千四百七十四 (和歌)都営地下鉄一日乗車券(旧戸田橋親柱、高島平操車場、庚申塚、タイミャンマー料理、水道歴史館、両国回向院、塩釜公園)
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
九月二十二日(火)
本日は都営地下鉄一日乗車券で、都内を散策した。埼京線の板橋駅で降りて、新板橋から乗った。まづ志村坂上で降りて、小豆沢公園入口にある旧戸田橋の親柱を見た。昭和六十年頃に建て替へられたと思ったが昭和52年と早かった。
次に高島平で降りた。板橋区立熱帯環境植物館に行かうとしたが、10時開館3分前で20人以上並ぶ。(追記、帰宅後調べたら、翌日から改築で半年休園することが判った)。入場料も260円で区立にしては安くないからそのまま国際興業バスの高島平操車場を見て駅に戻った。十二台を駐車でき、普通の操車場の二倍の規模だ。
国道で 一番気に入る
バス路線 浦和駅から
池袋 北口までを 20分おき
(反歌)池袋までのバスが 短縮し 高島平操車場行き
その後、高島平操車場から西川口駅に短縮し、つひに廃止になった。

西巣鴨で下車し、庚申塚を始めて見た。明治維新の影響だらうか神道に偏った。そのまま巣鴨駅まで歩き、再び地下鉄に乗った。

九月二十三日(水)
昨日はその後、板橋駅近くのタイミャンマー料理の店「バーン・クン・メー」で600円の弁当を買った。祝日でも弁当を売るのは殊勝なことだ。500円と600円があり、全部で六種くらいあるがすべてタイ料理だ。ミャンマーに興味があるのか聞かれたので、中板橋のお寺にはよく行くと話すと、店の人もよく行くさうだ。店内ではミャンマーココナッツ麺があるので、次回は店内で食べたい。
板橋の 駅前にある
料理店 タイとミャンマー
看板は 両国の旗
弁当は すべてがタイで
1つ買ふ お寺の話題
盛り上がる 次回にもまた 寄りたい店だ
(反歌)ミャンマーの 日本人向け 料理店 タイが多いが 繁盛祝ふ
繁盛してゐるかどうかは、話し方で判る。

本郷三丁目で下車し、水道歴史館に行った。昔、西新宿にあった水道記念館の後継だ。水道局四谷営業所の建物が道路工事で取り壊された。その後はどうなったか三階の図書室で聴かうと思ったが、コロナ騒ぎで前日までに予約しないと三階には行けない。だから歴史館の受付で、その後の四谷大木戸付近はどこに聞けばいいかたずねたところ、電話で問ひ合はせてくれて、三階の司書が話をしたいといふので、伺った。 四谷営業所の新築のときに、玉川上水と水門と余水吐の上部をはがして(あるいはもともと上部はないが建物で地下にあるやうに見えたか)地上に現れた写真の載ったパンフレットを見せて頂いた。 余水吐は下水の渋谷川幹線に流れると思はれるが、水門の先はどうなるのだらうか。あるいは水門も渋谷川幹線で、水門を流れない水が壕地線か。
以上を訪ねたが、パンフレットの写真以上のことは判らない様子だった。そこで、1987年くらいに水道記念館にゐた玉川上水に詳しい人から聞いた話を説明しておいた。
1.明治何十周年かを記念して、四谷大木戸からお濠まで地下水路を建設し、濠地線と称した。
2.玉川上水清流復活のときに、お濠にも水を流す話を宮内庁に打診したが、下水処理水なので断ってきた。
3.玉川上水清流復活のときに、水を下流まで流してみたが、四谷大木戸まで流れた。
新たに一つ疑問が出てきた。濠地線は四谷大木戸経由と思ってゐたが、淀橋浄水場の余水吐に接続したかも知れない。
新しい 疑問が湧き出る
次々と 流れ絶やさぬ
玉川の 上水に似て 尽きることなし
(反歌)上水路 今も小平 水衛所 ここまで現役 涸れず澱まず
小平水衛所などを統合し、今は小平監視所と云ふ。水道記念館にゐた詳しい方の写真に「小平水衛所」とあったので、私は今でも小平水衛所と呼ぶ。

九月二十四日(木)
一昨日はその後、両国駅で降りたが行く当てはなかった。駅前の地図を見ると回向院がある。ここに行くことにした。都営地下鉄を降りたあと右折し、ガードをくぐり三つ目くらいの交差点を渡って右折し大きな建物手前を左折。さう覚えて歩き始めた。
ところが大きな建物が見えてこない。本当は半分も行かなかったのだが慌てて左折して両国公園の中を突っ切った。江戸時代の本因坊邸跡、真言宗触頭大徳院(寺がビル化したので前を歩いただけだが)を見れたのは良かったが、回向院の裏からは入れないのでぐるっと回った。 これはまづ地図がよくない。京葉道路が入口だから大徳院の向かひに回向院と書いてはいけない。私のスマホの方角を示す記号が45度ずれてゐることも原因だった。
回向院はかつて両国橋の方向に三門があった。ぐるっと回ったので三門跡を見ることができた。
大きな道路から都電が無くなって以来、方向感覚が無くなった。大きな交差点が京葉道路で都心方面に向かふと判ってゐれば、迷ふことはなかった。地下鉄から地上に出るときは、全体の中から自分の位置をまづ把握すべきだった。
回向院 無宗派なのかと
思ったが 帰宅後調べて
浄土宗 小塚原も 元は別院
(反歌)回向院 隣に大きな ビルがあり 中庭に円 土俵の跡だ
土俵跡の円の上は、無造作に自転車が多数あった。
自転車で 何度も走った
寺の前 寺の中には
今回が 初めて入り
出たあとも 気付かないのは 講堂がない
(反歌)都電無く 日大講堂 その後無く 地下鉄降りて 方角も無し
昔ここには日大講堂があった。昔の両国国技館である。普段は民間に貸し出すので、私も何回か入場したことがある。都電が廃止になり、10年後に日大講堂も廃止された。

汐留で下車した。行く当ては無かったが新橋方面に歩き、駅前のかつて総評全国一般労組東京地本南部支部の事務所があった通り(と言っても今は飲食街で、ガードの一本外側の新橋西口通り)を歩き、大門駅に行かうとして間違へて御成門駅に行った。
しかし塩竈公園に遭遇した。この辺りは仙台藩の中屋敷があり、敷地内に塩竃神社を建立した。後には一般に参詣を許可した。関東大震災後に塩竃神社は町内会立の公園になり、後に周辺地を合併して港区立になった。神社には、本社と別社の二つが鎮座する。
全国に 珍しいのは
公園を 町内会が
所有した 後に拡大 港区立に
(反歌)公園の 塩竃神社は この土地が かつて伊達家の 屋敷のなごり
このあと大門駅から新宿駅に戻り帰宅のはずだったが、道を間違へたため、御成門駅から新板橋駅に戻り帰宅した。(終)

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