六百六十一(甲)、都営地下鉄一日乗車券で西南部巡り(光が丘、豊島園、千川上水、代々木ゼミ、戸越銀座、汐留、築地)

平成二十七乙未
一月十一日(日) 昨年五月の続き
都営地下鉄一日乗車券は期間を限定して発売される。そして原則として土日祝祭日のみ発売される。そして消費税嘘つき増税の前と金額が変はらない。といふことで本日東京の西部と南部への探索のたびに出た。昨年五月は東京の東部と北部を巡つたので今回はその続きである。前回は15駅、今回は8駅。それは光が丘と豊島園で時間を取つたためである。

一月十二日(月) 光が丘、豊島園
まづは光が丘に行つた。都市再生機構 (UR) と東京都住宅供給公社の団地を外から観察した。南の端まで行き折り返して北の端まで行つた。IMAの複合商業施設は中に入り、練馬光が丘病院は外を一周した。引き続き光が丘公園の中央の通路を北上し自然観察林の先で右折し自然保護林から南下の予定だつた。ところが道が曲がることを考慮しなかつたため講演の西北端にぶつかりそのままバードサンクチュアリの後を通つて中央道に戻つた。IMAで昼食が終つた時点で11時50分だつた。光が丘公園は自転車専用レーンを設けてそれ以外は草稿禁止にすべきだ。歩行者が安心して歩けない。

地下鉄で豊島園まで戻つた。西武鉄道の豊島園駅の改札の前を通り豊島園の入口に至る。そのまま豊島園の周りを一周した。駅に近いところは鉄柵、離れるに従つてフェンスで中が見えるようになる。たぶん昔は駅に近い部分しか宅地がなかつたのだらう。
駅とは道路の反対側に十一か寺といふものがあるので見に行つた。浄土宗の寺院が十一道路の両側にある。道路の先に本山があるのかと向かふと墓地がある。かつては浅草にあり誓願寺の塔頭だつた。明治維新で朱印地が没収され塔頭は独立した。関東大震災で全焼し誓願寺は府中に、塔頭十一カ寺は現在地に移転した。
塔頭の独立といふと私は静岡県富士川町(現在は富士宮市に合併)の西山本門寺を思ひ出す。戦争中に文部省の指導で僧X宗に合流した。昭和40年頃に西山本門寺はXX宗に合同したが塔頭や末寺は、僧X宗に残留するところと独立はするがXX宗には行かない単立に分かれた。貫首の死後に単立の末寺が、当時はXX会が信徒団体で多数の弁護士を付けたXX宗を相手に裁判を起こし奇跡的に勝訴した。しかしせつかく単立になつた後も塔頭の多くは本山の法要に出仕しないさうだ。それに比べて十一か寺は本寺抜きとはいへ成功例である。

一月十二日(月)その二 千川上水、代々木ゼミナール、俳優座
かつて千川上水を旭丘地域集会所から下流に向つて板橋区役所、板橋駅を経て千川上水公園までと、集会所から上流に向つて玉川上水分岐点まで歩いたことがある。私の地図は集会所に赤い丸が付けてある。なぜだらうと新江古田駅で降りて集会所に行つて判つた。千川上水の石の標識が展示されてゐる。土地の境界標だらう。

代々木駅で降りて代々木ゼミナールに向つた。昨年突然全国の校舎のほとんどを廃止すると発表して世間を賑はした。地図では代々木駅南から西に向かふ道路にある。実際は三校舎あるが三階建てくらいの昭和四十年代築といふ建物である。代ゼミタワーへの案内図が張り出されそれに従って小田急の踏切を渡るとタワービルがあつた。帰りはJR東日本本社裏の都営地下鉄新宿駅から乗つた。

地図では六本木駅のすぐ横に俳優座がある。この道はよく通るから前にも見た事はあるはずだが記憶に無い。地下鉄を降りると普通のビルの一階に俳優座の公演ポスターが貼つてある。本日は公演がありませんといふ札が掛けられてゐた。インターネットで調べると
現代演劇創造の場として俳優座が中心となり、多くの文化関係者と観客の支援を得て1954年に完成、株式会社俳優座劇場として運営されています。(中略)そして1980年に再建設、演劇を中心とした舞台芸術の創造の場となっています。

とある。テレビによらないこういふ活動こそ尊い。テレビはよくない。今から五十年前に「一億総白痴」といふ言葉も生まれた。ここ三十年ほどはそれに加へてテレビ関係者や出演者が傲慢になつた。テレビはそろそろ廃止したほうがよい。

一月十二日(月)その三 戸越銀座、汐留、築地市場
大門で浅草線に乗り換へて戸越まで行つた。戸越銀座を見るためである。以前来たときは途中で二つに分岐したが今回は一つである。しかも第二京浜の西側と東側に分かれる。それよりアーケードがあつたはずだがない。代はりに街灯の鉄塔に変圧器が縦向きに設置されてゐる。既に街灯の一部は自動で点灯した。翌日三つの違ひの謎が判つた。以前見たのは武蔵小山の商店街だつた。

汐留で降りると地下道で繋がるビルはどれもやたらと空間を無駄に使用しアメリカ風である。私はこういふビルは好きではない。ホテルに至つてはホテル名を英語でしか書いてない。以前、九州などから東京に来た人が、ここは日本ですかと驚いてゐたが、ここも日本とは思へない。こんな醜いビルを作るなら昔の汐留貨物駅のほうがよかつた。

築地市場で降りると外は真つ暗だつた。場外市場を散策した。若いグループ、アベック、家族づれがどこで食べようかと店を巡つてゐた。日本はこういふ風景が似合ふ。(完)


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