五百二十三、三年分の手帳


平成25年
十二月二十九日(日)「まもなく三年間が終了」
平成二十三年の正月に三年間使へる手帳を購入した。値段は一年分より高いが三年間使へるから全体では割安である。それだけの理由だつた。しかし三年間使つてみると去年はこんなことをした、一昨年はあんなことをしたといふことが判り便利である。
手帳の一番先頭には「田島団地x-x-xxx忠氏(二郎(四男)の子)」と書かれてゐる。平成二十三年一月一日の欄の更に前である。これはその前年の夏鶴岡に石原莞爾を調べに行つたとき(523.石原莞爾(その一)東亜連盟と浅沼稲次郎へ)石原莞爾の資料を引き継いだ弟の石原二郎氏が亡くなりその子、忠氏が市に寄贈する際に田島団地に居住したため、浦和に行つたとき寄つてみようと書いたものである。
そして一月一日には「見沼代を六ケ村まで帰りバス。田島団地」と書いてある。見沼代用水を六ケ村用水の分水地点まで歩きバスで帰り、その後田島団地まで歩いた。石原忠氏は既に引越し別の居住者だつたのでその辺を散歩して帰つた。今からずいぶん前のような気がするがわずか三年前のことだつた。

十二月二十九日(日)その二「平成二十三年の正月」
一月二日は「箱根駅伝」と三が日特別番組「二人の軍師」をテレビで観た。後者は竹中半兵衛と黒田官兵衛の物語で観たときは気が付かなかつたが今思へば日本が先の戦争に敗れたのは参謀を優遇し過ぎたのが原因である。
参謀は竹中半兵衛のように無欲で位が低くてもよい人間がやるべきだ。このことは今の民間会社でも当てはまる。スタッフ職と称してやれ成果主義だインセンティブだと欧米のやり方をそのまま持ち込む人間が日本の企業を衰退させた。

一月三日は二二年ぶりに正信会の寺院に参詣した。
一月四日は仕事始めだが有給休暇を取り、板橋区志村の区立集会所でミャンマー人の女性瞑想指導者の瞑想会があるので参加した。ミャンマーでは高名な方だが、上座部仏教の伝統からは比丘尼は途絶へてしまつたので迷ふところだが一回は法話を聴かうと思つた。

十二月二十九日(日)その三「平成二十四年の正月」
平成二十四年の三が日はその前年と打つて変はつてほとんど何もしなかつた。一月七日の土曜日に国会図書館に行つた。入館カードを新しいものに交換した。しかし本館の入口のカード読み取り機は工事中で、更に館内のOPACもシステムダウンした。

十二月二十九日(日)その四「今年の正月」
今年の三が日もほとんど何もしなかつた。
一月十八日は午後七時から組合の執行委員会があり、その前に本来は別の日の夜に行ふ六役の打ち合はせがあつたため会社は午後半休を取り夕方までは佼成図書館に行き、その後組合事務所に行つた。佼成図書館は立正佼成会が開設したもので仏教関係の図書が豊富にそろふ。立正佼成会は社会に多大な貢献をしてゐる。(なを今年の十月に池上本門寺のお会式に便乗した田中智学系の講演が余りにひどいがそのときは何とも思はなかつた。その次に参加した別の田中智学系の「明治の日」推進の集ひ」は西村真吾以外はまともだつたがそこで配布した印刷物には賛成できない内容が幾つかあつた。そのときも何とも思はなかつた。しかし後日日蓮関係者とは手を切ることにした。宮沢賢治や石原莞爾も今もし講演内容を知つたり配布資料を見たらさぞ驚くことだらう。二人が田中智学の門下に加はつたのは国内に多くの入会者、支持者が出たためだが、今では新規に入会する人はまれで減少を続けてゐる)
一月二十日の日曜日はミャンマーの経典学習会に午後5時まで、その後は六時半まで一階の集会室でお茶を飲み仏教やミャンマーの話題が盛り上がつた。そのため帰宅したら八時を過ぎてしまつた。

十二月三十日(月)「今年で多忙だつた日を選抜」
今年一年を振り返り忙しかつた日が何日かある。
(1)九月に代々木公園(スリランカフェスティバル)、日比谷公園(日韓交流おまつり)、松坂屋裏とアメ横(あまちゃんロケ地めぐり)、墓参り、秋葉原(AKBスタジオ入口、石丸電気レコード館跡)がある。これは一見忙しさうだが一箇所当りの所要時間は短いから楽だつた。
(2)労組の全国交流会が山形県赤湯であり前日の執行委員会が終つたあとで深夜バスで福島市に行き市内の原発影響を調査したあとで赤湯に行つた。このときは翌日夜遅くまで皆でテレビを観たので二日連続寝不足できつかつた。
(3)十二月に入つた日曜に、組合の案内状を出すため豊島郵便局に行き組合事務所で廃棄するのに有料だといふガスファンヒータを貰ひ自宅まで運んだ。手で持つとそれほどではないので宅配便ではなく持つて帰つたが紐の付いてないダンボールで前に持つと足がぶつかる。右に持つたり左に持つたり体がねじれないように20mごとに持ち替へながら池袋駅まで歩くのは大変だつた。帰宅後に横浜のドンキホーテで靴を買つた。一つ試着ののち大きさが合はないから箱を戻すと三列に積んである箱三十個くらいが崩れた。これは私の責任ではない。私は箱を戻しただけで戻した列ではなく別の列が崩れた。かういふときは崩れたものを片付けてはいけない。靴で傷が付いたものがある場合に私の責任になる。店員が片付けるのを後から手伝ひませうかといふのは構はない。しかし店員が来ないので他のフロアを見て戻つたがまだ崩れてゐる。隣のスーパーに行き書籍売り場に暫く寄つたあと戻ったがまだ来ない。今度は平沼橋付近の幕末の横浜道を見て戻ると今度は片付いてゐた。別の足に合ふ靴を買つた。さきほどの横浜道を歩いて県立図書館に行つた。今年3月で閉店した館内の食堂を見るためだつた。しかしそれだけだとみつともないので見栄で本を二冊読んだ。更に歩いて中華街の春節の電飾を見た。商店街の赤い提灯と山下町公園の展示がきれいだつた。
(4)労組の首都圏の運営委員会と新聞配達店から貰つた東京ドームのアメフトの入場券が同じ日だつた。ここで両方行く方法を考へた。午後半休を取りまづ後楽園に行く。東京ドームシティアトラクションズ(旧称後楽園遊園地)を見た後に東京ドームに入り開始前の様子を見る。試合開始までゐると間に合はないからその前に会場を出て運営委員会の会場(亀戸の下町ユニオン)に行く。これですべてが解決した。
アメフトの招待券は決勝戦でもらつたときは対戦チームは未定だつた。行つたらオービック対富士通だつた。富士通側の観客席は富士通株式会社だのFxx(xxにはアルファベット2文字が入り子会社の略称)だの富士通人材センターだのと書いた紙が観客席に貼られ嫌な感じがした。私は富士通のように官僚化した巨大組織には嫌悪感を持つ。応援するとすればオービックである。しかし組合の会議があるので開始前に会場を後にした。この日は風が強く東京ドームに入場するまでの時間が寒くて一番大変だつた。(完)


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