八百三十六(その二) 西洋猿真似中島岳志氏批判(朝日新聞批判、その二十八)
平成二十八年丙申
五月四日(水)
ニセ保守、西洋猿真似の中島岳志氏
四月十三日の朝パンフレットは中島岳志氏を登場させる。中島氏の発言も変だが、パンフレット製作者(自称記者)の書いた文章は更に変だ。冒頭から
ものごとを変えたがらないはずの保守が「憲法を書き換えろ」と言い、革新が好きなはずのリベラルが「絶対に変えるな」と言う。
ふだん当たり前に受け止めているが、考えてみれば、ねじれている。そこで、「保守」を自任する日本思想史の研究者・中島岳志さんに聞いてみた。この議論って、どこか変じゃないですか。
変なのはパンフレットの文章だ。まづ、ものごとを変えたがらないのは保守ではなく守旧だ。革新が好きなはずのリベラルといふが、米ソ冷戦時代に日本でも保守、革新と二大勢力に分かれた。つまり革新は昭和六十年あたりまでの社会主義勢力の意味だつた。
次に中島岳志氏を保守だと分類する人はほとんどゐない。本人が勝手に自任するのは勝手だが。次に中島氏の発言を見よう。
まず保守とは何かを知らなくてはなりません。保守思想の祖といわれる18世紀英国の思想家エドマンド・バークは、フランス革命を厳しく批判しました。(中略)人間は優れた理性で世の中を合理的に設計し、完全な社会をつくることが可能だという考え方に、バークは意義を唱えた。
つまり人間の力を過信してはいけないといふことで、その意味ではバークに賛成だ。しかしバークの時代はフランス革命と反革命といふ対立軸だつた。日本では江戸時代末期には西洋文明を取り入れるか否かといふ対立軸があり、その後は政府と壮士、地主と農民などいろいろな対立軸が生まれては消えたものの、西洋の猿真似をするかどうかといふ対立軸は今でも続く。そして西洋の猿真似を主張する連中は自分に都合のよい部分だけ真似をするため、さらにゆがんだ物となる。非西洋ではそこまで考へなくてはいけないのに、中島氏は単純にバーグの猿真似をすればよいと思つてゐる。その単純志向には呆れる。
五月四日(水)その二
バークについて中島氏は更に
不完全な存在である人間が構成する社会もまた永遠に不完全であるはずだ。しかし、安定した平和的秩序はつくっていかなくてはいけない。そのとき、長年の風雪に耐えてきた良識や慣習、伝統といった経験知に依拠すべきだとバークは考えました。これが本来の保守です。
このようなことはバークを引用しなくても当り前の話だ。しかしバークの主張自体は正しい。ところがここから先は曲学阿世といふ言葉がぴつたりなほど主張が歪曲してしまふ。まづ
立憲主義は、国民が憲法という禁止条項で権力を縛るものです。その根底にあるのは、人間の理性には限界があり、必ず間違いを犯す、権力者も時に暴走してしまうという保守的な人間観です。
こんなでたらめは中島氏でなければ云へない。この程度の男が大学教授とは驚く。保守主義以外の国にも憲法はある。憲法は政府の正当性を示す基本文書だ。そもそも憲法を作つたのは人間だから、その理性には限界がある。
五月五日(木)
中島氏は歪曲を続ける。
さらに保守は、国民の中に、『過去の国民』を含めます。僕は『死者の立憲主義』と呼んでいますが、今生きている人間だけではなく、過去の膨大な経験や試行錯誤の蓄積が政府を縛っている。権力や民主主義が暴走して、多くの犠牲者が出た。保守は、そうした死者の経験知を踏まえた安全弁として憲法を考えます
『過去の国民』を主張したのは西部邁氏だ。西部氏の云ふ過去には、平安時代や江戸時代なども含まれる。だから私は西部氏の説に賛成だ。西部氏は保守の長老でありながらその発言にカタカナ語が多く癖がある。終戦のときが六歳で社会が混乱した時期だから仕方がないとも云へる。西部氏は小林よしのり氏と仲が良かつた。小林氏も癖がある。小林氏の癖は社会を憂へる熱血から発生したものだから暖かく見守るべきだと私は考へてきた。西部氏と小林氏を相殺することで癖を取り除いたのが佐伯啓思氏の主張で、だから私の考へは佐伯氏に一番近い。
中島氏の場合は、西部氏の思想を歪曲したもので極めて良くない。私は「極めて」だとか「非常に」といふ単語を普段は使はないから、中島氏は本当に悪質でよくない。西部氏は小林氏と離れたあと、中島氏を近づけた。小林氏と離れた衝撃からかあるいはもうろくしたのか。それほど西部氏と中島氏は異なる。
中島氏が頭の中で考へる「過去の国民」には、大東亜戦争前辺りからの国民しか入らない。或いは226事件、515事件、世界大恐慌以降の国民しか入らない。西部氏の「過去の国民」には平安時代や江戸時代も入る。当時の西部氏の発言を読めばそれは明確だ。ただし小林氏と別れた後は、明治以降と云ふかもしれない。もし万が一さう云つたとしても平安時代や江戸時代を含めることと差はない。我々が生きるのは明治維新以降の社会だからだ。
それなのに中島氏はその違ひにこだはつて、西部氏は保守、小林氏は右翼と変な主張をした(中島岳志氏の「保守と右翼」批判へ)。
ここで中島批判を一旦休止して小林よしのり氏の熱血漢から発生した癖について述べると、小林氏は過去の国民とは云はないがもし小林氏の考へる過去の国民とは何かを考へると、明治維新以降或いは大東亜戦争の犠牲者かも知れない。これは直近の現象を取り上げるといふまさに熱血から出たものだ。西部氏は明治維新以前も含めるから、中島氏の分類法だと西部氏は右翼、小林氏は保守になつてしまふ。なぜこんな逆転現象が起きるかといへば、西洋的なものが保守、日本的なものが右翼と安直に分類するからこのようなことになる。せつかく中島批判を一旦休止しようと思つたのに中島批判に戻つてしまつた。それほど中島氏の主張は出鱈目だ。
五月六日(金)
中島氏はここで一見正しさうなことを云ふ。
憲法を変えてはならないというのは、ある特定の時代の人間を特権化することにつながります。日本国憲法制定に関わった人たちだけが、この国のあり方を決定し、明文化できるというのはおかしい。彼らもまた不完全な人間であり、彼らのつくった憲法も不完全であるはずだからです。
この発言には重要なことが抜けてゐる。敗戦、米軍占領下といふ日本史上で最も(或いは三番以内の)異常な事態で制定されたといふ事実を忘れてゐる。中島氏は続けて
社会は変わっていきます。何かを保守するためには、少しずつ変えていかなくてはならない。(中略)憲法も少しずつ変えていくべきです。ただ、一気に変えようとしてはいけない。抜本的な書き直しをすると、革命のようなことになってしまう
今の憲法が明治憲法を少しづつ変へ、明治憲法は江戸時代の武家諸法度や町民へのお触れ書きを少しづつ変へてきたものなら、今後も少しづつ変へるべきだ。だが実際には敗戦、米軍占領下といふ異常事態で作られた。だから本来は完全に書き換へるべきだ。しかしそれだと変化が大きすぎる。だから一条だけでもよいからまづ変へてあとは次世代に任せようといふのが、改憲論の大多数だ。私もこの立場だ。だから中島氏が保守を自任する必要はない。
五月七日(土)
安倍さんのように『憲法を一気に変えてしまおう』という人と、『一文たりとも変えるべきではない』という『護憲派』は、特定の人間が絶対的に正しいものを設計できるという設計主義に立っている点では、同類だと言えます。本来の保守は、そのどちらの考え方も採りません。
もう一人設計主義の人がゐる。マッカーサ、GHQの作った憲法が、当時としては絶対的に正しいと信じてしまつた中島氏だ。だから
70年前に比べ、社会の状況が大きく変わっています。
と70年前に間違つてゐたことは認めない。
五月八日(日)
日本では、保守もリベラルも、本来のかたちからは逸脱してしまっています。本来は、保守こそがリベラルなんです(中略)リベラルのもともとの意味は『寛容』ですから(以下略)
この発言はカタカナ語を安直に使つてはいけない典型だ。Googleでリベラルと入力すると
リベラル
1.自由なこと。
2.自由主義的。
と表示される。これが常識的な解釈だ。リベラルを寛容の意味で使ふ人は一人もゐない。カタカナ語は日本に入つた時点で元の意味とは異なる。例へばアイロンは洗濯物に使ふしアイアンはゴルフの道具だ。しかしどちらも元は鉄といふ意味のironだから、鉄製以外のアイロンやアイアンを使ふやつはけしからぬ、と云つてみたところで何の意味ももたない。中島氏はそれと同じことを云つてゐる。カタカナ語を安直に使ふと、かういふ我田引水の主張をする人間が出てくる。
政治思想の歴史をたどっていくと、寛容を重視してきたのは保守だとわかります。保守は20世紀を通じて、全体主義と共産主義という、きわめて非寛容な政治体制を批判してきました。
自由主義を経済に当てはめると新自由主義になる。新自由主義は決してここ二十年くらいに登場したのではなく、産業革命の直後にも発生したし、帝国主義の時代には植民地に発生したし、米ソの冷戦が終結した後は世界中で発生した。新自由主義を抑へようとした運動の堕落或いは劣化したものが、中島氏の云ふ全体主義であり共産主義だ。
堕落或いは劣化した全体主義や共産主義が発生した理由を批判せず、現象を批判する。その表層的な見方には呆れる。中島氏は最後に
この静かな日常を次の世代に受け渡すということが、保守の最大の目標です。そのために永遠の微調整を続け、日々の暮らしを大切にしていく。それが保守です
確かに静かな日常だ。しかし民進党(当時は民主党)の詐欺行為により、消費税増税は確実に地方と基盤産業と国全体を蝕ばんでゐる。その前の非正規雇用拡大も確実に蝕んでゐる。そしてこの静けさは地球滅亡と引き換へだ。
そんなことも判らないのか。また、次の世代に受け渡すと云つても、戦後の日本はGHQの偏向がある。その是正をせず次世代に静かな日常を受け渡すことはできない。精神を蝕むからだ。
五月四日の内容に一つ補足説明をすると、長く続いたものが伝統ではあるが、外部から力が働いた場合は当てはまらない。例へば昭和六十年辺りまでの繁栄は米ソ冷戦といふ力があつたためだし、そもそも世界全体が発展してゐるのは地球滅亡と引き換へといふ力が働くからだ。中島氏がここまで考へることは無理なやうだが。
私がなぜ中島氏を不快に思ふかと云ふと、前にインド文化を西洋の目で見て軽蔑したからだ(中島岳志氏の「保守と右翼」批判へ)。中島氏の西洋かぶれは九年前と変はつてゐないからだ。(完)
(その一)、「朝日新聞批判、その二十七(マスコミの横暴を許すな56)」へ
(その三)、「朝日新聞批判、その二十九(マスコミの横暴を許すな58)」へ
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