千二百五十四 浪曲鑑賞記(1.多くの人が浪曲を聽かう、2.木馬亭、浪曲協会に意見が二つある)
平成三十一己亥年
一月二日(水)天中軒景友
本日は久しぶりに木馬亭に行って、浪曲を鑑賞した。まづ天中軒景友さん。入門一年とは思へないうまさと年齢だ。浪曲協会のホームページを見ると
10年間スペインでギタリストとして活動した後、日本の芸能と風土の関わりを調べる中でごぜ唄と遭遇。語り芸の系譜を辿るうちに浪曲と出会う。
とある。西洋の音楽を経験した人が浪曲に出会へば興味を持つはずだ。私はかねてさう思ってゐたので、経歴になるほどと思った。浪曲協会は貴重な新人を得た。大切に育ててほしい。
一月二日(水)その二木馬亭、浪曲協会への意見その一
その次の若手は名前を伏せるが、これがよくない。まづ金髪では駄目だと云はれてかつらを被っただとかのつまらない私的会話を挟んではいけない。新作の浪曲だが更によくない。箇条書きにすると
(1)浪曲には、ほろりとする場面と、笑ふ場面が必要だ。この新作には、どちらもない。
(2)隣どほしの小学生が、お姉さんを皇帝に取られ、復讐するため幼年学校に入り、軍人となって昇進したといふところで話は終ったが、復讐に成功する確率は低い。僅かな確率で成功したとして、この二人は偽りの人生を歩んだことになる。そんな腹黒い浪曲を作ってはいけない。
(3)幼年学校に入ってからの後は、短い語りだった。こちらが本筋で、友達の性格がどうだった、小学校で何があった、などの退屈な話を長々と描写してはいけない。
以上のほかに、重大な欠陥がある。人類が宇宙に展開し独裁国と民主主義国があり、独裁国の話だと云ふ。ここでこの話者は民主主義がいいと偽善ぶるだらうと予想したら、そのとほりだった。
江戸時代にこの話をしたら偉い。明治維新後の東條内閣の時代にこの話をしても偉い。民主主義の世の中でこの話をしても、役に立たないばかりか、今では世の中がその先へ進み、民主主義の世の中でなぜ安倍みたいな人間が出てくるのかと云ふ民主主義の欠点を克服する方法を探す時代だ。
それなのに江戸時代や東條内閣の時代に話すべきことを得意顔で叫ぶ。その姿勢が問題だが、更に重大なことは、浪曲師は政治の話をしてはいけない。なぜならお客様には賛成の人と反対の人がゐるからだ。浪曲協会は、厳しく指導すべきだ。
一月二日(水)その三東家孝太郎
ここで舞台から向かって私の右隣の女性と小さな女の子が退席した。二人の会話から天中軒景友さんの奥さんと娘さんだと思ふ。その直後に今度は私の左隣に女性が座った。
次の東家孝太郎さんは上手だ。更にその次の奈々福さんが「今までの若手」と紹介したので、それにしては上手だと思ったが、インターネットで調べると浪曲協会理事。さすが理事の浪曲だ。
一月二日(水)その四玉川奈々福
玉川奈々福さんの登壇とともに、後方から「待ってました」の掛け声が上がった。私の隣の女性も「待ってました」と発声、私も「待ってました」と続けた。
奈々福さんも五、六人の方から掛け声があり、ありがとうございます、と人数を多少水増しして応じ、ここで浪曲教室が始まった。登壇のときは「待ってました」、待ってなくてもさう言ってください、で皆が笑った。演目を披露したときは「たっぷり」で、「ちょっぴり」と言っては駄目です、で観客がまた笑った。
そして新作の百人一首恋歌と現代語訳、それを浪曲に乗せる、を披露した。恋歌と云ふどろどろした話を軽快にさっぱりと演じる。だから聞いて楽しい。奈々福さんの話術には面白さがある。
一月二日(水)その五澤順子
澤順子さんの「鶴女房」は新作とは思へない古典のよさを受け継いだ作品だ。着物の袖を折り鶴を表現する姿が美しい。順子さんが終り幕が閉じたとき、隣の方に奈々福さんのファンなのか尋ねると、前に奈々福さんから浪曲を習ったさうだ。澤順子さんは日本舞踊を習はれたので鶴の仕草が美しいと話してくださった。
一月二日(水)その六玉川こう福
玉川こう福さんもよかった。よかったが話を思ひ出せない。悪ければ印象に残るから、思ひ出せないのは良かった証拠だ。メモを取ればよかったが、取らずに開演からトリまで鑑賞した。これまでの演者も浪曲協会のプロフィールを見ながら演目を思ひ出すのだが、こう福さんは写真しか載ってゐない。
インターネットで調べると、二代目玉川福太郎の弟子とある。初代福太郎は後の三代目玉川勝太郎で本名石渡栄太郎。
私が小学生のときに、妹の友達で石渡さんと云ふ女の子が、我が家によく遊びに来た。それから何十年も経過して、石渡さんは四代目勝太郎の娘だと知った。二代目福太郎さんは山形県酒田出身で、故郷でトラクターを運転中に横転し亡くなった。だから勝太郎の名跡は継ぐ者がゐない。
一月二日(水)その七木馬亭、浪曲協会への意見その二
ここで席を立つ人が多く、隣の席の方が「仲入りですか?」と訊くので「色物(浪曲以外の出し物)が一つあります」と答へた。三が日だけ漫談が入る。舞台から向かって右側の天中軒景友さんの奥さんとお嬢ちゃんと思はれる人たちが帰ったあと、暫くして60歳後半くらいの爺さんが一つ置いた隣に座った。
その爺さんが漫談の人に缶ビールを渡さうとした。受け取ることを躊躇った様子だったので私が爺さんに、止めたほうがいいですよ、と声を掛けた。結局ビールを受け取り、そのときは開けなかったが、暫くビールの話をしたあと開けて飲み始めた。ここで「たっぷり」と掛け声を発したら盛り上がるだらうとは思ったが、舞台が収拾不可能になるといけないので止めた。
さすがに一気に飲むことはできず、少し飲んでは話をすることを繰り返した。話自体は面白く、瞬時にビールの話からこれだけ続けられるのだから大したものだ。しかしやはりボロが出た。
この漫談師は元浪曲師で協会を除名になった。そのときの会長が春日井梅鴬でと話した。ここで止めれば、観客全員が温かい目で見ただらう。しかし春日井梅鴬の浪曲は調子が外れNHKの録音のときに観客が外で休憩してゐたと悪口を言った。この漫談師が登場する前も席を立つ人が多く、隣の人が仲入りと勘違ひしたくらいだ。立った人たちは浪曲が終ったからトイレに行っただけだと解釈したい。同じやうにNHKで観客が外にゐても事情がある。
除名の理由は、楽屋でビールを飲むことださうだ。これはこの漫談師が悪い。他の芸能人が飲まないのに一人だけ飲むと、示しがつかないし、悪習が広まるし、後から出演する人に失礼だ。会長だって一存で決めたのではなく、理事会に諮ったはずだ。
もう一つのボロは「今日の話はなんだっけ」が一回と、「あと5分あるのか」が一回口から出た。そのあと卑猥な話をした。観客には老若男女がゐる。卑猥な話を聞きたくない人もゐる。私が落語への興味が無くなり、講談、浪曲を重視するやうになったのは卑猥な話がなく誰でも楽しめるためだと云ってもよい。
一月二日(水)その八神田阿久鯉
昨年、落語を聞く国会議員の会ができたさうだが、落語より講談、浪曲を聴き、ときどき点在する笑ひを逃さないほうが、国会や街頭演説の話力向上に繋がる。
仲入り後は、神田阿久鯉さんが代演した。講談のバシッと云ふ音は心地よい。それ以上に阿久鯉さんの話がよかった。
一月二日(水)その九大利根勝子
続いて浪曲に戻り、大利根勝子さんの話は、幼少の時に熱病で視力を失った話から始まった。前につまらない私的会話は入れてはいけないと書いたが、今回は必要な情報だ。この一言を入れることで、視線の違和感がなくなるとともに、観客席全体が応援する。目が不自由でも芸能人としてやって行ける。多くの障碍者に希望を与へる。大利根勝子さんは芸能界だけではなく日本にとり貴重な存在だ。
一月二日(水)その十東家浦太郎
トリは東家浦太郎さん。七十六歳とは思へない熱演だった。インターネットで調べると、十一年前に脳梗塞で入院。登壇直後に、最初は声が出るか判りませんが次第によくなると話されたのは、さう云ふ事情があった。
一月二日(水)その十一印象に残った演題
今回印象に残ったのは、やはり初めて聴く演題だ。越後伝吉一粒万粒は、細かい数字が面白く、旦那に呼ばれた先輩が旦那のゐないところではと言ひかけて慌てるところも面白く、伝吉が店の旦那に預かり証を書かせる場面も面白い。お米は大切にしなくてはいけない、正直でなくてはいけないと云ふ教訓も入る。
正式名を思ひ出せないが、赤穂義士伝から銭湯の隠居の話も面白かった。なるほど昔の銭湯は湯舟で誰か入ってゐるか判らないのかと興味深く聞いた。
一月二日(水)その十二掛け声
観客席の掛け声全体のうち四割は私が発した。私以外に二名ゐて、一名が掛けると私も続けた。あと私の隣席の女性が、奈々福さんと浦太郎さんに掛けた。
奈々福さんが説明されたやうに、舞台は観客の影響を受ける。芸人にやる気を出させるのは観客の務めだ。今日の公演で、私はかなり盛り上げる役を果たした。会場は後方にパイプ椅子も二列ほど並んだ。会場が盛り上がったので、途中で帰る人がほとんどゐなかったのでは、と想像してゐる。
一月二日(水)その十三過去のページ
過去に浪曲を取り上げたページは、九つある。
百十四(その一)、浪曲と講談の復興を
百十四(そのニ)、講談は浪曲に発展した
百十四(その三)、兵頭裕己氏批判)
百十四(その四)、玉川勝太郎
百三十の二、西洋音楽が戦前は軍国主義に、戦後は退廃したアメリカの属領に導いた(その二)
四百七十三、国民歌手藤圭子(今こそ日本に演歌の復活を)
七百八十五(乙) 浄土真宗(1.正信偈の節回し、2.節談)
七百八十六 最近のニュースから(1.国本武春師の死去、2.共産党が国会開会式に出席を発表)
千二十七 テレビ「浪曲特選・夏」を観て
このうち最後の『テレビ「浪曲特選・夏」を観て』について、訂正をしなくてはならない。一昨年九月の時点では、男のほうが浪曲に合ってゐると書いたが、今回木馬亭で鑑賞してみて、男女にまったく差が無いことが判った。今まではテープやCDで鑑賞することが多く、今から七年前くらい前は男性浪曲師の出演のほうが多かったが、今回は女性が多くこの結論に達した。女性が多いことを浪曲の特長として今後は発展の余地がある。(終)
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