六百九十八(乙)、憲法記念日、上野公園で社民党と右翼の激突に遭遇

平成二十七乙未
五月三日(日) お墓参りの途中
今日は憲法記念日なので、「新しい憲法をつくる国民会議」(第46回)に参加した。会場は都営大江戸線の牛込神楽坂の近くである。たまたま連休中にお墓参りに行くことになり、だつたら都営地下鉄春季一日乗車券で両方一度に行くことにした。我が家の先祖代々のお墓は偶然、国柱会旧本部の近くにある。それならJRの鶯谷で降りればよいが都営地下鉄で上野御徒町から二駅歩く理由は、昨年四月の悪徳嘘つきシロアリ増税は許されないが、それ以上に許されないのは鉄道会社の回数券100円未満便乗値上げである。だからこれ以降、組合事務所に行く場合を除き近郊距離の鉄道は使はないことにした。そして今年二月末で組合を脱退したから、近距離の鉄道は乗らない或いは片道歩いたり別の経路を使ふなどで便乗値上げ分の10倍は鉄道会社に減収させることにした。
そのような中で都営バス一日乗車券と季節限定の都営地下鉄一日乗車券は値上げしなかつた。といふことで用事のあるときは二つ以上まとめて都営交通を使ふようにになつて一年が経過した。

上野公園の下で右翼の宣伝車が多数信号待ちをして、その外側を機動隊が警備してゐる。宣伝車は信号が青になると走らざるを得ないからそのまま走り一周して戻る。おそらく10台くらいが参加してゐた。お墓にお参りする間、右翼の宣伝が聞こえた。帰りは科学博物館の裏側を歩いて文化会館の前に出た。福島瑞穂が宣伝車で演説し、少し離れたところの警官隊の外側で右翼がマイクで抗議してゐた。
もし福島瑞穂が、日本のアメリカ属領化をますます進めるから今の情勢では憲法改正に反対だといふのなら、賛成である。つまり村山富市が解体する前の日本社会党の路線である。しかしさうではない。本日もアメリカの属領であることや米軍が日本に駐留することは無視して平和、平和と叫んだ。こんな偽善で欺瞞の主張には絶対に反対である。
右翼の人たちは感情に任せて福島瑞穂を非難する発言が多かつたが、通行人を味方に付けようといふ気持ちで発言するとよい。こんなところに多人数で徒党を組む左翼と、小人数で行動する右翼の性質が現れてしまふ。
尤も社民党も少数派である。国民の気持ちを学ばうとしないからだ。国民を見下したとんでもない選民思想である。これで社民党は左翼ではないことが判る。といつても右翼ではないから左翼崩れである。まああの程度だと日本社会党が健全なときだと右翼だが。これは旧社会党総評ブロックの用語である。あんな連中を右翼と呼んだら右翼の人たちに怒られる。
五月四日(月) 沖縄みやげ物店を見つける
上野公園からABABの前に出て松坂屋方面に歩くと、アメ横方面に向ふ道がある。といふことで歩くと、「あまちゃん」で有名になつたアメ横と上野通りの二又に出た。アメ横も上野中通りも雑踏なので戻る途中に沖縄みやげ物店を見つけた。ここで沖縄カンビール(リキュール類、税込み145円)を買つて飲んだ。私は昼間は酒を飲まない。結婚後は特にさうだが結婚前は例外として、上野駅正面口向ひに安い海外カンビール販売店があつてここで買つて公園内で飲むか、或いは玉川上水を新小平から三鷹、新小平から羽村、三鷹から新宿など歩くとき途中で退屈だからカップ酒自動販売機(当時は1級210円、特級220円、2級190円くらいだつた)で飲むことがあつた。結婚後は昼に酒を飲むことは会社の年末年始の納会新年会しかないが、今回辺野古埋め立て反対で沖縄県民への連帯のため(本当?)カンビールを飲んだ。

五月六日(水) 根津権現のつつじ祭り、植村冒険館
時間があるので、根津権現に行つた。根津神社のことだが、地元では権現さま、あるいは根津権現と呼ぶ。墓参りの後、歩いて根津までは近いが右翼と社民党の騒ぎが気になつたのでABABの前まで行つた。ここから引き返すのは大変だから都営地下鉄で白山まで行つた。往路は観潮楼、藪下通り経由、復路は日本医大、向丘高校経由で駅に戻つた。根津権現は参拝客が楼門まで並んでゐた。乙女稲荷でさへ五列くらい並んでゐた。本殿裏の縁日は人が多く歩けなかつた。

「新しい憲法をつくる国民会議」が午後四時で終つたあと、時間があるので志村三丁目で降りた。国際興業バスの志村営業所の前まで行かうと思つたが駅の案内図に載つてゐないのでその辺を一回りして、次の蓮根駅で降りると植村冒険館があるので行つた。植村直己は日本初のエベレスト登頂に成功したのを始め、世界初の五大陸最高峰登頂、世界初の北極点単独犬ゾリ到達、世界初のグリーンランド3000km縦断を成功させ、世界初の冬季マッキンリー単独登頂成功の無線交信を最後に消息を絶つた。
館内には寒さを防ぐための四重張りのテントや犬ぞりが展示され、最初はすごいなあと感心した。
ビデオで北極単独犬ゾリのテレビ(三十数年前に放送)を見た。夜テントが白熊に襲われたと基地に無線が入つた。テントの二重目まで爪で穴が開いた。ここまでは良かつた。ところが次に飛行機が氷の平らなところに着陸し物資を届けるところと、射殺され血を流すシロクマを見て、興味が半減どころか全減した。植村直己の冒険といふのは飛行機に守られたものだつたのか。北極に行けばシロクマがゐるのは当然だ。襲われたからと射殺することはないだらうに。
当時はまだ地球温暖化が明らかになる前で、壮大な大自然といふ感覚だつた。今では人類が地球を破壊し過ぎたから、植村直己の冒険は単なるわがままとしか思はれないしシロクマの射殺に至つては許されない行為である。三十年前に世界初を幾つも打ち立てた冒険家がゐた。それだけでよいのではないか。(完)


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