百四十、石原莞爾(その六)マルクスと日蓮

十一月二十六日(金)「マルクス」
敗戦後に石原は次のように述べている。
・(如何にしてマルクス宗を救済するか)マルクス主義は「科学面」と「宗教面」とを含んでゐる。
マルクスは真理に忠実な科学者であつたが、同時に非常に熱血漢であり人道主義者であつた。(中略)その生涯はきはめて道徳的であつた。
・徳田君や志賀君を吉田君よりはるかに尊敬する。吉田君は単に因縁で国体を尊敬するのでイデオロギー的ではない。
・レーニンは豪傑だ。マルクスの奥さんエトマイヤーは貴族で年上で、実家からついてきた女中は死ぬまでマルクスの家にとどまっていた。この三人の墓が一緒にある。
こういう人に絶対に悪党はない。われわれはごまかされても恥ではないが、ごまかしたら恥だ。
・予言というものは、五年や十年のちがいは何ということもありませんが、百年と狂えばこれはもう予言とはいえない。

石原は宗教と科学の違いについて予言の有無を挙げている。そしてマルクスは予言が外れたという。実は日蓮も三回の布教の好機を逃して昭和四五年に予言が外れることになる。それは石原の死後であり、石原の知る由もなかった。石原の死が好機を逃したとも言える。

十一月二十七日(土)「日蓮の布教」
「日蓮教入門」という小書籍は、当時既に癌の末期状態だった石原が監修し、精華会という国柱会の青年部が分裂状態の国柱会から独立して石原が指導的立場にあった団体が発行したものである。だから石原の直筆ではないが石原の思想そのものと考えてよい。ここには日蓮の布教について次のように述べている。
・日蓮聖人入滅後の六百数十年を大観すると、発展時代、衰退時代及び現代につづく本門戒壇完成時代の三期にわけられる。
・第一期発展時代は聖人入滅直後より二百五十年位までである。(中略)京都には二十一本山(中略)、京都における他宗派の寺院はわずか一二に過ぎず(以下略)
この時代に聖人門下は数派にわかれ、各教義上の解釈を異にする点もあったが、ひとしく国立本門戒壇建立を目ざして(以下略)
・この大勢ががらりとくづれて、急転直下第二期たる衰微時代の三百数十年に入った契機は聖滅二百五十五年の天文法難である。(以下略)
・こののち、間もなく、本門本尊を安置するお寺が本門戒壇であるとか、本門題目を唱える場所、本門本尊のましますところが本門戒壇であるとかいう説が出はじめ、国立戒壇建立の信仰は極く一部の門流を除いては、ほとんど影を没してしまつた。

・(徳川時代に)日蓮教徒はみずから妥協して国家諫暁を中止し、天台教学中心の観念的な教義研究、個人的利益の追求に自らの特色を失うに至つた。
・昭和九年、仏教界聯合して仏誕二千五百年を祝賀しようとしたことから、(中略)五五百歳二重の信仰を生み、(中略)問題を提供したのはわが精華会である(以下略)。

田中智学の明治政府に合った布教は多くの著名者の賛同を得た。しかし敗戦を機に合わなくなった。ここに石原莞爾が戦後向けの布教を開始したが、石原は間もなく亡くなり、二回目の日蓮布教も失敗に終った。

十一月二十九日(月)「三回目の失敗」
三回目の布教は創価学会が始めた。国内全体を布教する勢いだったが昭和四五年に失敗した。一般には国立戒壇の放棄と言われているが、国立戒壇でも民衆立の戒壇でも国民のほとんどが信徒となれば違いはない。国立でも他宗派の信仰の自由は保障し、戒壇分の税金は還付すれば民衆立と変はらない。
創価学会が布教に失敗した原因は意識の欧米化である。社会党も同じだが昭和四〇年代始めまでは民族独立という意気込みがあった。しかしこのあたりからマッカーサーの作った体制に留まるようになった。きっとアメリカCIAの工作が社会党や創価学会にもあったのだろう。
今から数ヶ月前にもアメリカ大使館が小沢氏を呼んでワイン試飲を行った。小沢氏は参加はしたがアメリカには洗脳されなかった。しかし多くの人はこれで篭絡してしまう。工作は間接でも行われた。マスコミや大学や官僚に行い、それが国民を誘導した。

創価学会が方針を変えたきっかけは言論出版問題である。国内全体を布教する方針を放棄した。二代目会長の戸田城聖は「迫撃の手をゆるめるな」という遺言を残したが、このとき緩めてしまった。

十二月一日(水)「折伏大行進の停止」
創価学会は折伏大行進と称し会員数を急増させた。
昭和三十年に 三十万世帯
昭和三五年に百七四万世帯
昭和三七年に三一一万世帯
昭和三九年に五二五万世帯
昭和四一年に六一〇万世帯
昭和四三年に六八八万世帯
昭和四五年に七五五万世帯
この数は入会者の累計のみで退会者はほとんど減算されていない。それでも大変な人数である。ところが四五年一月二八日突然折伏を停止した。これで三回目の布教も失敗した。
日蓮の予言は三回外れた。だから石原の構想が崩壊したのは昭和四五年といってよい。仏の顔も三度までという諺もある。今後日蓮関係者は他宗派を攻撃すべきではない。仏教には上座部、大乗の各派があるが、それぞれの伝統を互いに尊重すべきだ。世界に目を向ければ仏教以外にも儒教、道教、ヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教など伝統宗教がある。
一方で今の世の中はキリスト教崩れのリベラルと称する思想が世界の文化破壊と地球破壊を行っている。
日蓮関係者は宗教界の一員であることを自覚しリベラル、特にニヒリズムと新自由主義に対して反撃をすべきである。

十二月三日(金)「宗教と唯物論の再定義」
石原は予言の有無で宗教かどうかを判定し、予言の正否で宗教の正否を判断した。しかし今は当時と比べて更に科学一辺倒となり、しかも欧米リベラルで世界を征服しようとする新手の帝国主義者が現れた。だから別の定義が必要となる。

(一)釈迦、孔子、キリスト、マホメット、マルクスやその後の宗祖や開祖も一割は間違ったことをいう。
(二)文化伝統の一部に宗教があり、世界各地の人民は文化伝統を守り後世に伝えるべきだ。

多くの人は宗教の下位に文化があると考える。しかし実際には文化の一部に宗教がある。唯物論とは文化を後世に伝えなくてもよいと考えることである。だから民族解放闘争を行った共産主義者は唯物論に堕してはいない。マルクスは当時の堕落し支配階級と結びついたキリスト教を批判しただけであった。
ここで人間、特に権力側の人間は堕落する。文化を守ることと守旧派や既得権派は区別しなくてはならない。

十二月四日(土)「万国の労働者の団結で戦争は防げるか」
石原は最終戦争を経て恒久平和をもたらそうとした。当時のアジアは中国とタイと日本以外は植民地だったから戦争以外に平和をもたらす方法はなかった。唯一あるとすれば「万国の労働者、団結せよ」という社会主義である。しかし労働者の団結は戦争を防げなかった。その訳は労働者は自分のために働いているのであり、世界平和のために働いているのではない。自分の生活が楽になると知れば他国を犠牲にする。そればかりか国内でも他を犠牲にする。派遣労働者や下請け労働者の犠牲の上に自分たちだけいい思いをする今の日本の大手労働組合も見よ。今でも事情は変わらない。
マルクスが戦争の原因となる国を将来はなくそうと考えたのは十分に理解できる。しかし自動車や鉄道や航空機や放送のなかった当時と今では事情が異なる。今は西洋文化による他地域侵略という新手の帝国主義が現れた。国を廃止するのではなくアジア、欧州、アフリカにそれぞれ地域連合を作り、そこで平和を求めるべきだ。日本ではアジア連合にアメリカやオーストラリアを入れようとする西洋帝国主義の手先がいるから国民は注意が肝要である。

十二月五日(日)「滅亡寸前の地球」
マルクスは今の世を帝国主義と呼び、日蓮は三災七難の末法と呼んだ。根底が同じである。だから石原が戦後に容共発言をしたのは当然である。戦後に社会党中間派となる浅沼稲治郎や社会党左派となる稲村隆一が東亜連盟に所属していたのも当然であった。
今の世は地球温暖化で滅亡寸前である。まさしく帝国主義の最終段階であり、末法の最終段階である。このことをすべての人類は自覚し速やかに対策を取るべきである。(完)


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