二千三百七(うた)梶原いろは亭鑑賞記
甲辰(西洋未開人歴2024)年
四月十六日(火)
四月一日に飛鳥山へお花見に行ったが、地域寄席梶原いろは亭の前を偶然歩いた。早速、いろは亭友の会へ入会し、本日「若手の会」を見に行った。これは木戸銭1500円、会員1000円と、普通の公演より安い。
まづ冒頭で出演者二人の対談がある。これはよい企画だ、と思ふのは初めだけだった。一人はディズニーが趣味だとして、ディズニーの雑談が延々と続き、実に退屈だった。特定の人向けの話を延々としてはいけない。
一人づつ落語に入っても、もう一人の出演者のことを楽屋落ち(楽屋話を暴露)した上に、自分の体験談(ロッカーが一杯だった、小銭が無かった、何か買って崩したら500円玉だった等々)が延々と続いた。落語もうるさいだけで、面白くない。疝気の虫が筋を引っ張るときの掛け声は、おどけて嫌味だ。
もう一人の出演者は、うるさくないので、落ち着いて聴けた。ここ十年程、テレビドラマで自分と余りに異なる行動をする人がゐると、ドラマ自体に共感しなくなることに気付いた。この落語は、商家の主人が親戚から預かった甥を小僧として店に置くが、この甥は頭が悪すぎる。観客の中で、自分と同じだと思ふ人は一万人に一人くらいだらう。だから落語自体は面白くないが、二つ目が演じるものとして、鑑賞できる。
初めての地域寄席にて 会場の雰囲気を知る一つ目で 若手の会の雰囲気を知るが二つ目 二つ目二人
反歌
一人目は幾つか受賞大声が理由か審査奇をてらふあり
友の会へ入った理由は、浪曲と講談の日もあるので、それらがお目当てだった。だから落語は今日の若手の会だけにしようかと思ったが、若手の会を聴いて、真打はどの程度が出演するのかと、逆に聴きたくなった。
浪曲と講談色物歴史あり 落語に負けずこれからも 人びとの為名調子心健やか世も健やかに
反歌
浪曲と講談色物伸びる余地落語より多く末が楽しみ
色物は、いろは亭の番組表に色物が落語に混ざってあるので気付いた。ここで用語解説を二つ行ふと
一、色物とは漫才、漫談、手品、物まねなど赤色で書く為に、さう呼ばれる。
二、番組は、テレビとラヂオでしか使はない用語だと思ふ人が多い。しかし、本来は能、狂言、寄席などの出し物のことである。
色物はこれから伸びる余地広く落語は落伍これは冗談
全ての芸事を応援したいが、落語だけ伸びすぎた為、浪曲、講談、色物に言及した。これも平衡運動の一つである。(終)
(追記)本日は板橋で十一時半まで仕事があり、開演は十二時なので駅まで走り、駅からいろは亭までも一部走った。だから、退屈だと辛口になる。終はったあと、家まで帰るのにすごく疲労感があった。
追記四月十七日(水)
二つ目が普段受け持つ時間と比べて、若手の会は持ち時間が長いことが原因だ。二人が交互に二つづつ上演するとよい。観客は飽きないし、出演者は無理に時間を引き延ばす必要が無くなる。
あと、太鼓を録音でよいので入れたら雰囲気が大きく変はる。
追記四月十九日(金)
噺の一言一言には、(1)面白い、(2)ほろりとさせる、(3)描写、(4)以上の(1)から(3)へ導くための補助部分、のどれかの働きをする。最初に演じた二つ目で疝気の虫が筋を引っ張る掛け声は、どれに該当するだらうか。本人は(1)面白い、と思ふかも知れないが、奇妙な掛け声は一回はともかく、何回も聴きたくない。つまり(4)を(1)と間違へたため、無駄な部分になった。掛け声を改良すれば(例へば、声を小さくする)大きく改善される。
二人目の二つ目(通算四つ目、は冗談)の方は、甥の演じ方が馬鹿過ぎて、しかも憎々しい。馬鹿な度合ひを弱くするか、可愛げがある馬鹿にするか、どちらかにするとよい。あと、おかみさん迄が馬鹿になってしまふのは、観客が飽きる。関西弁のせりふを甥とおかみさん合はせて二回に減らすとともに、おかみさんは馬鹿では無いが関西弁が判りにくかったので間違へた風にするとよいのでは。
芸人がテレビ以外で活躍の出来る世の中 ゆとりある住みやすい街健やかな街
反歌
梶原は落ち着いた街下町の香り漂ひ心健やか
宅地化されて五十年以下の新興住宅地は、歴史が断絶してゐる。梶原も古くは農地だとしても、宅地化や零細工場の街になり百年の歴史がある。だから心に落ち付きがある。
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