八百六十(その一) 築地本願寺批判(中島岳志氏を呼んではいけない)

平成二十八年丙申
七月二十四日(日) 築地本願寺の本堂のパンフレット
昨日の築地本願寺仏教文化講座は「みんなが気づいていない日本の強さ」といふ魅力的な題なので、拝聴のため参拝した。しかし本堂に置いてあった別の日の「中島岳志が平和を語る」といふパンフレットを見て驚いた。中島岳志氏の主張は低質(単純思考、本質を見ない)な上に悪質(アジア蔑視)なので、当ホームページでも批判してきた(中島岳志氏の「保守と右翼」批判西洋猿真似中島岳志氏批判)。 築地本願寺はなんでこんな男を呼ぶのか。
かつての平和運動と異なり、村山富市が社会党を消滅させて以降は、米英仏蘭は正しく日本は間違ってゐたといふ奇妙な平和運動になった。それでは西洋列強の植民地支配を正当化してしまふし、ベトナム戦争はフランスとアメリカが正しいことになってしまふ。だから村山富市以降に平和を叫ぶ人間の大半は偽善者だ。
我々仏教徒の立場からは、否、全世界の全宗教信者の立場からは、すべての人間は本来は平和主義者だと考へるところから出発しなくてはいけない。ところが村山富市以降に平和を叫ぶ人たちは「私たちだけが平和主義者なんです」といふ偽善の立場だ。

七月二十六日(火) 君が代は西洋音楽か
中島岳志氏の保守と右翼」批判を改めて読み直して、九年間の月日の流れを感じた。ここからのリンクで「君が代」が西洋音楽ではないと私が主張したことについて、今改めて考へると「君が代」は日本音階だ。なぜ当時は日本音楽ではないと感じたのだらうかと自問してみた。
今回私の頭の中では琴で君が代が演奏されることを想定した。すると日本音楽だ。あのときは式典で吹奏楽の伴奏で皆が斉唱することを想定した。楽器、発声法、和音。やはり西洋音楽だ。このやうに考へると、九年前に考へたことも間違ひではないと思ひ直した。
伝統を次世代に渡すことは重要だ。しかし守旧や既得権になってはいけない。能動的な保守が必要だ。このやうに考へたとき、中島氏の主張がなぜ間違ってゐるのかも明らかになる。

七月二十七日(水) 君が代から中島氏を論評
君が代は和洋折衷だ。音階は日本式、発声法などは西洋式だ。木曽節で君が代を歌へば純日本風だ。中島氏の主張は完全に西洋式だ。何しろインドの伝統主義者たちを批判し、西洋を称賛する。それでゐて保守を自称するから私は中島氏を悪質だと断定する。
仏教はインドが発祥の地だから、インドの伝統主義を批判し、インドの西洋化を応援する中島氏を仏教寺院に呼ぶのは適切ではない。

七月二十八日(木) 横山禎徳氏の質問受け付けを阻止
この日の講演ののち、横山禎徳氏が質問を受け付けようとした。ところが築地本願寺が合図したため横山氏は、終はりにするようにと指示がありましたので、と終了した。これほど後味の悪い終はり方はない。昨年浅草寺仏教文化講座で、丸山茂徳氏が民主主義が戦争を抑止すると話されたことに対しおそらく年配の方(私の位置から質問者が見えなかった)が、資本主義が戦争の原因では、と質問された。これなんかよい質問だった。どんな質問にも答へられないことはない。あと講演で重要なのは講演本体の部分であって質問は時間も短いしそれほど重要ではない。それなのになぜ築地本願寺は質問受け付けを止めるのか。
これで中島岳志氏が後日別の催しで出演することを含めて批判することにした。中島氏の出演はそれほど重要な問題ではないし、この催しは築地本願寺が主催者ではないので触れないつもりだったが、批判せざるを得なくなった。

七月二十九日(金) 昨年も同じ趣旨の講演会
中島岳志氏の講演会は、自由に入場できる訳ではない。予め氏名、住所などを申し込むと入場券が送られる。昨年も別の講演者で同じ企画があった。お寺の行事は人数が多くなり過ぎるといけないので制限することはあっても、予め氏名を連絡しなくては開催できない行事はあってはならないと昨年感じた。感じたが人それぞれ思考の違ひがあるから、詳細を一つ一つ批判することは適切ではない。しかし今年は講演者が中島氏で偏向が過ぎるので批判することにした。

七月三十日(土) 悪魔の思想、唯物論
昔は科学と宗教の境界が今と異なってゐた。しかし織田信長の時代はキリスト教が国内に入ることにより、江戸時代の末期からは欧米の文化が急激に流入することにより、境界と実態に齟齬を生じた。だから宗教を信じてゐても唯物論の場合が多い。ラジオ体操をすると健康になると信じることと、神仏を拝むとご利益があるといふことに本質の差は無いからだ。
それでは唯物論をどう定義すればよいかと云ふと、物質を揃へても同じ生物に進化することは無いと信じることと、高等生物から発生する文化も同じものは二度と生じることはないと信じることだ。前者はキリスト教の教義を科学的に補強するからキリスト教に有利だ。このことはこれまで何回も書いてきたのでまとめると
三段階の唯物論
悪魔の思想、リベラル(=唯物論)
レーニンの「唯物論と経験批判論」は極めて有害である
唯物論を考える
宗教を信じても唯物論に陥った典型として妹尾義郎がゐる。
妹尾義郎はどこで道を間違へたか
中島岳志氏が宗教を信じるのかどうかは不明だが、唯物論であることは間違ひない。非欧米地域にあって無条件に欧米文化を取り入れることこそ典型的な唯物論なのだから。(完)


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