八百六十(その二) 東京大学特任教授横山禎徳氏「みんなが気づいていない日本の強さ」に前半賛成、後半は築地本願寺が原因で批判

平成二十八年丙申
七月二十三日(土) 題から魅力的な講演を確信
本日の築地本願寺仏教文化講座は東京大学特任教授横山禎徳氏の「みんなが気づいていない日本の強さ」といふ魅力的な題のため、四ヶ月ぶりに拝聴に行った。私のメモによると最初に
・フランスによる「国民国家」、イギリスによる「人類の進歩と進化」、アメリカによる「物質的に豊かな中産階級の生活」といふ世界の流れが、9.11で崩壊した。
・日本は農民、町民が戦(いくさ)と無関係。町の周りに城壁がない。世界でも珍しい。
・日本は歴史上、稀な「覇権主義になれない大国」。GDPは昔からずっと四位だったのが1967年に二位に。四位から二位になっただけ。
・法経の大学院生にアンケートを取ると「老人はすぐ日本を美化する」と書くが、さうではなく強い所と弱い所を明らかにした。
・日本が世界に向けて普遍的思想を提示する最初で最後のチャンス。
ここまで同感だ。法経の大学院生が「老人はすぐ日本を美化する」と感じるのは、西洋が正しいと教へる日本教育の欠陥が現れたと云へる。

七月二十六日(火) 前半の残り
前半の残りで次のお話があった。
・リスボンの大震災のときに指導者が、死者は海に流し、罪人数人を死刑にして無政府状態ではないことを示し、大通りを作った。
・3つの常識。日本の独特の強さとその背景「第一の常識」。時代を洞察するための多面性「第二の常識」。情報洪水の中で思考の規律を保つ「第三の常識」。
・「第一の常識」
富士山、日本列島、森林が国土の70%(江戸幕府が残した)
部族・民族紛争の無い国「単一民族の幻想」
漢語・和語とも抽象表現可能な言語
南北問題無く、東西文化圏の相互作用、東京と京都
中国から適当な距離
規律、責任感
人々の細かい工夫と匠、美意識、化粧のソフィスティケーション、アンメトリーなどビジュアルな抽象思考、うま味の発見
悪人正機などOxymoronな発想
滅私奉公、秋田藩の防砂林、人が見てゐるからではなく自分がうれしい。
お月見
ここまで大変有意義だった。

七月二十七日(水) 後半
講演は前半と後半に分かれた訳ではない。しかしここから話の内容が一変する。
「第二の常識」時代を洞察するため教養も必要だが、無知からの脱却を
憲法9条の前にケロッグ・ブリアン条約(1928)。この条約を最初に破ったのが日本
放射線の低い量の影響は判らない。原発の下に活断層があるといふが既に調べてあるから無い
食料はカロリー自給率のほかに金額自給率を
19世紀までは技術から科学で経験則を持ちえた。20世紀からは科学から技術で、素人の経験則は効かない
バイオ医薬と遺伝子組み換へ作物は同じ遺伝子工学を使ってゐることを素人は知らない。
話を聴いた直後は、憲法9条とケロッグ・ブリアン条約以外は疑問点はなかった。なかったが原発の下の活断層、食料自給率、遺伝子組み換へと話が、昔式に云ふと体制側、冷戦終結後で云ふと産業優先側だと感じた。
憲法9条とケロッグ・ブリアン条約は、まずこの条約は植民地を持つ側が都合のよいやうに作ったもので、しかも都合のよい例外解釈を次々に加へたから、まったくのザル条約だった。だから戦後ずっと問題にならなかった。私がこの条約で日本を批判する論調を日本人から聞いたのは今から十年前だ。それまでまったく問題にならなかったのがなぜ最近出て来たのかその理由を調べる必要がある。
それより憲法9条の根源をケロッグ・ブリアン条約なんかに求めてはいけない。江戸時代の最初と最後の短期間を除き、戦の無い世の中を引き継いだ、或いは聖徳太子の平和を愛好する精神を引き継いだ。これなら賛成できる。

七月二十八日(木) 後半の残り
後半の残りは
「第三の常識」インターネット等で情報がすぐ入る状態から抜け出す。不毛な議論から抜け出す。一般論ではなく場合分けして具体的に考える。食料自給率なら北海道、東北と地方別など、場合分けして考へる。
前半と後半には雲泥の差がある。「第二の常識」と「第三の常識」は本質的な話ではない。そもそもこの日の講演は「みんなが気づいていない日本の強さ」だから、前半だけが該当する。しかし最後に次の話があったため、この問題点に気付くのが先送りされた。
プロダクトイノベーションウォークマン、デジカメ日本が強い
コンセプトイノベーションカーナビ、カーボンファイバ日本が強い
システムイノベーション交番の防犯システム、国民皆医療システム、高速電車による新幹線システム発展途上国時代はできたが今はできない。
今必要なのは、社会システムのイノベーション能力。


七月二十九日(金) 不戦条約
講演を聴いて即座に疑問を感じたのは不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)だ。あの当時、アジアアフリカのほとんどが植民地だったから、それを容認して列強どうしがどんな条約を結んでも偽善に過ぎない。二番目に憲法九条の根源をこんなところに求めてはだめで、もっと古いところにしなくてはいけない。例を挙げると、浄土真宗の根源は釈尊の説法、或いは法然上人、親鸞聖人に求めるべきで、明治維新後の西洋式法律体系が(宗教法人)浄土真宗本願寺派と(宗教法人)本願寺の根源になった、などとは口が裂けても言ってはいけないのと同じだ。
家に帰ってから不戦条約を調べると更に問題点は深い。ウィキペディアによると
条約批准に際し、アメリカは、自衛戦争は禁止されていないとの解釈を打ち出した。またイギリスとアメリカは、国境の外であっても、自国の利益にかかわることで軍事力を行使しても、それは侵略ではないとの留保を行った。アメリカは自国の勢力圏とみなす中南米に関しては、この条約が適用されないと宣言した。(中略)世界中に植民地を有するイギリスは、国益にかかわる地域がどこなのかすらも明言しなかった。国際法は相互主義を基本とするので、「侵略か自衛か」「どこが重要な地域であるのか」に関しては当事国が決めてよいのであり、事実上の空文と評されていた。
だから今から十年くらい前まで不戦条約は議論の対象にさへならなかった。
日本を代表する国際法家の信夫淳平は、第三十三回学士院恩賜賞を受けた戦時国際法講義に次の辛辣な不戦条約評を引用している。
「ケロッグ氏の原提案は戦の無条件的抛棄であった。然るに仏英両国の解釈の限定を受けたる結果として、本条約は最早や戦の抛棄を構成せざるものとなった。当事国各自が勝手に解釈し、勝手に裁定する所の自衛という戦は、本条約に依り総て認可せられる。これ等の例外及び留保の巾さを考うるに於ては、過去一百年間に於ける何れの戦も、また向後のそれとても、一つとしてその中に編入せられざるものありとは思えない。本条約は戦を抛棄するどころか、之を公々然と認可するものである。戦なるものは過去に於ては、適法でも違法でもなき一種の疾病と見られた。然るに今日は、この世界的の一条約に依り、事実総ての戦は公的承認の刻印を得たのである。本条約第一条の単なる抽象的の戦の放棄は、本条約に付随する解釈に依りて認可せられたる具体的の戦の前に最早や之を適用する余地は全然無いのである。
また
加瀬英明によれば、1928年12月7日、ケロッグ国務長官はアメリカ議会上院の不戦条約批准の是非をめぐる討議において、経済封鎖は戦争行為そのものだと断言したことを挙げて、日米戦争については、日本ではなくアメリカが侵略戦争の罪で裁かれるべきだったとしている。
国際軍事裁判においても
日本側弁護人の高柳賢三が、裁判所に提出した「検察側の国際法論に対する弁護側の反駁」(昭和22年2月24日第166回公判では全文却下全面朗読禁止、昭和23年3月3~4日第384~385回公判にて全文朗読)の中で、(中略)不戦条約が満州事変以降の日本の戦争を断罪し被告人を処罰するための法的根拠には成り得ないことを論証した。
1.本条約は自衛行為を排除しないこと。
2.自衛は領土防衛に限られないこと。
3.自衛は、各国が自国の国防または国家に危険を及ぼす可能性あるごとき事態を防止するため、その必要と信じる処置をとる権利を包含すること。
4.自衛措置をとる国が、それが自衛なりや否やの問題の唯一の判定権者であること。
5.自衛の問題の決定はいかなる裁判所にも委ねられるべきでないこと。
6.いかなる国家も、他国の行為が自国に対する攻撃とならざるかぎり該行為に関する自衛問題の決定には関与すべからざること。


七月三十日(土) 後半の問題点
後半はまづ「第二の常識」で、教養と無知からの脱却の違ひを説明されなかった。もちろん無知はないほうがよいが、一言で解消する場合がほとんどだ。例へばこれこれの理由で活断層の上に原発は無い、と一言云へば済む。無知が悪いのではなく聞く耳を持たないことが悪いのではないのか。
今は科学から技術の時代だから素人の経験則が成り立たないと云はれた。しかし商品や制度は人間の感性と合はないものは成功しない。科学万能の例を挙げると、子は親の遺伝子を半分づつ受け継ぐ。二代離れれば1/4、三代離れれば1/8になる。だから親鸞の遺伝子の僅かしか受け継いでゐない門主は廃止すべきだ、或いは新門が門主を継ぐときは権限を半分にすべきだと主張することが科学から技術だ。もちろん私はこんな議論には絶対反対だ。その理由は人間の感性と合はないからだ。
遺伝子組み換へ作物はバイオ医薬と同じ遺伝子工学を使ってゐると云ふが、遺伝子組み換へ作物は新しい生物を作ることだからすべての宗教の関係者は、人間の権限を越えた行為として批判し即刻停止させるべきだ。バイオ医薬については微生物を作ることについては認めてもよいかも知れない。今回横山氏は言及されなかったが、高線量放射線を生物に投射して突然変異を作る方法がある。これは自然界の現象を高線量にしただけだといふ理屈がまかり通ってゐるが、生物に高線量を投射するといふ残酷なことをしてはいけないし、それで新しい生物を生み出すことは人間の権限を越える。
「第三の常識」で情報過多から抜け出す、不毛な議論から抜け出す、一般論ではなく場合分けして具体的に考へるといふのはその通りだが、「第三の常識」として取り上げるほど重要な内容ではない。
最後に話された三つのイノベーションのうちシステムイノベーションがなぜ日本でできなくなったかと云へば、アメリカの猿真似ばかりになったからだ。かつて日本の自動車は時速100Kmを超えると警告音が鳴ったがアメリカが貿易障害だと批判したため廃止された。このやうにかつては日本独自に考へ国内に流通してゐたのに、今はアメリカの圧力に屈する、アメリカの制度の猿真似をするようになった。だからシステムイノベーションができなくなった。

七月三十一日(日) まとめ
築地本願寺は浄土真宗本願寺派だが、真宗大谷派のお東さん騒動を無視することはできない。真宗大谷派は法主と新門を追ひ出した(法主は離脱に失敗したが門主への就任は拒否)ため、宗内の多数が当時の言葉で云へば革新側になった。政治の世界はその後、米ソ冷戦終結とともに革新が消滅し、代はりに米英は進んでゐて日本や他のアジアは遅れてゐるといふ奇妙な主張に変はった。真宗大谷派の多数は残念ながらこの主張に引きずられてゐる。
浄土真宗本願寺派は組織上この流れとは無縁だが、政治の旧革新側が選挙のときに支持や投票をお願ひに来たり、平時にあっては9条の会に入りませんかと来たりするため、かなり影響は受けたと思ふ。その根拠が築地本願寺に拝西洋の学者を呼ぶ昨年と今年の催しだ。
横山禎徳氏は安芸門徒の系統で、宗内の役職にも就かれてゐる。だから宗内の流れが講演に現れたのかとも考へられる。その根拠は題が「みんなが気づいていない日本の強さ」だったにも関はらず、その話は全体の三分の一で、残りの三分の二は別の話をされたことだ。横山氏の著書を三冊図書館で予約し、本日受け取るので検証を続けてみたい。最後に、宗門の役職にも就かれ、しかも学問の道も究められる横山氏に敬意を表するとともに、題の「みんなが気づいていない日本の強さ」が講演の全体を占めるものもぜひ聴いてみたいと思ふ。(完)


東京大学批判その十七(その三)、東京大学批判その十九

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