五百三十二、廣松渉氏の著書(その一「マルクスの根本意想は何であつたか」)


平成二十六甲午
一月十二日(日)「第一章自由・平等・友愛のマルクスにおける行方、その一」
たまたま図書館で廣松渉氏「マルクスの根本意想は何であったか」を見つけた。これは名著である。とは言へ廣松氏と私は意見が完全に同一ではない。
第一章で優れるのはまづ
無政府主義とマルクス主義のとの対立は、前者が「国家の廃止」を主張するのに対して後者が「国家の死滅」を説くという形をとる。(中略)プロレタリアート権力の下で社会的条件が整うにつれて国家は”眠り込んで行き”死滅するであろうこと、この旨を説く。国家もなく政治も無い社会(勿論道徳的・倫理的な自己規制はある)の実現を俟って、一切の政治権力的規制の解除、すなわち、謂う所の「自由」が実現する。

ここで注目すべきは勿論道徳的・倫理的な自己規制はあるの部分で、マルクス主義が目指すのは道徳・倫理の崩壊した社会ではなく政府が強制しなくても実現できる社会のことである。そんな社会が可能だらうか。それについて
マルクスに先行する共産主義派の多くは、当時フランスで最大勢力であったカベー派(五十万人と号した)にせよ、ドイツのヴァイトリング派にせよ、「原始キリスト教団の生活共同体」をモデルにする傾向が強かった。(中略)マルクスは、私有財産制の廃止、生産手段の社会的所有といった共産主義的主張を認め、階級社会の根絶を「平等」実現の必要条件と認めはした。がしかし(中略)個々人が全体に埋没するようなホーリズム(全体主義)的な古典的共同体をも卻けた。

原始キリスト教団の生活共同体は後に崩壊した史実で判るように実現可能ではない。しかし一旦過去に遡つて見本を探す姿勢は間違つてはゐない。一方で廣松氏はそれとは逆の解釈を示す。だから
自由・平等・友愛という市民(ブルジョア)革命の理念が、先行社会主義・共産主義思想を介して、マルクスにおいて如何に止揚(一段高められた次元で保持)されているか、これを視軸に概観する作業から始めることにしよう。
識者はここで直ちに反問されるかもしれない。マルクスは「自由・平等・所有・ベンサム!」と言って、揶揄したのではなかったか? 彼は自由・平等・友愛主義に対して、顛(てん)から冷淡だったのではないか? 結論から事前に答えれば、否である。彼はたしかに近代市民主義流の自由・平等主義イデオロギーを痛烈に批判した。だが、それは彼自身の高次の自由・平等・友愛の理念を背景・基準としての批判だったのである。


廣松氏が自由といふ語に過度に反応したのはこの著書が書かれたのは旧ソ連崩壊の直後だからである。アジアで共産主義が流行したのは資本主義といふ西洋思想への反発がある。また西洋流個人主義への反発もある。それらを考へずに集団が駄目で自由がよいといふのは正しくない。
廣松氏は国家が眠るように死滅する結果、強制する組織がなくなるから真の自由だといふ趣旨のことを書かれ、それ自体はマルクスの解釈としては正しい。しかし強制のない経済運営はあり得るのか。マルクスは生産能力の向上で補はうとしたが人間の欲望にはきりがないから向上分は権力や能力のある者が独占する。マルクスの主張は時代の変化と地理的変化、世界の変化で八割が該当するとするのが一番よくはないだらうか。

一月十三日(月)「第一章自由・平等・友愛のマルクスにおける行方、その二」
平等を実現するには分業の廃止が必要である。予ねてさう考へてゐたところ廣松氏も同じことを書かれてゐた。
私は分業の廃止はローテーションで行ふべきだと思ふ。しかしそれでは貧困平等になるから自営業を奨励し自営業でできるものは自営業でやり、多人数でやらなければできないものは多人数で行ふ。多人数は自営業よりは収入を少なくする。そしてローテーションを行ふ。自営業の多い状態が自然経済ではないだらうか。

一月十八日(土)「第四章、マルクス主義の哲学-その視座と地平、その一」
哲学は廣松氏の専門分野だから第四章は最も重要な章である。そしてその中で最も重要なのが
マルクスは、初期に、或る特殊な文脈においてではありますけれども、「哲学の止揚」ということを言っており、エンゲルスは、「将来においては従来のいわゆる哲学は諸科学に”解消”し、独立に残るものは、思惟とその法則を扱う部門、つまり、いわゆる論理学と弁証法だけであろう」と晩年に書いております。

であらう。その前提で
フォイエルバッハに一番共感の度を高めていた時点でのマルクス・エンゲルスが、フォイエルバッハの唯物論、この唯物論の立場を採っておらず、唯心論と唯物論との対立の止揚を志向していた、という点であります。(中略)マルクスとしては、フォイエルバッハに強引に自説を読み込むという仕方で--第三者的にみれば、フォイエルバッハの唯物論としての唯物論には必ずしも賛同しない立場で--観念論と唯物論との統一を志向していた。

も軽く読むべきだ。なぜなら現代の人たちはヘーゲルやフォイエルバッハの哲学に誤つた点があるとも、それを批判したマルクスを正しいとも思はないのだから。まさに哲学が諸科学に解消した状態である。一方でマルクス・エンゲルスは意識をどのように規定するのかといふ問題について
皆さんのなかにも、彼らは唯物論者なのであるから、意識というものを脳髄の機能ということで規定する筈だ、と思い込んでおられるかたもあろうかと思います。(中略)現に、自称のマルクス主義者たちのあいだにも、そういう意見の持主があります。しかしながら、マルクス・エンゲルスは、こういう議論とはおよそ地平を異にした場面で「意識」というものを規定するのであります。(中略)後期のエンゲルスは、『自然弁証法』のなかで、「人々は将来、人間の意識を、成程”脳の分子運動”に還元するかもしれない。だが、それによって意識の本質が尽くされるであろうか。尽くせはしまい」と書いております。


これでマルクスは唯物論だから生命を軽視するといふ点が克服できたことになる。

一月十八日(土)「第四章、マルクス主義の哲学-その視座と地平、その二」
社会について
近代の常識では諸個人こそが第一次的に存在する実体であって、社会なるものはたかだか第二次的な存在にすぎないという具合に考えられます。これに反して、近代以前の常識では、国家とか民族とかいった”社会的”実体が、いわば一種の有機体的存在として、諸個人から独立に存在しているかのように考えられ、諸個人はたかだかこの社会的有機体の分枝にすぎないと見做されておりました。(中略)マルクス・エンゲルスは、どちらのタイプの社会感を採るのか? (中略)マルクスは、『経哲手稿』の時点でいちはやく「社会というものは諸個人から成っているものではない」、さりとて「社会なるものをまたもや自立的な存在に仕立ててはならない」と書いております(以下略)。


これはよいことである。個人主義過ぎるのがアメリカである。社会的有機体も行き過ぎである。どちらでもないのが当然だが、今の日本では左翼崩れと呼ぶ人たちは極端な個人主義になつてしまつた。左翼崩れではなくてもリベラルと称する連中も同じである。ハト派や穏健派ならよい。リベラルは新自由主義だから駄目である。

一月十九日(日)「第五章、マルクスにおける歴史法則観に寄せて、その一」
エンゲルスが、晩年、経済的下部構造が一方的な規定的原因で上部構造は一方的な被規定的結果であるという式の誤解に対して、弟子たちを厳しく諌めたことはよく知られている。彼は、マルクスも自分も弁証法の徒である以上、そういう悟性的な因果関係で発想するわけがないではないか、と慷概したのであった。(世上一部のマルクス主義批判家たちは、エンゲルス晩年の”修正”とか”居直り”とか言って囃すが、それは、彼らが悟性的短慮の因果律の止揚ということが弁証法における一大アイテムであるという初等的哲学知識に欠ける無知蒙昧ぶりを自己表白するものにほかならない)。

これも全面的に賛成である。衣食住が不足した社会に於いては衣食住の確保が最優先である。この時点では下部構造が上部構造を規定するとしても間違ひではない。しかし人間の歴史でこの状態はそれほど多くはない。次に衣食住が充実すると上部構造がだうなるかはそのときの状況で異なる。普通は下部構造とは無関係に上部構造が決まる。
マルクスの時代と今が異なるとも言へるしエンゲルスは晩年にそこを強調したとも言へる。いづれにせよ今は衣食住が足りた状態なのだから上部構造を軽視してはいけない。特に日本文化を破壊して今までの国家赤字分の債務を回収しようとするアメリカが存在する限り、文化を軽視してはいけない。

一月十九日(日)「第五章、マルクスにおける歴史法則観に寄せて、その二」
唯物史観といえば、人々はとかく、マルクスが『経済学批判』の序文で簡略に定式化した命題を思い浮かべがちである。がしかし、そこに挙げられている「経済的社会構成体の諸階梯」すなわち「アジア的、古代的、封建的、近代市民的」生産諸様式なる堤題が、その後におけるマルクス本人の研究の進展に伴って最早そのままでは維持されなくなったこと、このことは晩年のマルクスに関する緻密な研究によって本邦の研究者間では常識になっている所である。

「アジア的」の部分はとかく誤解しやすい。アジア的なものは古くて駄目だと短絡するのではなく、西洋が発展したのと同じ歴史をアジアが歩めるかだうかを考察すべきだ。だから廣松氏は続けて
マルクスが嘗つて「アジア的生産様式」として表象したものは、到底一括して済ませうるものではなく、分化的再規定を必要とする。(中略)封建的生産様式に関しても同趣の問題が現に残る。マルクス・エンゲルスは、晩年にかけて、修訂を試みたとはいえ、残念なことに、それを明確な形で再定式化しうる以前に歿した。


と述べる。

一月二十五日(土)「第六章以降」
ヨーロッパのキリスト教世界での道徳哲学においては、どうしてもキリスト教信仰と結びついた一種の絶対主義になりやすい。究極的な道徳的規範は絶対的であり、相対化されない。これは裏返していうと、道徳的世界においては調停不可能な矛盾対立というものはないんだ、一見して立場の対立があるようでも、究極のところでは調停可能なのだ、という思い込みがあって、絶対的普遍的に妥当する道徳という考えになっていると申せましょう。

これがあるからなぜマルクスが哲学を書いたのかヨーロッパ以外では判らないのだと思ふ。そもそも我々はヘーゲルのどこが悪くフォイエルバッハのどこが悪いかが判らない。マルクス主義者であり共産党員でもあつた廣松氏が道徳に言及したことは貴重である。日本の左翼はともすると道徳は必要ないと考へるがこれは違ふことになる。
マルクスは晩年「あのようなものがマルクス主義なら、私自身はマルクス主義者ではない」と吐き棄てたと伝えられる。(中略)世には、マルクスの思想を形成史的に細かく跡づけ、また、雑記帳のたぐいまで、丹念に解読している奇特な研究者がある。彼らく訓詁的研究者からみれば、こんにち世間に流布している”マルクス主義”は、いわゆる”ロシア・マルクス主義”にせよ、いわゆる”西欧マルクス主義”にせよ、おおむね、マルクス本人の思想とは、およそかけ離れたものに見えることであろう。


廣松氏はここではマルクスの思想を正しいといふ意味で用いてゐる。つまりロシア式のマルクス主義も西欧マルクス主義も正しくないといふ意味で、それは私も同感である。尤も私はマルクスの思想は今の時代にはおよそ八割しか当てはまらないといふ前提ではあるが。
昔の日本社会党で社会主義協会がソ連型社会主義を目指し、江田派など変性左派が西欧型を目指したのはどちらも誤りといふことになる。

一月二十六日(日)「第四章再読」
第四章を再読し、本筋とは離れるので紹介はしなかつたが重要な点をここで紹介したい。
物心の二元的分離、主観性と客観性との対立、これに象徴される二元主義を超克することが、十九世紀の初頭このかた、ドイツ哲学界の大きなモチーフとなっていた。(中略)マルクスおよびエンゲルスの哲学的の姿勢も、その出発点においては、この範に漏れません。(中略)エンゲルスのほうから先にご紹介しますと、「唯物論は(中略)キリスト教の人間侮蔑・・・を攻撃せずに、キリスト教の神の代りに、自然を絶対化して人間に対置したにすぎなかった」


ここで注目すべきは当時の哲学界の流れ、二番目にキリスト教の影響の大きさである。それらを考慮せず唯物論を掲げると大変なことになる。それは中国の文化大革命とカンボジアのポルポト、更にはスターリンの独裁政治で明らかである。(完)


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