百六十六、失業は資本主義の欠陥


平成二十三年
四月二十三日(土)「資本主義の欠陥」
企業は雇用を目的に存在するのではない。利潤を目的にする。だから人手を次々と省いてきた。その結果、街には失業者が溢れる。私の所属する労組にも長期失業者が何人もいて皆が心配するがなかなか再就職先が決まらない。失業は本人が悪いのではない。資本主義の人災である。失業の無い社会を築くにはどうしたらよいかを考へよう。

四月二十六日(火)「三つの経済」
かつて米ソは地球の癌細胞だつた。二つの癌細胞のせいで世界の経済は資本主義と社会主義に分類された。しかしこれは間違いである。本当は普通経済、資本主義、社会主義の三つに分けるべきだつた。
普通経済は各国で長年続いた経済のことだ。長く続けば堕落する。しかし堕落前の経済こそその国の目指すべき姿ではないのか。

四月二十七日(水)「江戸時代の農業」
江戸時代には小作農は禁止された。しかし江戸時代の後期になると水呑と呼ばれる小作農が出現した。明治時代になると小作農が急増し戦後に再び禁止された。
永続できる社会形態はその国の目指すべき姿である。今の資本主義は永続できる姿ではない。

四月二十九日(水)「失業のない街」
東南アジアは屋台の街である。例へばタイのバンコクに行くと朝も昼も夜も食べ物の屋台が歩道をぎつしりと埋める。車道はトゥクトゥクと呼ばれる自動三輪のタクシーが多数走り回る。こういふ街は健全である。失業者がいない。

五月二日(月)「日本における資本主義の発生」
普通経済、資本主義、社会主義の三つをそれぞれ堕落前と堕落後の二つに分けることができる。
日本で最初に資本主義が導入されたときは堕落前の資本主義で、有害ではなかつたかも知れない。しかしすぐに有害となつた。戦後の資本主義も社会主義と対抗する必要上、人道主義の側面を見せた時期もあつた。しかしソ連が崩壊するや新自由主義とグローバリズムといふ堕落後の本性を現わした。

五月十日(火)「西洋の一部物真似が奴隷社会を作つた」
日本の経済が急成長した理由は奴隷社会だからである。失業したら就職先はほとんどない。あつても労働条件は悪くなる。「労働者には転職権があるはずだが日本にはない。雇用といふ人質を資本側に取られてゐる」。私はかつて労働組合の会合でそう主張したことがある。今の会社の労働条件が悪いからだろう。そう思ふ人もゐるだろうが私が主張したのは富士通労組の時代である。労働条件は悪くはなかつたが、転職権がなければ企業の業績に従ふしかない。つまり労働組合は業績向上のための社内機関に過ぎなくなる。

転職権がないから社内で出世しないと大変である。西洋の一部を真似するから役職が身分制度になつた。課長昇進が遅れたら大変だ、部長昇進が遅れたら大変だ、とばかり過労死と隣り合わせで走り続ける。カローシは国際用語になつた。だから日本経済は急成長した。

五月十九日(木)「昭和四十年頃の学習百科辞典」
今はインターネットの発達で百科辞典のある家は少なくなつた。我が家には私が小学生のときに使つた学習百科辞典がまだある。それを読むと、経営者は都合のよい労働者だけを優遇したり雇ふようになるから、それを防ぐために労働組合があると書いてあつた。いいことが書いてある。
昭和四十年のころはまだ社会がまともだつた。だからこのような記述ができた。この記述からすれば今の企業別労組は労働組合ではない。雇用を企業に任せてゐるためだ。 雇用を労組が勝ち取らないと失業者だらけの社会となる。それだけではない。我々も失業は絶対に避けなければならないから解雇は許さない。企業は拡大再生産を続けるしかなくなる。

五月二十一日(土)「街中の失業者に出会ふ」
先日ガードマンの服を来て道路工事の交通整理をしてゐる二人が仕事を終えて私の近くを通つた。二人の呼吸が合わないと片側交互通行はできないから仲がよくなつたのであろう。互いに身の上話を始めた。二人とも日東駒専クラスの経済学部と建築学部を卒業した四十代だつた。
なかなか仕事が見つからない、総務と経理の職業訓練を受けたが仕事がまつたくない、あとは介護に行くか、と話してゐた。

今の社会の問題点が多々含まれてゐる。まず工事現場の交通整理と言へば立派な職業だ。炎天下にずつと立つから大変である。それなのに失業中だといふ。正規雇用と非正規雇用の格差を無くすことは日本社会の急務である。

五月二十二日(日)「熟練職」
交通整理は熟練工ではないから給料が安い。そういふ意見もあろう。しかし今の日本に熟練の職種がどれだけあるか。熟練職ではなく正社員としての身分である。
だから倒産や人員整理で正社員としての身分が失われたら大変である。もしそうなつたときのストレスはもともと人員流動が激しい欧米の比ではない。欧米の都合のよいところだけ真似するから日本は不安定な社会となつた。

五月二十四日(火)「或る女子技術者の退職」
私が人事採用を担当したのは四年前に半年間だが、このとき国立大卒が二名入社した。うち一名は福島大の女子で風力発電を専攻してゐた。風力発電の就職先がなければ修士に進もうかと考へてゐると言つてゐた。
私が勤務する会社はこの当時風力発電のベンチヤー企業と提携し営業を担当した。だから営業担当者にも会はせた。そして入社したが翌年風力発電はそのベンチヤー企業に委譲し営業担当者も転籍した。
女子社員は入社後ソフトウエアの仕事をしてゐたが先日退職した。
中小企業は本当に退職者が多い。自己都合もあるが嫌がらせ退職も多い。この二重構造を解消しないと失業者が増大する。なぜなら大企業は下請けを使ふことで雇用安定責任を放棄するからだ。二重構造の解消には企業別労働組合の禁止しかない。

五月二十九日(日)「企業から雇用権を取り戻そう」
企業は採用のときに選考試験を行ふ。優秀な人を採るためだと多くの人は思ふだろうが、本当の意義は企業が選ぶといふことだ。名前の五十音順でも顔の面積の大きい順でもよい。とにかく企業が選ぶといふ儀式が必要である。
その結果、採用された者は企業に忠誠心が生まれるし外部の者と差別意識を持つようになる。
日本は長いこと人手不足だつたからそれでもよかつた。しかしここ二十年ほどは人が余つてゐる。それなのに企業はますます人手を減らしてゐる。労働組合は今こそ欧州を見習ひ雇用権を取り戻すべきだ。

六月一日(水)「日本の労働組合は失格」
日本の労働組合は失格である。昭和三十年代と四十年代は人手不足だつた。そのときに批判されなかつたからといつて今でも許される訳ではない。失業こそ資本主義の最大欠陥である。失業があるから悪い労働条件でも我慢する人が沢山出る。非正規労働といふ本当は非道徳的な条件でも我慢する人が出る。
かつての反共労組は意義があつた。例へば海員組合は偉い。しかし総評が解散し全労連と全労協が弱小勢力になつても反共を叫ぶのは企業内組合の役員といふ既得権を維持しようといふ意地汚さと腹黒さしか見へない。

六月五日(水)「失業を無くす方法」
失業を無くすには、自営でできる仕事は自営で、中小企業で出来る仕事は中小にやらせるべきだ。自営にやらせるときは偽装雇用にならない注意が必要だ。中小にやらせるときも下請けにならない注意が必要だ。
その上で企業別労組は禁止する。終身雇用は経営側が有利にならないよう注意しながら廃止する。そのために労組は雇用権を獲得する。
以上をやらない限り失業はなくならない。日本の出生率が低いのは雇用が原因であろう。西洋とは別の理由である。今のままでは社会は永続不可能である。
もつとも江戸時代末期の人口に収束させ、その時点で永続させるといふなら聴聞に値する。しかしそのようには誰も主張してゐない。(完)


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