七百四十四 1.ミャンマー経典学習会、2.宗教、労組、政治は私心や組織の欲でやつてはいけない、3.長阿含経

平成二十七乙未
九月十八日(金) ミャンマー経典学習会
僧侶がミャンマーに帰国したため八月は経典学習会がなかつた。九月は先週行はれたが、予定が重なり私は参加できなかつた。今月から初転法輪経(Dhammacakkappavattana  sutta)である。 初転法輪とは懐かしい言葉である。私は今から三十五年前にこの言葉を聞いた。日蓮正宗で前貫首(日蓮正宗自身は法主と自称した)が急死し、新貫首の行ふ最初の説法を初転法輪(しょてんぼうりん)と称した。今考へると日蓮の弟子日興の弟子第三祖日目の次の第四世以下今に至るまでの貫首が釈尊の説法と同じ初転法輪と称する訳だから他宗の人が聞いたら、眼が飛び出るくらい驚くことだらう。
釈尊の諸転法輪はかつていつしよに修行した五人に対して、説法された。修行者は両極端を避けなくてはいけない。五欲の卑俗で聖者の行ふものではない娯楽に執着し耽ることと、その反対に苦しく聖者の行ふものではない肉体を苦しめ苦行に努めることである。
初転法輪経はそのような出だしで始まる。

九月二十日(日) 経典学習会欠席の理由
経典学習会の欠席が続いたのはもう一つ理由がある。今年二月で労働組合を脱退した。労働組合には学生運動に始まつて今の労働運動に至るまでずつと活動してきた人たちがゐる。専従のAさん(療養中)も委員長のOさんもさうで、かう云ふ人たちとは話が会ふ。ところが中には解決金で円満退職のあと再就職できないからと勝手に専従や役員に割り込んで来る人がゐて、かう云ふ人たちと話をするとこちらまで心が濁る。心の浄化のためミャンマーのお寺に行かう。さういふ気持ちで参拝したのだつた。ところが今年二月で組合を脱退したから心が濁らなくなつた。そのため三月以降たまたま用事がある月もあつたが、欠席が続いた。

九月二十八日(月) 「宮沢賢治と一緒に法華経を楽しもう」欠席の理由
一昨日は「宮沢賢治と一緒に法華経を楽しもう」第十一回(大曼荼羅第5回)があつたが欠席した。その理由は過去二回奇妙な人たちが参加したからだつた。私は五月二十四日の第八回(大曼荼羅第2回)に参加し、このときは良かつた。ところが第九回(大曼荼羅第3回)のとき最前列に三人座つた人たちが奇妙だつた。一人の中年の女性が桐谷師の発言を詳細にメモ書きした。このグループはもう一人来る予定だつたらしく、道に迷つたのではなどと話し合つてゐた。桐谷師も気になつたらしく終了後に何を書いたのか質問し女性は、先生の話を書き留めましたと答へた。このときは熱心な人たちなのだと、私は好意的に見た。
ところが第十回(大曼荼羅第4回)のときこの人たちが最前列五人分の席を確保し、私は別の最前列にゐたが私の隣も確保するかどうか迷つた風で、しかし始まる間際に三人分から荷物を撤去させた。席は混んでゐたから後から来た人ですぐ埋まりよかつたが、他人の迷惑を考へず席だけ確保するこの人たちとはいつしよに聴講したくないと思つた。学習会の最後の質問の時間に桐谷氏が一つ気になる回答をされ、或いは私がこのグループの一員と思はれたのかも知れない。そんな経緯があり第十回は記事にしなかつた。そして第十一回は欠席した。

十月三日(土) 大本経
増上寺の日曜大殿説教で地獄は長阿含経、正法念処経と往生要集に書かれてゐるといふ。まづ往生要集の本を二冊読み、次に長阿含経を読み始めた。まづは大本経である。上座部仏教にもパーリ語の長部がある。長阿含経はサンスクリット語を漢訳したものだから違ひがあつてもよささうだが、かなり一致する。パーリ語は登場人物、地名、仏教用語がカタカナだが、長阿含経は漢字で親しみがある。そこに奈良仏教や鑑真の渡航、伝教大師、弘法大師の留学に始まる歴史の重みである。
大本経ではまづ七仏の話が出てくる。増上寺の日曜大殿説教でインドは八進法といふ話を聴いたので、なるほど七はそれほど多くはないがある程度の数といふことが判る。過去にそれほど多くはないが釈尊と同じ立場の方が現れたといふ意味である。次に十二因縁の話が出てくるが、重要なことは十二といふ数字ではなく、愚かさから次、次からその次と順番に発生して、最後に老と死を迎へるその流れだ。次に安穏観、出離観を示し、その次に苦集滅出の四諦を明らかにする。次に具足戒を授けた後に三つの教へ(自在の力、他人のこころを感知する神通力、戒め)を示した。この辺りが大本経の重要なところではないだらうか。

十月六日(火) 七つの解答
次は遊行経である。摩竭(まかつ、マガダ)国の阿闍世王が跋祇(ばつぎ、ヴァッジ)国を征服しようとして大臣を釈尊のところに派遣し礼拝して征服について意見を求めた。釈尊は七つ質問した。跋祇国の人びとは
1.しばしば集い、まつりごとについて議論する、と聞いているか
2君主と臣下とが協調し、上の者と下の者とが敬い合う、と聞いているか
3掟を遵守し、禁忌に通暁し、礼のきまりに違うことがない、と聞いているか
4.父母によく仕え、尊師を敬う、と聞いているか
5.祖先のみたまやを大切にし、祖霊を敬う、と聞いているか
6.男女の関係が乱れることなく、清らかで穢れなく、穢れていても言葉は賤しくならない、と聞いているか
7.比丘を尊び、戒律を奉じる修行者を敬い、仰ぎ見て守護し、決して怠ったことがない、と聞いているか


これら一つ一つの質問に大臣は聞いておりますと答え、釈尊は、その国はいく久く安泰に、侵略されることはありえない、と答へた。大臣は仏の周りを三たび巡り敬礼して退出した。戦後では2を奇妙に思ふ人もゐるかもしれない。しかし君主とは政治機構のことである。また協調しとあるから上に従へといふことではない。6を読むと朝日新聞九月二十五日文化・文芸欄の変わる女性の性表現といふ記事がどれだけ悪質かよく判る。(以上と同じ内容の比丘版がある。この直後、仏は町の付近にゐる比丘たちを集めて理法が衰退しないための七つを説いた。
1しばしば集い、正しい意義について議論すれば、長老と若者とはあい和し従い、理法は壊滅することがない
2.上の者と下の者とが協調し、敬順して背くことがれければ、長老と若者とはあい和し従い、理法は壊滅することがない
3.教法を遵守して禁忌に通暁し、さだめに背かなければ、長老と若者とはあい和し従い、理法は壊滅することがない
4.もし比丘がおおくの善き導き手たちを力のかぎり守り、よく仕えるならば、長老と若者とはあい和し従い、理法は壊滅することがない
5.精神をととのえ、尊者に仕えることを第一とするならば、長老と若者とはあい和し従い、理法は壊滅することがない
6.梵行を浄らかに実践し、欲望という在り方に追従しなければ、長老と若者とはあい和し従い、理法は壊滅することがない
7.他人を優先し自己を後廻しにし、名声と利益とを貪らなければ、長老と若者とはあい和し従い、理法は壊滅することがない
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十月十二日(月) 四から八までの八項目
釈尊は近くの村々のすべての比丘たちに集合するよう命じた。そして
私はこの法を自ら悟って身につけ、最も正しい悟りを完成した。(その法とは)四念処、四意断、四神足、四禅、五根、五力、七覚意、聖なる八道である。

この部分は重要である。それに対し多くの仏教解説書が取り上げる自らをよりどころとし、理法をよりどころとしなさいは文脈からいつて重要ではない。この部分だけを強調するから上座部仏教は誤解されてしまふ。日本だけの現象ではないかと思ふ。(完)


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