五百九(乙)、三島由紀夫、森田必勝両烈士追悼四十三年祭
平成25年
十一月二十五日(月)「市ヶ谷健保会館」
三島由紀夫、森田必勝両烈士追悼祭(野分祭)が市ヶ谷健保会館の会議室で行はれた。関東ITソフトウェア健保組合の会館である。この組合はかつて東京都小型コンピュータソフトウェア産業健保組合と言つた。私が富士通のときに或る下請け会社が加入してゐた。その後私が元外資系コンピュータ輸入会社に転職したとき最初は政府管掌健康保険だつたが、この組合かもう一つ別なところのどちらかに加入するといふ話が出たのでよく知つてゐる。その後組合名が変はり関東ITソフトウェア健保組合になつた。
四谷三丁目から歩くと途中に防衛省の裏門があつた。かつての陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地である。なるほど三島由紀夫終焉地の近くを選んだのかと合点がいつた。野分祭は民族系各団体の共催なのでごつい感じの人達も大勢ゐるが皆さん礼儀正しい純粋な人達である。旧左翼はかういふ人達とは共同すべきで敵対してはいけない。入口手前で産経新聞関係者が取材にきたらしい。
ほとんどが黒系のスーツで私服は私を含め全体の5%程度だつた。追悼祭は神道式で始まつた。日本の宗教は江戸時代前までは仏教が神道を取り込む形で千年以上経過した。ところが江戸時代の寺請け制度の影響であらう。仏教が堕落したのか神仏融合の動きはそれ以上は進まなかつた。そして幕末から廃仏の動きが出た。神道の葬儀もたまにはよいものである。一般の家庭で行ふのは伝統がないから副作用が大きい。しかし世襲制住職など仏教側も伝統ではないことをしてゐる。仏教への警告の意味でも偉人の追悼式は神道で行つてもよい。
十一月二六日(火)「各団体」
追悼祭では三島由紀夫、森田必勝の霊を降誕させ粛々と進んだ。追悼祭の事務局は(甲)で紹介した一水会だが、実行委員長、実行委員は各民族派団体から出ていた。だから米軍の位置付けで私とは異なる見解が祭文にあつた。人間が百人ゐれば百通りの意見がある。細部まで完全に同じといふことはない。日本の本当の独立のために小さな意見の相違を乗り越えて国民が団結する必要がある。
実行委員長、講演者、各代表による榊の奉呈があつた。その後、残りの参列者全員による奉呈があつた。
十一月二八日(木)「式次第」
式次第は開会の辞、国民儀礼ののち、第一部追悼祭で修祓、降神の儀、献饌、祭詞奏上、祭文奏上、「英霊の聲」拝聴、「檄文」朗読、遺詠奉唱、玉串奉奠、撤饌、昇神の儀、神職退下と続き、特別追悼尺八演奏ののち休憩となつた。
第二部は追悼記念講演で國體護持團體 一日会主宰の中山嶺雄氏による「皇國再興・戰後體制を撃壤せよ」があつた。その後、聖寿万歳、閉会の辞で終了した。
その後、第三部として直会(なおらい)が一階レストランであり会費三千円だか、これには参加しない人もゐた。私も妻が風邪を引き寝てゐるので帰宅した。
十二月一日(日)「中山嶺雄氏の講演、その一」
「國體護持團體 一日会」主宰中山嶺雄氏の講演は素晴らしかつた。ここ二十年間でこれほど素晴らしい講演を聴いたのは初めてである。会場は一列が十人で二十列程度だが、マイクといふ西洋のものは使はないといふことでマイクなしで話された。
半袖姿なのはシベリアに抑留された人達の厳寒を思へば気温が十度は寒くないといふことで冬でも半袖で過ごされるさうだ。講演の要旨は次のとおり。
(1)人は肉体だけではない。肉体だけなら生まれたときから全員死刑囚である
(2)民主主義は個人に分断、人類を滅ぼす
(3)右翼左翼と言つてゐたのでは駄目
(4)大東亜戦争は敗戦ではなく終戦
- 戦争目的
我國の自存自衛-遺憾ながら達成不可
東亜欧米植民地の解放、独立。同時に「西欧米的価値観」への挑戦-見事に達成
- 戦争の結果
蘇連-勝利
米英-敗北。植民地及び厖大な戦費の喪失
我國-一勝一敗
(5)「反日・売国・自虐洗脳」に罹患した「偽日本」
「戦争目的」の半分を達成した以上、全面的な「敗戦」では無い。「終戦」を「敗戦」と曲解させた反日勢力
「東京・広島・長崎大虐殺」への報復を如何に防止するか-GHQに依る反日宣伝、反日洗脳、反日狂育、反日体制の確立
民主主義をよい意味に取れば今の民主主義はニセ民主主義である。だからかつて社会主義が人気のあつた理由の一つに、ニセ民主主義は社会を不安定にししかもシロアリニセ政治屋が出現することを国民は知つてゐたからだ。民主主義を悪い意味に取れば中山氏の言はれるように民主主義は個人に分断し人類を滅ぼす。
私は今まで終戦といふ言ひ方は事実を曖昧にするから敗戦がよいと思つて来た。しかし終戦直後から終戦と呼んだ以上は、中山氏の言はれるように敗戦ではなく終戦がよいのだらう。今日のように拝米拝西洋が充満する以上、一勝一敗と考へることは必要である。
一方で今もさうだが日本だけが西洋の猿真似を進めた結果、他のアジアの国々に対して優越感を持つ人がゐる。プラザ合意の前まではそれほどではなかつたのにその後は成金根性丸出しの日本人が多くなつた。
日経BPの「イスラム教徒と日本人は似ている」といふ記事で佐々木良昭・東京財団上席研究員は次のように語る。
佐々木:1970年代までは、イスラム教に対する偏見はなかったように思います。しかし、80年代以降、日本人の中で急速におごりが芽生えた。いわゆる第3世界に対する差別的な意識が出てきて、「イスラム圏は自分たちより下の未開の地である」と見なすようになりました。
これはイスラム教徒に対してだけではない。他のアジアの国々全体に対しそのようになつた。今と同じように当時の日本人にもそのような人が多かつた。だから侵略か開放かと言へば先の戦争は両方の要素があつた。しかし米ソ冷戦の終結後は欧米は正しくて日本は間違つてゐるといふ欧米の帝国主義を無視する偏向意見がまかり通るようになつた。さうである以上、中山氏の主張には全面的に賛成である。
次に、オバマが広島に来てほしいといふ人がゐるが土下座以外来させるなといふ話があつた。これも賛成である。
十二月五日(金)「中山嶺雄氏の講演、その二」
鞭の支配
「直接軍事占領」「戦犯逮捕」「公職追放」「財閥解体」「神道指令」所謂「東京裁判」
飴の支配
反日政治犯の釈放、「農地改革」、中・下級官僚の抜擢-後の池田、佐藤等。占領軍利権のバラ撒き。
「反日占領基本法(自称、日本国憲法)で完成。
まづゴミ憲法(理由、シロアリ政治屋を出現させた)を反日占領基本法と呼んだのは感服する。私の場合はゴミ憲法だから一応憲法である。しかし中山氏の反日占領基本法こそ最適である。財閥解体は国民の側から見て表面的には飴に見える。しかしあれは鞭である。日本は部分社会主義になりニセ労組シロアリ連合、シロアリ民主党、ニセ経営者団体連合会だのと怪しげな連中を大量に生み出した。
十二月八日(日)「中山嶺雄氏の講演、その三」
中山氏は『「偽日本」から「ジャパン国」への国号劣化』の章で
「日米安保体制」に依る米国の「日本占領」を事実上継続。長期間に渡って「属国化」「植民地化」を推進。日本弱体化に成功。占領目的の達成。米国亜流型低劣社会の完成。
クリスト教徒でも無いのに「クリスマス」を、米国人でも無いのに「ハローウィン」を祝い、反日「国連」中心主義を謳い、駐日米国大使を大歓迎する。米国に虐殺された同胞の御霊への配慮や国際常識は皆無
を話された。XX教徒がクリスマスを祝ふのは当然である。非XX教徒がクリスマスを祝はないのも当然である。ところが非XX教徒がクリスマスでバカ騒ぎをする。否そればかりではない。日本にはXX教徒のふりをした偽XX教徒が多くはないか。
アメリカは野生生物と先住民の保護区とすべき土地を掠め取つた。土地に比べ人口が極めて少ないから平衡状態に達してゐない。そんな国の真似をすること自体が異常だし、真似をするとアメリカより劣化する。
次に「横文字、外国語」の氾濫、強要」の章で
(「日本」は何処に消えたか)
「和服」「和食」「和風建築」を視ますか。
(「国語」の米語化)
小学校での米語狂育。アルファベットの氾濫。
(「韓国語」「韓国史」の強要)
漢字の韓国読み。日本教科書の韓国化。
「國語」の否定は「民族」の滅亡に繋がる。
(既に「国号」は「ジャパン国」)
首相が「オール・ジャパン」、誰も非難せず。
民間企業も社名に「J」や「ジャパン」を多用。
安倍は反日分子といふ話もあつた。日本の首相がオールジャパンなんて言つてはいけない。韓国読みについてこれは日韓の親善を妨害しようとする連中の仕業だと私は思ふ。日韓の親善を妨害とは欧米のやり方を日韓に押し付け結果として日韓を不和にする連中である。日本では昔から新羅をしらぎと読み親しんできた。これをシルラと読んだら親しみも何もない。そもそもシルラは今の韓国朝鮮読みで当時の読み方ではない。高句麗(コグリョ)や 百済(ペクチェ)も同じである。(完)
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