千四百六十六 (和歌)東急バス1日乗車券(玉川上水、大井町ミャンマー料理、田園調布商店街、渋谷バス乗り場)
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
九月九日(水)
いよいよ六十五歳の再雇用終了まで数ヶ月になった。有給休暇を今から使はないと消化し切れない。昨日は休暇を取り、東急バス1日乗車券で出掛けた。
新宿から幡ヶ谷折り返し場まで歩く。これを義務と考へるとつらい。玉川上水の跡地探索と考へると楽しい。今日は気温が三十三度まで上がったが、公園に整備され樹木が多いので、それほど暑くはない。
まづ大井町のミャンマー料理店「まるび」に行った。ここはお薦めだ。日本人に合ったランチセットがたくさんある。到着は11時半で一番だったが、お客さんが続々と来る。メニューがよいことと、客扱ひ担当の二人(母と息子?)の愛想がよい。この二つが揃ふのが、この店だ。
大井町 ミャンマー料理の
店がある ランチセットは
お薦めで 人気が高く 日本人向き
(反歌)ミャンマーのメニューもあるぞ料理店昭和の日本の雰囲気残す
池上経由蒲田行きのバスに乗り、蓮沼で田園調布行きに乗り換へた。旧中原街道を走る面白い路線なのに、途中から乗ってしかも混んでゐたため、外の景色がよく見えなかった。蓮沼の二つ先は蒲田だから、改善点として蒲田まで行くべきだった。
田園調布は、昨年だったかバスの乗り換へで、新しいバスターミナルが印象に残った。今回は、駅前商店街を見るのが目的だ。三十六年前に富士通マイコンシステムズに転職したとき、本社は武蔵小杉だった。同期会をするので総務部にお勧めの店を訊いたところ、大井町のミャンマー料理の店だった、と云ふのはまったくの冗談で、田園調布だった。
田園調布は、西側に高級住宅街が広がる。日本の高額所得者の邸宅が並んだ。駅の反対側は夜になると真っ暗で、坂道を降りると突き当りが丁字路で、そこを右折するとここも真っ暗だが、そこにポツンと1軒飲食店があった。客は我々七人くらいだけで、思へばプラザ合意の前までは、これで飲食店が経営できた。
今は坂道と丁字路の先に商店が並ぶ。
転職の 同期が集まり
飲み会は 田園調布
駅を出て 真っ暗な道
坂を降り その先ポツンと 店の灯りが
(反歌)都境は多摩川園駅観覧車閉園後にも横にそびえた
1つ先の多摩川駅は、昔は多摩川園駅だった。多摩川園はその五年前に閉園したが、観覧車は駅の横に高くそびえた。

九月十日(木)
昨日はそのあと渋谷までバスに乗った。幡ヶ谷折り返し場行きに乗らうと渋谷案内所の前に行くと、乗り場が広大な駅前広場の対角に移転した。昔の東急プラザの入口だ。と云ふか、建て替へたあとも東急プラザを名乗るが、このことは帰宅後に知った。バスの発車まで五分しかないので、東急プラザの二階に行って一周したたげでバス停に戻った。
渋谷案内所も、建て替へのため九月末で閉鎖になるさうだ。
渋谷では プラネタリウムが
無くなった 東横店も
工事中 東急プラザは
新築で 駅周辺の 昭和が消える
(反歌)半世紀前まであった民家への幾つも橋の微かな記憶
小学生のころ東横線の高架の裏に渋谷川が流れ、各民家へは橋があったと記憶する。
幡ヶ谷の 手前で乗客
ほぼ降りる 京王バスの
縄張りに 食ひ込む東急
バス路線 存在するは
そのためか 盲腸線に 折り返し場
(反歌)都営バス盲腸線に乗り入れて東京駅までかつて走った
昔は都営バスが東急バスとの相互乗り入れ路線だった。幡ヶ谷折り返し場と新宿の間は、玉川上水の旧水路跡を歩いた。往路はそれほどでもなかったが、帰路は往路より暑いにも関はらず、水路跡を楽しむことができた。
煉瓦製 トンネル模写の
半円は 新宿駅の
地下にある 旧水路だと 初めて知った
(反歌)煉瓦には昼の休みによく来たが駅地下水路とまったく気付かず
説明書きがあるのに気付かない。勤務日の昼休みは、時間がないためだらう。ゆっくり読んでると、午後の開始時刻に間に合はない。てっきり新水路だと思ってゐた。
江戸の初期 玉川上水
造られて 取水は四谷
大木戸で しかし明治に
なってから 浄水場が
淀橋に 造られ水は
和泉にて 取水し盛り土(ど)の
新水路 しかし関東
大震災 崩壊したのは
新水路 暫く水は
旧水路 その後工事を
開始して 地下に造った
トンネルは 新々水路
淀橋が 廃止の時まで 使用された
(反歌)トンネルは新々水路と思へたが四谷へ向かふ昔の水路
新水路を建設したのは、淀橋浄水場の緩速ろ過池に水を送るための動力費を省くため、高架にしたためだと思ふ。関東大震災の後は、旧水路を暫定使用したが一部汚染があったため塩素消毒を行ひ、後に甲州街道の地下にトンネルを開通させた。(終)

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