千二十七 テレビ「浪曲特選・夏」を観て
平成二十九丁酉年
九月二十五日(月)
昨日は午後二時半から四時十分まで、NHK教育テレビで「浪曲特選・夏」を観た。九月の下旬なのになぜ夏なのかと誰もが不審に思ふが、これはインターネットで調べると一般の方が書かれてゐるので理由が判った。七月二十八日(金)の午後六時から九時まで「NHK東西浪曲大会」が開催された。プログラムには放送予定「浪曲特選・夏」九月二十四日と書いてある。
テレビを見ながら、どこの会場だらうか、NHKホールだらうか、と考へたがプログラムによればイイノホールだった。演題は
『楽満寺』国本はる乃、曲師…沢村豊子
『地べたの二人~おかず交換』玉川太福、曲師…玉川みね子
佐倉義民伝『佐倉宗五郎妻子別れ』天中軒雲月、曲師…沢村豊子
「企画コーナー」玉川奈々福、曲師…沢村豊子、玉川みね子、若手浪曲師…玉川太福、港家小ゆき、天中軒涼月、国本はる乃
左甚五郎『竹の水仙』京山幸枝若、曲師…一風亭初月、ギター…京山幸光
『徂徠豆腐』澤孝子、曲師…佐藤貴美江

ラヂオの全盛期は浪曲の全盛期でもあった。しかしテレビの登場とともに、浪曲は衰退を続けた。演者だけをずっと映すにはテレビの情報量は多すぎる。本来は関連する場面を映すべきだ。例へば佐倉義人伝では、宗吾霊堂、渡し船と宗五郎、子別れの場面の絵を映す。しかし演者とテレビ局は独立だから、テレビ局にはできない。ここは演者が演台の上に出演時間の一割程度絵を提示すべきだ。寄席で演じるときは提示しない。テレビで放送されるときは提示する。これでテレビの人気を少しづつ回復できる。

九月二十六日(火)
玉川太福の新作浪曲『地べたの二人~おかず交換』はよくない。新作を創る意欲は分かるが、隣の人の弁当のおかずを食べたくなったと云ふ意地汚い話を題材にしてはいけない。聴いてさわやかさの残る話題を選ぶべきだ。
面白い話にする方法もある。しかし隣の人の弁当のおかずの話は、まったく面白くない。つまり浪曲の目的であるさわやかな話でも、面白い話でもない。つまりこの話は聴き所がまったく無い。ちなみに面白い話は、退屈しない話と置き換へることもできる。つまり、さわやかな話と面白い話は両立が可能だ。

九月二十九日(金)
澤孝子は、木馬亭で観たことがある。当時と比べて顔が丸くなり年を取った、今年七十七歳だから当然だが。声はあまり年を取らない、これは見事だ。
天中軒雲月は子供の声色が良かった。と云ふか子供の声色は落語より浪曲のほうが、男の浪曲師も女の浪曲師も優れるやうに思ふ。或いは子供が登場する浪曲はいつも『佐倉宗五郎妻子別れ』のためか。
京山幸枝若は曲師のほかにギターが登場することにまづ眼が行った。ギターがゐても音色に違和感はなく、伝統を破壊してはゐない。新しい試みには、伝統を破壊する場合と、限界の壁を破る場合がある。観衆が喝采するのは後者だ。音色に違和感は無いが、曲師だけの場合と比べて音楽表現力が二倍になったかと云へば一割増しに留まった。伝統は破壊しないが、限界の壁を破ってもゐないところが難点ではないだらうか。あと、左甚五郎の描写に、顔が黒く出っ歯で云々があったが、これは止めて身なりがみすぼらしいだけに留めたほうがよい。おそらく師匠からさう習ったのだらうが、顔が黒く出っ歯でを云ふことによって会場が爆笑するならまだしも、くすりともしなかった。あと今の時代は、生まれつきの身なりは言及しないのがお約束だ。
国本はる乃の『楽満寺』は演題がよかった。入門は古いがまだ若いので、これからの人だ。

以上いろいろうるさいことを書いたが、若手浪曲師四人のうち三人が女性なので、私は思はず心の中で唸った。心の中だから本当に唸った訳ではないが。
看護師、幼稚園保育園の教師保母など女性が務めるのが当然と長年思はれてきた職業や、小学校教師、事務員など男女どちらでもよいが女性に人気のある職業と比べて、浪曲師はどちらかと云へば男向きの職業だ。もちろん澤孝子さんのやうに女性で活躍する人も昔からゐたが。男向きと思はれる職業に男が少ないのは、実は男性からは将来性が無いと判断されたからだ。
さうならないためにうるさいことを書くのだが、定席と異なりテレビは情報量が先日書いたやうに多すぎる。テレビのときは、紙芝居の絵を五枚程度用意し、いつも表示するのではなく、ところどころで表示しテレビ局にはアップで映してもらふ。これは必須だ。ぜひ将来は週に一回はテレビで放送されるやうになってほしい。テレビで放送されればラヂオでも放送されるやうになる。
と同時に、多くの人が浅草木馬亭の定席(月に七日間)を観に行ってほしい。テレビとは迫力と親近感がまったく違ふ。(完)

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