二百九十一、トロツキー

平成二十四年
七月八日(日)「偶然のトロツキー」
三週間くらい前からトロツキーの本を読み始めた。このままでは地球は滅びるから宗教勢力、共産主義、伝統主義などが協力して化石燃料を大量に消費する悪魔の思想に終止符を打つ必要がある。しかし旧ソ連は余りに印象が悪い。レーニンに原因があるのかスターリンに原因があるのか調べようとトロツキーを図書館から何冊か借りた。その中で一番優れてゐるのが佐々木力氏の「生きているトロツキイ」である。
それにしても偶然といふことがある。うちの組合で昨日文化活動として読書会を始めた。出席者5人のうち第4インターの活動家だつた人が3人もゐた。私自身は第4インターに限らず新左翼とはまつたく関係がない。第4インターはトロツキーがソ連を追放になつた後に作つた組織である。

七月十一日(水)「唯物論狂信団体批判」
悪魔の思想である唯物論の日本における最大の狂信団体は経団連である。
唯物論を批判するには意識と自然科学は別領域であることを指摘すべきだが、トロツキーは八十年前にそのことを既に見つけてゐた。「生きているトロツキイ」から引用すると
・トロツキイの一九三〇年代中葉のノートブックは、トロツキイが自然科学的還元主義に反対であったことを示している。「意識(認識)と自然の相互作用は、それ自身の規則性を備えた独立分野である」。また「意識(認識)の弁証法はそれゆえ、自然の弁証法のそれゆえ、自然の弁証法の反映ではなく、意識と自然の生き生きとした相互作用の結果である」。
・実際、彼はソ連邦のの公式心理学の地位に祭り上げられつつあったパブロフの生物学的一定の成果を認めつつも、フロイト学説が十分批判的に評価されるに値するものと主張し続けたことでも知られる。


七月十二日(木)「エコロジスト」
「生きているトロツキイ」はエコロジストでもある。資本主義の矛盾に気付いたのがマルクスだから当然である。まづ資本主義の矛盾について
・トロツキイは、(中略)帝国主義と戦争とファシズムの時代にあって、「社会主義か文明破壊(バーバリズム)か」の二者択一を迫って闘った。

次にエコロジストの立場として
・生産力が量的に増大することによって、人類は豊かな未来への大きな可能性を手にすることができると同時に、それを理性的・計画的に統制しないかぎり、かつてない悲惨に直面する蓋然性をもつことにもなった。地球の生態系は無政府的に破壊されつつある。
・アメリカの元数学者で、いまは哲学者、経済理論家として論陣を張っているデイヴィド・シュウェイカートは、一九九三年に公刊された『資本主義に抗して』の中で、現在与えられた世界の政治経済システムのうちで、レッセフェール的資本主義であれ、それを部分的に統制したケインズ的修正資本主義であれ、(中略)「経済的民主主義」の原則の上に立つ社会主義よりは、経済効率の観点からも、健全な経済成長の観点からも、自由・平等・民主主義・個の自立性といった政治的観点からも、原理的に劣っていると結論づけている。
・要するに、彼の学問的志操は、時流便乗的なわが国の評論家諸氏のとは決定的に異なるのである。その理論が提示される際、資源浪費的経済成長が健全ではない旨、立言されていることが注目される。たしかにマルクスとエンゲルスにはエコロジスト的思想が存在した。が、現在はもっと真剣に自然環境に配慮した経済システムの構想が打ち出されるべきである。
・この点に関しては、ドイツ社会民主党左派の理論家オスカー・ラフォンテーヌの「エコ社会主義」の構想も示唆的である。もっともラフォンテーヌの改良主義に追従する必要がないことは言うまでもない。


しかし佐々木氏は別の章で経済成長を肯定する部分もある。
・私は経済成長それ自体を軽視する現在の左翼の支配的風潮には批判的である。当然、経済成長自体を自己目的とし、自然環境や資源を犠牲にする政策には反対である。が、高度な生産力なくして多数の労働者に福祉を提供できると考えるのは非現実的である。

最後の項目は私と佐々木氏は意見が異なる。仮に多数決を採るとどうなるか。多数の労働者は「楽をしたほうがよい」となりはしないか。だからといつて上から押さへつけるのは旧ソ連的である。やはり循環社会を目指す、つまり資源を消費しない社会を原則にすべきである。

七月十四日(土)「都市と農村の融合」
都市と農村の融合について「生きているトロツキイ」は次のように述べる。
・エンゲルスによれば、近代工業の資本主義的性格が廃止されるとともに、都市と農村の対立も克服される。「都市と農村とを融合させることによってのみ、今日、都市で痩せ衰えている大衆の状態を変え、彼らの糞尿が、病気を生み出す代わりに植物を生み出すために使われるようにすることができる。」
・このエコロジー的問題の抜本的解消のためには資本主義的な無政府的生産のシステムが止揚されていなければならないのである。


七月十四日(土)その二「国家社会主義」
国家社会主義といふとヒトラーを連想するが、本当は私的企業を国有化することである。
・エンゲルスも綱領立案に参加した一八九一年の『ドイツ社会民主党綱領』の草案には、次のような条項が見える。
社会民主党は、いわゆる国家社会主義とは、なんら共通するところをもたない。この国家社会主義とは私的企業家を国家に置き換え、それによって、労働者に対する経済的搾取と政治的抑圧のために力を一手にまとめあげることを、国家財政上から狙いとする国有化制度だからである。


この当時ビスマルクが国有化に熱中し、かつてナポレオンやメッテルニヒがたばこの国有化を行つた。「生きているトロツキイ」は次にマックス・ヴェーバーの講演を紹介する。
・近代社会においては、一般に官僚による支配がますます強化されるが、社会主義権力にいてもこの事態は不可避であることに変わりはない。
・社会主義体制においては、「共同経営」が行われるようになるが、現実にはその管理の任にあたる「人民団体の官僚の手に委ねられる」ようになる。そこで私的企業家が、手にする利潤と引き換えにとっていた責任はどうなるのか、また企業家同士の間にあった競争はどうなるのか、とヴェーバーは問いかける。
・所有権が国家に移ると労働者の隷属は深化しさえする。「国家に対してはストライキが不可能であること、それゆえ、この種の国家社会主義(Staatssozialismus)にあっては、労働者の隷属がまったく根本的に強められる」。ここでヴェーバーが、エンゲルスの使用していた「国家社会主義」という概念を援用していることに注意されたい。


七月十四日(土)その三「ラッセルの予言とローザルクセンブルグの警告」
ラッセルが英国労働党を代表して建国したばかりのソ連を訪問し、レーニンやトロツキーと会見し『ボリシェヴィズムの実践と理論』(河合秀和訳『ロシア共産主義』)を著した。そこで三つの結末を予測した。
第一は、ボリシェビズムが資本主義権力によって究極的に打倒されることである。第二はボリシェビズムの勝利であるが、彼らは完全に理想を失い、ナポレオン的な帝国体制になるという結果を伴っている。第三は長期的な戦争で、その中で文明は没落し、文明の一切の現れは(社会主義も含めて)忘れ去られるであろう。
驚くべき予見力と言ってよい。第一の選択肢は、一九九一年に実現されたようにみえるし、第二の予見は、スターリン主義官僚体制が一九二〇年代末に歴史の表舞台に登場することによって性格に当たってしまった。(中略)ラッセルは、ロシアのこうした悲劇にもかかわらず、社会主義の未来そのものが閉ざされたものではないことに注意して著書の結論としている。


次にローザルクセンブルクの批判を紹介してゐる。憲法制定会議を解散したレーニンとトロツキーに対してである。
まさに独裁だ!しかしこの独裁の本質は民主主義の用い方にあるのであって、その廃止にあるのではない。ブルジョワ社会の既得権や経済諸関係への精力的な断固とした介入であって、それなしには社会主義改革は実現されないからである。しかしこの独裁は階級の仕事であって、階級の名の下に少数の指導者が行うべきものではない。
(中略)ルクセンブルクの批判は社会主義革命を支持する陣営のものであっただけに、きわめて説得力をもつものであった。


これらの批判に対して佐々木氏は内戦を背景とする一九一八年から一九二一年春までの「戦時共産主義」体制化でのボリシェビキ政権に対して発せられたものであることに留意する必要があると援護する。しかしヴェーバー、ラッセル、ルクセンブルクは当時の内戦を十分に判つた上で批判してゐる。内戦だからやむを得ないとする佐々木氏の主張は無理があるように思ふ。
レーニンやトロツキーの側に立てば、内戦が終つた時点で戦時体制を戻さうとしたがレーニンは亡くなりトロツキーは追放されたと言へるし、レーニンやトロツキーを批判する側に立てば、権力を握ると人は堕落する。それを防ぐためには、農地改革や工場の公有化が済んだら、共産党は首相や閣僚を出さず民間人を任命し、与党として政府に出した要望はすべて公開する。これくらいやらないと堕落は防げない。中国、北朝鮮、ベトナム、ラオスは今から実行したらどうだらうか。きつと資本主義より住みやすい国になるだらう。

トロツキーの一九三三年から三五年までを綴つたノートにはレーニンが機構を創った。(その)機構がスターリンを創った」と書かれてゐる。権力から追放されたからこそ書けたと言へる。これはどんな組織にも言へる。優れた人の就いた役職も二代目、三代目と悪くなる。役職の劣化である。民主党三代目の野田を誰もが連想するであらう。民主主義も劣化する。最初は皆の意見をまとめようとするが、だんだん多数派工作に走る。


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