二千二百六十九(和語のうた)鮎壺の滝旅行記
甲辰(西洋未開人歴2024)年
三月十三日(水)
本日は、毎月恒例のジパング切符旅行で、鮎壺の滝へ行った。新幹線と在来線で沼津まで。御殿場線で下戸狩駅下車。歩いてすぐだ。溶岩の塊りと上から落下する滝は見事だ。近くにマンションがあるため、景観の魅力が半減する。
富士からの火で溶けた岩固まりて 富士の嶺の水 下の土溶かし壺へと滝は流れる

反歌  街の中滝は大きく美しく人住む石の塊り醜し
石の塊りとはマンションのことだ。写真のマンションは問題ない。写真の左後方に大きくマンションがある。

 
鮎壺の滝                      本宿用水
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御殿場線が東海道線の一部だった時代は、下土狩駅が三島駅だった。豆相鉄道(現、伊豆箱根鉄道駿豆線)は沼津まで行く予定だったが、当時の三島駅周辺に土地を無償提供することで、ここまで乗り入れた。丹那トンネルが開通してから、豆相鉄道は新しい三島駅へ乗り入れるやうになった。
近くの農産物を貨車に積む光景が見られたさうだ。インターネットを調べると昭和五十七年まで車扱貨物があり、駅舎の南側に貨物ホームや日本飼料ターミナルのサイロがあったさうだ。鉄道唱歌の
(16番)三島は近年ひらけたる豆相線路のわかれみち駅には此地の名をえたる官幣大社の宮居あり

は、この駅を詠ったものだ。豆相鉄道唱歌にも
雲井を凌ぐ白妙の富士と富士見の滝つ瀬をうしろに三島立出づる豆相線路の汽車の旅

 
貨物積み降ろし線跡(駅南東方向)                    飼料ターミナルではない一般の積み降ろし跡か(駅北東方向)
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このあと沼津へ戻った。客車操車場跡は10線はある。前回御殿場線に乗ったのは三十五年ほど前なので、こんなに多いとは思はなかった。沼津は14系が常備で、特急を担当する区は一流だったから当然だが。因みに14系座席車があるところは12系も担当したが、全国で品川と沼津だけは14系座席車だけだった。
沼津は駅前通りを少し歩いただけで三島へ行った。三島は改札を出て公衆便所を探し、矢印の方角へ歩くとコンビニ2店の名とともに公共と書いてある。しかしコンビニを借用するのは気が引けるので、そのまま改札を入り東京へ戻った。
東京駅は、丸の内中央口から途中下車した。自動券売機が少しあるだけで、あとは何もない。外の本屋改築の説明を読み建物を眺めた。ホテルの入口に英語しか書いてないのは国恥ものだ。丸の内南口みどりの窓口で、次の旅行のジパング切符を買ひ、改札を入った。
丸の内南と中と北があり 中と北との間には皇(すめらぎ)が乗る建屋広がる

反歌  丸の内中で降りるも切り札を売る機(からくり)が僅かあるのみ
秋葉原で途中下車した。旧都電通りを旧山田照明先辺りまで往復し、お昼を食べて帰宅した。二時過ぎに家へ着いた。想定より早かったが、時間は有効利用すべきだ。旅先で無駄に時間を使ってはいけない。
秋葉原降りて歩くも 昔とは異なり店は大変はり それは前来た時にても 来るたび驚く見慣れた故に

反歌  秋葉原昼に似合ふの殆どは店消えてんやみそ(卅)歳ぶりか
かつて秋葉原デパートの横に、安い昼食店が並んだ。(終)

追記三月十五日(金)
豆相線路と貨物扱ひ所跡の痕跡、沼津客操(客車操車場。駅と客貨車区を併せた呼称で昭和四十年辺りまでは一般的だった)跡に満足して、本宿用水は写真だけ載せて書くのを忘れた。長泉町のホームページによると
鮎壺の滝の上部に設置した新井堰から取水し、延長約500mの隧道と約2kmの水路で造られたかんがい施設です。16世紀まで(中略)川底が深く、降水時には暴れ川となり、川水を取水することが(中略)難しく、稲作ができない地域でした。
(中略)完成から420年経過した今でも、本宿共有財産管理委員会や本宿部農会を中心に、区民と連携・協働により、適正に維持管理されており、本宿地域の水田地帯に安定的にかんがい用水として、また防火用水や生活用水など地域に不可欠な社会基盤として活用されています。

本宿用水を見に行くだけのために、再度訪問したくなった。小生は、1980年代後半は玉川上水(01234567891011121314)、現在は見沼代用水(見沼代用水その一リンクが張ってあるので一つのみ紹介)を調べてゐる。

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