百八十六、妹尾義郎はどこで道を間違へたか


平成二十三年
七月二十五日(月)「顕本法華宗から共産党まで」
妹尾義郎は明治二二年に生まれた。顕本法華宗本多日生の門を叩き布教を手伝ひ大日本僧X主義青年団を結成した。本多日生の指示で地主と農民、資本家と労働者の争議の仲裁をするうちに農民労働者寄りになつた。本多日生の信者には資本家や退役軍人がゐるので本多日生と疎遠となつた。そして顕本法華宗を離れ新興仏教青年同盟を結成した。戦前は何回も逮捕され、戦後は社会党員になり日中友好協会東京都連会長も務めた。晩年は日本共産党員となつた。
妹尾義郎と当ホームページの主張とは極めて似てゐるように見えるが根本的なところが異なる。妹尾義郎はどこで道を間違へたかを明らかにしてゆこう。妹尾が共産党員になつたことは道を間違へてはゐない。正しいことだと思ふ。もつと根本的に間違へたことがある。

七月二十六日(火)「西洋への擦り寄り」
日本共産党中央委員会が一九九三年まで出版した「文化評論」で
小宮多美江さんが正論を書いてゐる。当時は世界各地で植民地の解放闘争が起きたし日本でも米軍駐留の反感は強かつた。もし小宮さんの主張に違和を感じる人がゐるとすれば当時と比べて日本がそれだけ悪化したといふことだ。
私は民族といふ言葉はほとんど用ひない。民族間の相違はデジタルではなくアナログだからだ。西洋の学問が無理にデジタルに分類するから民族紛争を生じる。本来民族が原因で戦争は起こらない。第二次世界大戦までは経済が原因で戦争が起きてゐる。だから民族といふ言葉を用ひても問題はない。
まづ妹尾の主張には民族性がまつたくない。民族といふ言葉を使はなければ文化性がない。これは西洋への擦り寄りである。

七月二十七日(水)「国際意識に乏しい者ほど国際主義を叫ぶ」
古くは国際主義、最近ではグローバルを叫ぶ人間は多い。こういふ人間は国際意識に欠乏してゐる。妹尾義郎も例外ではない。妹尾は国際主義を唱へながら「無智が神を生む」「仏教は無神論なり」と主張する。前者のような暴論はXX教国やイスラム教国には受け入れられない。後者で仏教だけ正しいと主張したいらしいが、そんな国際主義はない。

七月二十八日(木)「進歩と滅亡と堕落と弱者保護」
永久に進歩するといふことはない。いつかは進歩が過ぎて滅びる。だから妹尾義郎が「社会は発展する」と述べたことは正しくない。もつとも進歩し過ぎて滅びることが表面化したのは最近の地球温暖化である。
妹尾義郎が主張をしたのは昭和八年だからやむを得ない。しかし社会は進歩すると単純にいつてしまふと、弱者が切り捨てられることになぜ妹尾は気がつかないのか。
大歴史を振り返るときは権力者の堕落により封建的な制度が発生するとともに、弱者を保護するための習慣も存在することに気付かなくてはいけない。明治維新の後に日本が軍国主義になつたのも大地主や財閥が出たのも社会の変化が平衡に達してゐないときに弱者が切り捨てられたことに気が付かなくてはいけない。

七月三十一日(日)「社会変革途上の新興仏教」
ここで妹尾義郎が昭和八年に発行した「社会変革途上の新興仏教」といふ書籍を基に、妹尾義郎と私の違ひを表にまとめてみた。
妹尾義郎
社会は発展するか発展する。発展し滅亡する。或いは循環する。人類が「発展する」といふべきではない。
国家主義と国際主義国家主義と国際主義を対峙させ国際主義を主張。国家主義は帝国主義とともに現れた過渡的現象。戦後も西洋優位は変わらず、無条件に国際主義を唱へると非西洋地域の文化が破壊される。
国家は消滅するか社会主義や共産主義は、階級対立の消滅と共に国家は死滅すると説く。帝国主義の時代にマルクスが戦争の原因である国家死滅を考へたのは当然。戦後にあつては軍事権の一部を国際組織に委任すべき。
仏教各派の統合既成各派を批判し「南無釈迦牟尼仏陀耶」と唱へることを提唱。上座部仏教を中心として仏教各派の長い歴史を尊重し共存する。
他宗教の扱ひ無智が神を生む。仏教は無神論なり。世界各地の宗教を維持すべき。外来宗教を信じることも可。
中国との交流共産主義国としての中国と交流。アジアの一員同士として交流。


八月一日(月)「社会は発展するか」
まづ「社会は発展するか」を見よう。長い期間で見れば旧石器時代が江戸時代まで進んだように社会は発展する。しかしそれは長い期間のことであり自分の世代は勿論のこと親や子供の世代と比べてもまつたく変化はしない。ここに社会の平衡状態がある。
戦や支配層の交代によつて社会が急変することもある。しかしそれは社会の発展ではない。江戸時代の末期以降に西洋文明が大量に流入し社会は大きく変化したが、これを無条件に受け入れるかどうかが問題になる。
妹尾義郎は次のように述べる。
「一 社会は発展する
社会生活の態度に保守的態度と進歩的態度の二つが見られる。(中略)しかしながら何れが社会生活の本質的態度であるかといへば、それは進歩的でなければならぬ。」

「保守と進歩」に分けるのは間違つてゐる。「守旧と公正」に分けるべきだ。「保守と進歩」だと世の中を不正な点を直すのではなく新しいことがよいとする偏つた発想になる。世の中は困つてゐる人たちがまづ声を上げるべきだ。進歩の代表勢力が朝日新聞と民主党内の菅、枝野、岡田、前原などである。典型的な西洋かぶれである。

八月三日(水)「既成仏教は国家主義か」
妹尾は次のように主張する。
「既成仏教は一も二もなく国家主義を奉じてゐた。真宗は「王法為本」といひ、真言は「鎮護国家」、禅は「興禅護国」、わけて僧X宗は得意の「立正安国論」をふりまはして、「先づ国家を祈りて」云々と御用宗教の役割を典型的につとめてをるが、それは真正なる仏教精神から見直しても正しいことであらうか」
僧Xの時代には蒙古襲来があつたから国家主義的な主張が多少はあるかも知れない。 しかし僧Xを含めて各宗派とも国家主義的な主張が主目的ではない。膨大な著作のすべてを探せば「鎮護国家」だとかの言葉は見つかる。しかしそれを以つて国家主義だと決めつけることは間違ひである。
国の安定は国民のためである。近代まで国家主義はなかつた。蒙古襲来も豊臣秀吉の朝鮮出兵も個人の野心である。

八月六日(土)「国家は消滅するか」
人間の関心はまづ衣食住である。衣食住が満たされると次は子育てだとか美味いものが食ひたいだとか要望が段々と増へてくる。マルクスの時代は衣食住の確保の段階だから文化まで考へる余裕がなかつた。英語だろうとロシア語だろうと世界が一つの言語になつてもそれより衣食住が大切だつた。
そして帝国主義の時代だから戦争の原因として国家の消滅を考へたのは理解できない話ではない。しかし戦前の日本は天皇中心だつたから国家の消滅なぞとんでもないと官憲は怒つた。
明治維新以降の天皇は西洋の国王を真似したものであり本来の天皇ではない。国家の消滅は幕府の消滅であり天皇は永久に国民と共に存続する。その前提で共産主義を日本人が最初から考へればよかつた。ところが資本主義が外国製だから共産主義も外国製を用いた。悪いことにロシアでは皇帝一家を処刑した。そして不幸な事件になつた。

文化は国別に分かれてはゐない。だから国家が地域の文化を破壊することもある。しかし妹尾義郎の時代から今に至るまで、国家を消滅させることは西洋への統合である。国家がないより更に悪くなる。国家から軍事権を少しずつ国際機関に委譲させることが重要である。そしてそのこそに最も反対するのがアメリカであろう。

八月七日(日)「唯物論と文化主義」
マルクスの時代は皇帝やXX教が帝国主義を補完したために唯物論で攻撃する必要があつた。しかし唯物論は人間が頭で考へることが絶対になる。だから社会は不安定となる。しかもロシア革命で悪い前例を作つたために西洋ではマルクスの想定どおりには広まらなかつた。
植民地の住民にとつては帝国主義とマルクス主義のどちらを選択するかと聞かれれば後者に決まつてゐる。だからアジアのマルクス主義は民族解放といふ文化主義に立脚した非唯物論である。
妹尾はそこまで見抜かなかつた。だから「無智が神を生む。仏教は無神論なり。」と短絡した。

九月三日(土)「中道」
妹尾は中道といふ当時は一般に馴染みのない用語を持ち出し「折衷主義のことではない」「中間の道を歩むといふことではない」と述べ、その理由を「蚕が蛹(さなぎ)になり蛹が蛾になるごとく、人類の歴史も変化発展するものであるならば」と発展による矛盾解消の意味に用ゐた。
しかし近世の人類の発展は化石燃料の消費による。それは地球温暖化で間もなく行き詰るが、例へ地球温暖化と石油枯渇がないとしても、変化発展すると平衡に達するまでに時間がかかる。
もし中道といふ用語を用ゐるならば、「資本主義の発生で生じた非平衡の解決法提唱者の一人にマルクスがゐた。しかし資本主義もいづれ別の方法に取つて替わるだらう」と資本主義と共産主義を超えたところから見るべきだ。(完)


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