには左翼崩れは拝米新自由主義に陥る。二つには他との協調である。マルクスは「全プロレタリアートの共通の、国籍に左右されない利益を強調し、おしつらぬく」と書いた。当時は帝国主義の時代だつたから国籍に左右されない利益を強調することは画期的だつた。現在の日本は円高で企業別組合だから、他の労働者の犠牲の上に自分たちだけいい思ひをしようといふ連中が多い。それを克服するためには他との協調、すなわち社会主義者を続けなくてはいけない。
社会主義者が古ければ社会派でもよい。これなら既得権守旧者以外はすべて社会派になれる。
四月十四日(土)「現代の二段階革命論」
マルクスの時代は、まづ封建主義が倒れ次に資本主義を倒すといふものだつた。今は、まづ化石燃料の使用を停止し、その後のことはそのときの世代に任せるべきだ。私は、労働者の仕事が大変になるから自然に社会主義に行くと思ふ。或いは別の方法があるかも知れない。いづれにせよ既得権者を生じさせないようにすることが肝心である。
ここで社会主義になつたら社会全体が貧乏になると心配する人もゐよう。しかし今でもほとんどの大企業は社会主義が達成されてゐる。それを中小企業と失業者にまで広げるだけだ。中小企業は株を公開してもよいし、個人経営を続けたい企業は労働者の権利を守る制度にする。つまり現在の資本主義を僅かに改良するだけで達成できる。
四月十五日(日)「マルクスの二段階革命論」
マルクスの二段階革命論は、当時のヨーロツパの状況を後追いしたに過ぎない。それなのに世界中に当てはめようとするから、無用な混乱を招いた。地球の現状は温暖化で滅亡寸前である。だからまづ化石燃料の使用を停止し、さうすれば肉体労働が復活するから労働者の負担を軽減するため社会主義を想定する。昨日の二段階革命論も地球の現状を後追いしたに過ぎない。
マルクスの時代は封建主義が崩壊し資本主義となり、労働者と農民の生活が破壊された。社会主義を目指すほかに封建主義に戻す方法もあつたがそれは用ゐなかつた。その理由はこの時代にはまだ封建主義が残つてゐたためだが、マルクスの見たものは封建主義の堕落したものだつた。
現在の日本に封建主義は存在しない。だからマルクスの時代と違ひ、冷静に堕落する前と後の封建主義を観察できるはずだ。鎌倉時代を例に取れば、平家を倒した武士たちを守護や地頭に任命したのは戦闘参加への報酬の意味もあるし残存する敵への備へでもあつた。しかし戦闘の報酬は子孫に相続すべきではないし治安がよくなれば守護や地頭は不要になる。ここに封建主義の堕落を見ることができる。
封建主義と堕落した封建主義を区別する理由は、文化継承にある。昔のすべてが悪いと考へるところにマルクスの説に従つた国々の不安定の理由がある。経済の既得権は認めず、文化は継承する。その点でマルクスの二段階革命論は現在には合はなくなつた。
左翼崩れの民主党新自由主義者はそこが判らないから、文化破壊だけを進める。(完)
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