78、中島岳志氏の「保守と右翼」批判

平成十九年
九月三十日(日)(論座の論文)
朝日新聞に論座という雑誌がある。TOTOの便座ではない。この論座の7月号に「思想と物語を失った保守と右翼」という中島岳志氏の論文が載った。今回はこれを取り上げてみよう。
中島論文は政治勢力を次の4つに分類している。

権力・統治
(小泉)
革新政党
   保守    
(西部)
市民団体
新左翼
   右翼   
(小林)
民衆・抵抗
理性主義・設計主義・主知主義 <----------------> 歴史感覚、伝統重視、主意主義

西部邁氏は保守、小林よしのり氏は右翼、「小泉的ネオ・リベラリズム」は革新政党の右上部に位置するそうだ。この分け方は大変に間違っているので、これより明らかにしていきたい。

十月三日(水)(奇妙な分類)
西部氏、小林氏がアメリカ追従の自称保守に対してアホ、腰抜け、ビョーキ、ポチと批判したのはつい数年前のことである。それなのに西部氏と小林氏を別のグループに分けている。しかも自称保守の連中が抜けている。ポチだから人間ではないというのなら判るが、中島氏の分け方からすると保守に入れるしかない。つまり西部氏と小林氏を分断したい下心がよく現れている。
次に左上に革新政党というのがある。この言葉は55年体制の遺物であり、今では意味を為さない。しかも小泉元首相を革新政党に入れている。小泉氏が総裁のときは多くの自民党議員は小泉氏を支持したから自民党の大半は革新政党ということになる。

十月五日(金)(欧米猿真似論文)
民謡はいつまでも歌い継がれるが流行歌はすぐに消える。何となく先月の話題を引きずっているがそれはさておき、このことから判るように伝統を守ることは永続する確率が一番高い。一方で伝統にも錆や埃が溜まる。革新という清掃も必要である。しかし革新が行過ぎることもある。良識のある人は平衡を考える。こんなことは欧米の学者を引用しなくてもすぐ判るではないか。当たり前のことを中島論文は「恐れ」「警戒」「本性」とわざと印象を悪くする引用で説明している。
中島論文は伝統主義と保守主義を分け、保守主義はフランス革命の反対潮流として産声を上げたと主張する。しかしフランス革命という異常事態に対応するための主張に過ぎない。伝統主義と保守主義は同じである。日本に持ち込む話ではない。あるとすればフランス革命の根底にある人類は進歩するという考え方が今でも残っている。西部氏が主張するようにこの思想はアメリカ、ソ連という兄弟を生み米ソの内ゲバを経てアメリカが勝った。その対策にエドマンド・バークを引用するならいいが中島論文はアメリカに反対する訳でもない。珍妙な論文である。

十月六日(土)(印象を悪くする言葉)
中島論文が良くないのは意図的に印象を悪くする言葉を使っている。「恐れ」「警戒」「本性」については昨日触れたので、今日は「右翼」「新左翼」を取り上げよう。伝統主義と保守主義を分けること自体が昨日述べたように適切ではないが、伝統主義と呼べばいいものを右翼と呼んでいる。右翼とはフランス革命時の議席のことで反対側に左翼がいる。ところが中島論文には左翼がない。代わりに新左翼がある。日本では右翼は総会屋や暴力団、新左翼はハイジャック、浅間山荘、内ゲバと極めて印象が悪い。そういう言葉を小林氏や雨宮処凛さんの分類に使っていいと思っているのか。ずいぶん非常識な男である。市民団体だけにすればいいものを新左翼とここだけわざわざ2行入れるところに中島論文の悪質さが現れている。

小林氏も「わしズム」2007年夏号で堀辺正史氏と次のように対談している。
(小林)本物の右翼の人たちが怒ると思いますけどね(笑)。
(堀辺)一般人が「右翼」という2文字を見たときにイメージするのは総会屋や暴力団のようなものなんですね。しかも大半の読者は「小林よしのりは右翼だ」という大見出しだけ見るので、ダーティなイメージだけが残るんです。

十月七日(日)(妥協、議論は大目的があってのこと)
中島論文では「小泉的ネオ・リベラリズム」は合意に至る議論やプロセスを軽視したから革新政党の右上部なのだという。鈴木成高氏が妥協を説き、西部氏が熱狂の禁止を説いたのも平衡という大目的があってのことである。小泉元首相が党内反対派と妥協しなかったこととは関係がない。なお鈴木成高氏が妥協を昭和24年に説いたのは保革の両勢力がアメリカ追従とソ連追従で日本の伝統を破壊し続けているという社会情勢で為されたと私は解釈する。
もし中島論文のいうように小泉氏が議論軽視で表の左側に移動したのだとすると、革新政党は議論軽視なのか。右翼は市民団体より議論重視なのか。中島論文の辻褄あわせは破綻している。

十月八日(月)(保守思想の平衡性を理解できていない中島論文)
中島論文によると、4つの象限が或るときは上下、別のときは左右に対立し、斜めは常に対立し、だから小林氏や雨宮さんは左右をシフトしただけだという。
雨宮さんが共産党や社民党の機関誌に投稿したり社民党の福島みずほ党首と対談していることはどう説明するのか。斜めにもシフトしているではないか。西部氏が左下から右上に移動したことはどう説明するのか。ここでも辻褄合わせは破綻している。
要は日本文化がアメリカに吸収されそうになると伝統主義を主張し、格差が激しく社会が立ち行かなくなると格差社会を批判する。暑ければ上着を脱ぐし寒ければ着る。それが保守思想であり平衡ということだ。自民党、民主党、共産党、社民党すべてが保守思想を持つべきだし各党の政策に何ら矛盾しない。

十月九日(火)(悪質な国内分裂主義者)
日本の精神がここまで退廃した背景には過剰なアメリカ文化があり、過剰なアメリカ文化の背景には米ソの対立がある。どちらかの陣営に付かなくてはならず国内にも左右対立を生んだ。だからソ連崩壊の後は左右対立は存在しない。その一方でアメリカは存在する。平衡感覚があればアメリカは世界と日本に有害だと気付くはずである。
国内で今でも左右対立を煽る人たちは例外なくアメリカかぶれである。そして中島論文も何とか対立を続けさせようと4つの象限に無理やり拡張している。中島氏の著書を読むとイギリスのインド支配を客観的に述べているだけで、西洋文明の本質が植民地支配であることやアメリカが先住民を滅ぼしたことには触れていない。中島は典型的な欧米崇拝論者である。

十月十日(水)(ひねくれた中島論文)
小泉元首相は高く評価できる。強大な橋本派を破り、自民党と利権体質をぶっこわした。小泉氏は一度決めると意固地になるところがある。靖国参拝はたまたま実行しようとしたところ中国、韓国の反発があり、合掌にしたり初詣にしたりそれなりに努力はしたが意固地になって続けたというだけで、中島論文のように小泉ほどナショナリズムの持つ機能を巧みに流用した政治家は近年珍しい、現実の不平等をナショナリズムによってごまかしたという見方はひねくれすぎている。
今日本で問題になっているのは経営者層の道徳の欠如であり、小泉氏がこれを靖国参拝で教導しようとしたのであれば立派である。国民に忍耐を強いるので精神的支えを示したのであればこれも立派である。
小泉氏の問題点は経済大国の日本が経済至上主義の竹中を用いて強者に忍耐を強いず弱者に強いたこと、衆議院解散の後に行き過ぎが目立つこと、アメリカ追従だったことである。

十月十ニ日(金)(宮台真司氏、小林よしのり氏、萱野稔人氏)
宮台真司氏、小林よしのり氏、萱野稔人氏の「右翼も左翼も束になってかかってこい」(2022追記、今は終了のためリンク解除)のpart2は秀逸である。ここでは右翼と左翼は対称し、右翼には拝米自称保守と自民党、左翼には民主、共産、社民の各党が含まれる。中島論文の意図的な分類とは大違いである。
戦前戦中に愛国主義で卒業生を大量に予科練に送り込んだ教育者が戦後は山形県の民主主義教育の父と呼ばれこういうのを売国奴といい日本のエリートの典型、鎌田慧氏が「自動車絶望工場」で小林よしのりさんと同じことを言っている、経団連の御手洗的発想は日本に工場を置いてやっているだけでありがたく思え非正規雇用が増大するのは外需で外貨を獲得する以上やむを得ない、という内容であった。
御手洗が規制緩和しないと工場を海外に移転すると言っていることについて宮台氏は「出てけよ、お前はいらない」と一喝し、愛国心がない経団連が教育基本法に愛国心を入れるよう主張することも皮肉った。

十月十三日(土)(西洋かぶれ)
中島の西洋かぶれは「ヒンドゥー・ナショナリズム」という本によく表れている。この本で中島はRSS(民族奉仕団)という民間団体のヒンドゥー・ナショナリズムを西洋の立場から徹底的に悪く書いている。
RSS幹部へのインタビューで「インドは未だに西洋の植民地支配から脱していない」ということを繰り返し述べた。これは、現在の日本において「戦後五十年以上経っても、アメリカの占領政策の呪縛から日本人は解き放たれていない」と主張する保守派の議論と似通っている。中島のように西洋の植民地になりたい人間には不満かも知れないがRSSの言うことは正しい。
インドでは憲法でヒンディー語を公用語に定めているが、南インドでは反対意見があり未だに英語も使われいる。そこでRSSはサンスクリット語普及運動を始めた。これについて中島は注目すべき点はサンスクリット語こそが「インドの母なる言語」であるとされ、全インドの言語とリンクしていると述べられていることである。しかし言語学的にはヒンディー語やベンガル語のような北インドの言語は「インド・ヨーロッパ語族」に属するとされ、タミル語やカンナダ語のような南インドの言語は「ドラヴィダ語族」という別の語族に属するとされている。
まず批判すべきは「xxxとされている」という曖昧な物言いである。中島はヒンディー語の専門家なのだから「xxxである」または「xxxには反対である」と断定したらいいではないか。私は別の語族には反対である。語族は西洋人が都合がいい様に分類しただけで、語族も民族にも反対である。サンスクリットの古い語彙が南インドに残っていることがその証拠である。言語は生物分化とは異なる。
サンスクリット語は話者はいないがインド憲法に記載された22の言語の1つである。日本では梵語と呼ばれ塔婆に書いたりお経として読まれる。南無というのは梵語である。
14年前に鶴見の総持寺の指導僧侶が「サンスクリット語と梵語は違う」と言うので翌週に質問したら「そんなこと言ったっけ?」という。この人は元英語教師で地方の末寺の住職をしていたのを教師経験を買われて総持寺の指導係に任命されたのだが、いい人だった。古代梵語と現代サンスクリットの違いを言ったのか未だに判らないでいる。サンスクリット語と漢文は東洋の共通語にしてもいい。日本はどちらの学習にも有利である。日中印の連帯はアジアの平和に役立つ。

十月十四日(日)(道徳崩壊)
デリーでは、この数年間で欧米風のショップが次々とでき、そのような店でジーンズにTシャツ姿の若い男女が、手をつないでデートしていたりする。中には、街中で堂々とキスをしている若者もいる。最近では、結婚していない若者が、避妊をせず性交渉を行ったことによって妊娠してしまい、堕胎するというケースが増加している。(中略)このような社会現象に対して、ヒンドゥー・ナショナリストたちは苛立ちを深めている。
中島はそういう西洋風の道徳崩壊を何とも思わないのか。まるで苛立ちを深めるヒンドゥー・ナショナリストたちが悪いような言い方ではないか。
日本の場合を見てみよう。街中でキスをしている人なぞほとんどいない。そういう人が稀にいても周囲と調和せず皆が迷惑だと感じる。道徳が崩壊すれば世の中はうまく回らなくなる。少子化、離婚、子供の教育にも影響する。西洋かぶれの人間は長期的視野に立てない連中である。中島も例外ではない。

十月十五日(月)(英語エリート)
イギリスは宗教はインド人、それ以外はイギリス人が担うという政策を進めた。
最初に直接的な反応を見せたのはイギリスによる英語教育を受けたヒンドゥーのエリート達であった。彼らの多くは、教育によって西洋的近代の制度や理念を吸収し、それらに対する一定の共感を持っていた。
中島はこれらを改良派ナショナリストと呼んでいる。一方非エリートについては次のように悪く描いている。
「伝統的」慣習は、イギリス人や改良派ナショナリストから「悪習」として批判されればされるほど、固有の権利を保守しようとする守旧派によって象徴的に表現され、「インドの伝統」として本質化されていった。

九月三十日の表と重ね合わせると、西洋の制度や理念に一定の共感を持つと保守、そうではないと右翼というわけである。守旧派と伝統派は異なる。中島はこれらを混同し、しかも固有の権利を保守しようとするとここでも印象の悪い言葉を並べている。中島はとんでもない西洋エリート主義者である。

十月十七日(水)(野依良治氏)
昨夜は時事通信ホールで理化学研究所脳科学総合研究センター創立10周年記念のシリーズトーク「脳と芸術」を見に行った。シリーズトークは5回行われ、前々回の「脳と教育」は将棋の田中寅彦九段、能の弘田裕一氏、今回はソプラノの小倉麻矢さんなど多彩なゲストが出演された。理事長の野依良治氏も来場され私の2m後に座られていた。閉会の挨拶をされた。
野依氏と言えば前首相私的懇談会の「教育改革会議」の座長である。トップに中立的な有名人を据え構成員には偏った人間を入れ、全体で自分の思った方向に結論を出させることは為政者がよくやる手段である。野依良治氏には日本を英語で洗脳するというたくらみに騙されないように舵取りをお願いしたい。

十月十八日(木)(醜い国づくり企画会議)
昨日はもう一つの私的懇談会「美しい国づくり企画会議」の経費が4900万円だったことが明るみに出た。2回会議を開いただけで解散した。福田首相も無駄だったと語った。安倍氏の懇談会は欧米かぶればかりではないか。欧米の猿真似は美しくない。

十月ニ十日(土)(外国語学部のあり方)
東京外大の中国科出身の中嶋峯雄氏が欧米かぶれなことは前に述べたが、大阪外大のヒンディー語出身の中島岳志氏も欧米かぶれである。なぜこのようなことになったのだろうか。
中島岳志氏が大阪外大を選んだのは彼女が大阪外大のインドネシア語科を受験したので自分も受験し、同じ学科では嫌だと言われたので「ネシア」を取ってインドを選択したと語ったことがある。ずいぶんふざけた話だ。国立大学に注ぎ込まれる税金を何だと思っている。
外国語学科はその国が好きだという人が行かないと、卒業後に欧米かぶれになることがある。中国語科は中国が、インド科はインドが好きな人が行くべきである。そして両方とも東洋が好きだという人が行くべきである。偏差値はどうでもいい。好きこそものの上手なれということわざもある。

十月ニ十一日(日)(中村屋のボース1)
中島岳志氏が世に出たのは「中村屋のボース」が大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞を受賞したことによる。独立前のインドでは独立運動に参加した多くの者が処刑され悲惨な状況にあった。そのような中で奮闘したラース・ビハーリー・ボースの伝記である。中島氏の受賞は題材が良かったということに尽きる。だからアジア諸国は連帯する必要があるとし(中略)しかし日本は明治維新以降「専ら其の教育に、政治に、或は社会生活に、欧米化せん事を努めてきた」ため「有色友邦を失望せしめたのみならず、度々其の信頼に違背する行動があった」と中島氏の欧米かぶれとは正反対のボースの主張も紹介することになる。

十月ニ十四日(水)(中村屋のボース2)
これらに対し、中島氏はこのような西洋に対する粗雑な批判と述べる。ボースの主張も紹介しているため書籍としてはバランスが取れてはいるが、中島氏自身は西洋に傾倒していることがよく判る。

十月ニ十五日(木)(中島氏が批判しているものは)
ボースがキリスト教を野獣教と呼んだことは十分に理解できる。イギリスはそれ相応のことをアジアアフリカアメリカ大陸で行ってきた。一方でキリスト教徒がボースを批判するのであれば、これも理解できる。しかしキリスト教徒ではない中島氏はいったい何を批判しているのか。東洋の精神と思想と文明を批判している。東洋そのものを批判している。


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