三百六十七、幸徳秋水


平成25年
二月十一日(月)「西尾陽太郎氏『幸徳秋水』」
西尾陽太郎氏の『幸徳秋水』を図書館で借りて途中まで読んだ。この本は昭和三十四年に第一版が出版され西尾氏は明治四十五年生まれである。この当時は九州大学教授であらう。本を読むには出版年と著者の生まれた年をまづ把握する必要がある。日本は年々悪くなるからある。
明治三十年一月、秋水は新聞記者だつた。英照皇太后大森奉送記といふ記事を書いた。
その文は「かけまくも畏き」云々に始まり「尊王忠君」の誠意に満ちたもので、てるも「その文章が非常な名文であつた。後年社会主義に赴いた兄も、此頃は純良な”日本的”青年であつた」といっている。(中略)そしてこの社会主義思想と国体尊崇の観念とは少なくとも三十六年(一九〇三)の『社会主義神髄』までも、彼にとっては矛盾するものものではなかった。

明治維新で天皇様の制度は大きく変はつてしまつた。西洋皇帝化である。そこを考慮せず、しかも天皇様を尊崇する国民感情と、社会主義思想が、両立しないと考へる西尾氏は正しくない。

二月十二日(火)「秋水社会主義者になる」
秋水の中央新聞入りは二十八年五月。ここでもまた翻訳記者であった。(中略)この翻訳からの必要もあって、彼は社会主義の著述にも接近して行った。三十七年平民新聞紙上の「余は如何にして社会主義者となりしか」の中で、彼が「余は社会主義者」なりと断言し得るに至ったのは、シャフレの『社会主義神髄』を読んでからだといっており、それは三十年か三十一年頃と推定される(後略)

三十年五月の中央新聞に秋水が書いた記事から
彼の金銭に対する憎悪感は極端であり、資本主義社会への肯定は殆んど見出すことが出来ない。このことから、一面社会主義への性急な熱望が説かれると共に、一面には却って資本主義社会以前への回顧的心情すら生じる。(中略)更に彼にあっては、常に国民全体に訴えるよりも一部志士仁人に訴えるのであり、組織された労働者に対する正当な評価や階級的意識は容易に明確にならない。

三十一年十一月の万朝報紙上の「社会腐敗の原因とその救治」では、資本主義による社会の破壊について
現時の政治・経済・道義の腐敗の原因は、現代の社会組織自体、即ち金銭関係の上に立つ資本制社会の制度組織そのものにありと指摘し、殊に道義の点から、現時は維新以前の武士道時代にも劣るとする。秋水にとって利潤ほど不合理なるものはなく、資本の蓄積程憎むべきものはなかった。(中略)秋水は貧富の平等・教育の普及・選挙の公平・貴族制の廃止・相続税の設置・完全なる貧民救済法及び工場法の設置・独占的施設及び土地の国有化をあげ、最後に例の如く志士仁人によびかけている。

秋水は社会問題研究会、社会主義研究会などに参加したが、キリスト教社会主義の色彩が濃厚であり、その中で秋水一人が自由党左派系の唯物論者であった。ここで西尾氏は秋水を唯物論者としたが、秋水とその師の中江兆民が無神論者だとしても唯物論者ではない。無神論者といふのは西洋のキリスト教を信じるか信じないかだが、イエスの言つた「人はパンのみに生きるにあらず」とはだういふ意味かを考へてみよう。人は物質としての衣食住だけではなく文化が必要である。或いは親や祖父母の世代から受け継いだものを子孫に伝へるといつてもよい。物質としての衣食住だけ足りればよいといふのが唯物論である。漢詩を好み古典芸能を好む中江兆民や弟子の幸徳秋水は唯物論者ではない。

二月十三日(水)「西洋の猿真似」
当時の国内の社会主義者がキリスト教系と無神論系に分かれたのは将に西洋の猿真似である。西洋にキリスト教系と無神論系の社会主義があつたからといつてそれを日本に持ち込んではいけない。後に国内はマルクスかアナーキズムかの対立を生み、戦後はマルクスか社会民主主義かの対立を生んだ。
どちらも本当は日本国内に無関係である。国内の問題を解決すればよいのに西洋の対立を持ち込むからかういふことになる。しかも後に無政府主義を称し大変なことになる。天皇様の暗殺など企てずに西洋の国王化した天皇を明治維新以前に戻さうといへばよかつた。

二月十四日(木)「続一年有半」
中江兆民は「続一年有半」で神と霊魂を徹底的に批判する。しかし七五三や初参りなどの素朴な習慣を批判する意図はあつただらうか。当時の西洋には西洋の事情がある。だから無神論が現れた。それをアジアに持ち込んではいけない。
アジアではまづ西洋の思想が入ること自体が伝統破壊であり、平穏な生活破壊である。七五三や初参りなど宗教は生活の一部となつてゐるから、文化の一部に宗教があるとすべきであり、その宗教が国家神道や葬式仏教のように国民の経済に影響を及ぼすのであれば有害だが、さうではない場合は否定する理由はない。
中江兆民や幸徳秋水が無神論ではあつても唯物論ではないと断定する理由である。しかし中江兆民の死後、幸徳秋水は唯物論といふ言葉に引つ張られることになる。

二月十六日(土)「平和主義」
西尾氏の「幸徳秋水」と並行して近代日本思想体系13「幸徳秋水集」を読み始め明治三十七年まで来た。ここまで読む限り幸徳秋水の主張は正当である。日露戦争に反対する秋水の主張は立派である。かういふ平和主義なら私も100%賛成である。
翻つて現在の日本の平和運動は偽善の臭ひが漂ひ賛同できない。平和主義は勝つ戦争のときに主張すべきだ。さうすれば敵国も賛成するし皆が平和になれる。このとき一番の敵は国内である。非国民呼ははりされることもあらう。秋水が万朝報を退社するに至るのも対露問題が原因である。しかし万朝報を批判することはできない。国内が対露開戦一色になるなかで平和を唱へることは経営を危うくする。それまで秋水は万朝報に正論を書き続けてきた。

退社後に設立した平民新聞の記事を二つ引用しよう。まづは明治三十七年八月の「世界的眼光」である。
然らば則ち吾人は単に日本人たるべき乎、世界の人たる可らざる乎、吾人の宗教道徳は、単に日本の宗教道徳に止まるべき乎、世界の宗教道徳たること能はざる乎、而して日本人が旅順陥落に依りて大なる満足を感ずる所の、名誉、自尊、負誇の念は、是れ果して世界人類としての宗教道徳と矛盾衝突することなき乎

ここで現代の日本人に注意しておくことがある。世界人類とは西洋ではなく世界全体である。最近はアメリカ化の意味で世界、グローバルといふ言葉を使ふから要注意である。またリベラルと称する連中は自由だ自由だと叫び宗教道徳を無視し社会を破壊するからこれもまた要注意である。この点、秋水はまだ正論を述べてゐる。次に同じく明治三十七年の十一月の本社被告事件公判記(幸徳の弁論)を見よう。
自分は新聞紙条例第三十二条、即ち朝憲紊乱(びんらん)、政体変更等の条項に違反するものとして召喚せられたのであります、然るに(以下略)
検事の御論告中教育勅語の御趣意に背きはせぬかとの御疑ひがあつたやうですが、教育勅語を単に忠孝道徳とのみ解するのは、保守的思想の人々の勝手に解するものであります。勅語の御趣意は決して忠孝に限り、之のみに甘んずるものではなくて、或は『博愛衆に及ぼし』と云ひ、『公益を広め世務を開き』と云ふ、『之を中外に施して悖らず』といふが如きのも字もあります。


保守とはここでは守旧の意味である。私と秋水の考へはこの時点では100%同一である。しかしその後、秋水は入獄し共通点は0%になる。

二月十六日(土)その二「無政府主義へ」
西尾氏「幸徳秋水」に戻ると、秋水は入獄中、月一回の文通が許可されると堺利彦に
もしそれ今の僕の宇宙観・人生観を問ふ者あらば、依然として唯物論者・科学的社会主義者也と報ぜよ。

と書いた。西尾氏は唯物論者・科学的社会主義者をマルクス主義者の意味に解し、「彼は全く反対の事をいっている」として出獄後にアメリカのアナーキストに出した手紙
私は初め「マルクス」派の社会主義者として監獄に参りましたが、その出獄するに際しては、過激なる無政府主義者となつて娑婆に戻りました。

を紹介してゐる。この当時はロシア革命の前だからマルクスとアナーキストの関係を明確にする必要がある。秋水が社会主義講習会といふ在日中国人向けに講演した演説稿の訳文には、幸徳秋水集によると
わたしは社会党人です。本日の諸君の要請を、まことに大幸に存じます。また、わたしは日本人ですが、同国人でも宗旨の異なる者はこれを敵とみなし、外国人でも宗旨さえ同じであれば至親の友とみなしており、いわゆる国境の意識をけっして抱いてはおりません。(中略)ただ小生が遺憾なのは、言葉の通ぜぬことです。しかし遠くない将来に世界語が通用するようになりますと、もとよりこの演説のように通訳の必要はなくなるでしょう。(以下略)
一八六四年にヨーロッパに万国労働組合ができますが(中略)主義はほぼ一致していても、実行の手段には異いがありました。けだし、いかなる国でもその人民の改革を志す者には、激烈と平和の二派があるもので、その会もやはりそうだったのです。そこで平和派はマルクスに属し、激烈派はパクーニンに属しました。


この演説は最後のほうで末期の社会党や今のシロアリ民主党にも当てはまる批判をしてゐる。また、世界語と言つてゐるが英語のことではない。それではイギリス人やアメリカ人が有利になつてしまふ。また外国語は文化を全部は伝へられない。それが判つたのはここ十数年のことだから明治時代の秋水が通訳の必要がないと考へたのはやむを得ない。
無政府党の人格と社会党の人格はけっして同じではない。社会党人は、労働社会に国会議員選挙の権利を持たせようとしているが、実は権利獲得でもって労働社会を欺いているのであって、すなわち私利私欲の心からしているにすぎないのである。その人格の卑劣なる、いかんとなさんや。いっぽう無政府党人は、ひたすら公共の自由を求めるばかりであるから、貧苦の境涯におり、一身の名誉と幸福を犠牲にして、公衆の幸福をはかる、ここが社会党と異るところである。

社会党批判は完全に同感である。今の社民党とシロアリ民主党にそつくりである。しかし無政府党が一身の名誉と幸福を犠牲にして公衆の幸福をはかれるとは思へない。唯物論を掲げる限り権力争ひや粛清が限りなく続く。さて西尾氏は
木下尚江は小説『墓場』の中で、秋水の思想に入獄前は「無理」な点があったといい、秋水にしては妙だと思われる「不論理」があったと、彼の合法主義・天皇制への迎合的態度を批判しているのである。(中略)合法主義の線から外れなければならなくなった時、尚江は紙の愛へ走った。秋水はアナーキズムに走った。

木下尚江が人はパンのみで生きると思つてキリスト教に走つたのなら尚江は唯物論者である。木下尚江が日本の仏教界の無力と神道の人造宗教化に嫌気が差してキリスト教に走つたのなら尚江は唯物論ではない。
幸徳秋水は入獄前は文化の造詣が深く唯物論ではない。入獄後も手段が過激化しただけで本質は唯物論ではないと思ふ。秋水が唯物論化したのは訪米ののちである。外国に行けば見るもの聞くもの全部が新鮮である。深層まで見るか表面だけ見るかの違ひが出てくる。中江兆民は前者、幸徳秋水は後者だつた。これ以降秋水は唯物論を走り続ける。そしてつひに死刑になつた。(完)


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