千九百四十七(うた) 渋55系統の変遷
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
二月十九日(日)
渋55系統は東急バスの路線だが、三月一日から京王バスに事業者変更される。経路も少し変はり、道玄坂上経由から、東急本店前経由に変はるらしい。
かつては幡ヶ谷折返場までただったが、二年前の四月一日から東北沢までに短縮された。二年間で変更は早すぎるが、京王バスが他の路線と統合するらしい。単独では赤字でも、他の路線を廃止や減便できれば、経費を削減できる。
小生が渋55系統に愛着を持つのは、かつて東急バス一日乗車券を利用する際に、よく利用した。通勤定期が新宿までなので、幡ヶ谷まで歩き、渋55の車内で一日乗車券を購入した。
鶴見に住んだときは、ときどき休日に一日バス旅を楽しんだ。このときは新横浜まで歩いてから乗車した。難関区間が二つあり、蟹ヶ谷と梅林だった。後に丸子橋を小杉駅前まで行く路線が出来て梅林が緩和されたが、今はまた多摩川駅までに短縮された。さうなると、あとは川崎から多摩川大橋を渡る路線だ。
鶴見区に住んだときには 東急のバス一日の乗車券数回買って 懐かしい訳はのんびり中堅時代

(反歌) 下の子が生まれ夫婦で一人づつ面倒見るを終へ時間あり
鶴見から、菊名と新横浜の中間に引っ越したときは、喜んで東急バスに乗るはずなのに、ほとんど乗らなくなった。五十八歳くらいになり、厠が近くなったためだらう。だから浦和に引っ越したあとに幡ヶ谷折返場まで歩いたのは、一日中乗るのではなく、駒沢公園などに行くときだ。
とは云へ、二年前に幡ヶ谷折返場まで来なくなるときは、国立代々木競技場からハチ公バスに乗るか、と代替案を出したくらいだった。本日路線図を見ると、ハチ公バスに新しい路線がいつの間にか出来て、代々木駅から乗ることができる。かつての幡ヶ谷折返場より、はるかに近い。とは云へ、厠が近くなって八年が経った。年を記憶する理由は、都バス梅70系統に乗る時、厠が近くなり、どこで寄ると計画を立てたからだった。
今後は催し物が駒沢公園などであり行く場合を除いては、利用する機会が無いかも知れない。それにしても前回のホームページを見て驚いた。蟹ヶ谷と梅林(高津営業所の先)の話を、ここでも書いたことを完全に忘れてゐた。
等々力(とどろき)と東京駅を結ぶバス 川崎発の五反田と 大井町から渋谷行き 三路線には魅力が多い

(反歌) 五反もの多い町並み東京の渋る轟き川の先まで 谷と田と駅

二月二十一日(火)
新宿から幡ヶ谷の手前までは、玉川上水の旧水路を歩く。これはバスが短縮されるまで楽しかった。玉川上水は、明治期になり淀橋浄水場を作るときに、和泉水衛所から下流は新水路と云ふ高架を流れた。これが関東大震災で壊れ、甲州街道の地下を流れるやうにした。
和泉水衛所から江戸時代の下流は、旧水路と呼ばれ、一部は緑道、一部は京王線の敷地になった。
幡ヶ谷の折返し場 新宿を出て目指すとき 楽しみは上水の跡昔を偲ぶ

(反歌) 玉川の水は市内へ三百年今は小平水衛所まで
今は監視所だが、組織を統合する前は水衛所だった。(終)

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