七百五十一 築地本願寺(1.仏教文化講座田口ランディ氏、2.英語法座)、天台系待乳山聖天(3.浮世絵展)
平成二十七乙未
九月二十七日(日)
田口ランディ氏の講演
昨日は築地本願寺の仏教文化講座を聴きに行つた。今月は作家の田口ランディ氏である。先月の仏教文化講座があまりにひどかつたので、今月は英語法座だけに参加の予定だつた。ところが三つ偶然が重なり東銀座で降りて築地本願寺に開始二分前に到着し、最初の宗歌合唱から参加することができた。田口ランディ氏は話し方が庶民的ですごく好感が持てた。
縁と円。差を取るからさとり。
ここは単なる語呂合はせだが、このような話で聴衆の緊張をほぐすのはよいことである。この話を或る仏教学者に話したところ「面白いね」と冷たく扱はれたさうだ。今年に入ってから仏教学者なる者の低質さにうんざりしてゐただけに、田口氏の仏教学者への感想に同感であつた。
次に、アルコール中毒のお父さんの話をした。ランディ氏や家族が相当に迷惑したことは間違ひない。それは一言二言ランディ氏も触れた。しかしお父さんを憎むことなく、酒を飲んで植木職人の仕事に行つて大けがをして、レントゲンで末期の肺がんが見つかり、更にアルコールの禁断症状で入院中の整形外科を追ひ出されるとき、整形外科も精神科も受け入れてくれず困ってしまひ、医師は皆冷たい。看護師の医療コーディネータに相談して精神科に入院し、アルコール中毒が治つて正気の3か月を過ごして亡くなつた。さういふ心の温まる、しかしご本人に取つては当時は大変な心痛をした話だつた。医療コーディネータの紹介で入院した病院の医師は何とランディ氏が仕事場として使ふマンションの一つ上の階に住んでゐたといふ話もあつた。今年の仏教文化講座は縁がテーマである。
家を出るときに洗濯物はどうするか、など話が庶民的でよかつた。精神科医でマスコミにたびたび登場するものだから上からの視線で話をして、それでゐて話の中身が何もない先月の香山リカとの違ひである。ランディ氏は次にウサギの話をした。手塚治虫のブッダにも最初と最後に出てくる。山の中で3匹の動物が聖者を助けた。クマとキツネは毎日、食べ物を持つてくるのにウサギは何も見つけることができない。あるとき自分が鍋に飛び込んで食べてもらつた。ランディ氏がこの話を娘にしたところ、ウサギはやり過ぎだといふ。実は私もやり過ぎだと思ふ。これについて以下、私のランディ氏の講演のメモを紹介したい。
聖者はウサギから教はつた。ウサギは食はれる側。空、感じる心。ランディさんと親鸞聖人は考へが似てゐるといはれ、本願寺派の人と対談。しかし念仏は唱へないとずつと言つてきた、曹洞宗の元貫首と対談した、永平寺と総持寺で生前退いたのは二人だけ、考へるから悩むから座禅、しかし座禅できる人とできない人がゐる、年取ると座禅ができないから念仏は語呂もよいし唱へるのに丁度よい、しかし皆が反対。
ランディ氏が本願寺派と対談のとき、仏教の入門書を送つてほしいと依頼したら段ボール箱いつぱいに送つてきた。なるほどランディ氏が仏教に詳しいのはこのときからだつた。
十月一日(木)
九月度英語法座
九月の英語法座はRev. Hoyu ISHIDA, Prof. Emeitus of Shiga Prefectural University(滋賀県立大学名誉教授石田法雄)氏によるTwo kinds of Profound Realization(二種深信)である。三ページのプリントも配布された。ところが難解で
One is the awareness of sentient beings(ki no jinshin 機の深信) or the "profound realization of oneself as incapable of enlightenment",and the other is the awareness of Dharma(ho no jinshin 法の深信) or the "profound realization of Amida"s working partaken in one".
と書いてあつても瞬時には理解できない。五分くらいじつくり考へれば判るが、その間に話はどんどん進んでしまふ。石田氏は目の手術を受けた直後にも関はらず英語法座のため東京に来られた。以下は私が部分的な理解のなかでプリントに書き込んだメモ書きである。
healthy minded type sicksy(sick seeの聞き間違ひか)
Water cuts diamond.
我 ego
1+1=1
さとり、まよい
時間
今昔物語
久遠の昔
Are you happy?
Yes, I am.
↑
幸福
生 birth
Gutoku=ordinary person
生老病死の生は、生きること(living)だと思つてきたが、生まれること(birth)だと知つた。生きることだと楽しいことも多いから意味が曖昧になる。生まれることが苦だから修行で六道輪廻を離脱する。今のように化石燃料大量消費の時代には考へられない思想である。しかし現代人の地球を破壊する罪は大きい。死後に全員が地獄行きと悟れば意味が判るのではないだらうか。
十月四日(日)
茶話会
終了後に茶話会がある。石田師は二十四歳くらいのときに渡米し、サクラメントの寺院などに在勤された。私のすぐ向かひに座られたのでカリフォルニア州のことを話題にしようと思つたが、私の隣の席の人がサンフランシスコの何々さんは、などの話をずつとされてゐた。この方は滞在されたのではなく旅行でカリフォルニア州の本願寺派寺院を廻られたさうだ。石田師とは話す機会のないまま、左隣の日系人のご婦人の方々と話した。戦後、日本に駐留した日系人の父親が日本人の母親を見初めて結婚し帰国。ご本人は三世兼二世だが日本語は話せなかつた、日本に留学し修士を出て外資系企業の管理職を女性として初めて勤めた、など楽しいお話を聴かせて頂いた。
十月四日(日)その二
待乳山聖天、幾つもの偶然
この日はまづ浅草寺の塔頭の待乳山聖天で浮世絵展があるので、これを拝観に行つた。浅草観音や待乳山聖天、隅田川が描かれ、江戸時代を偲んだ。じつくり拝観し、その後は待乳山聖天の本堂にお参りしたので一時間半は掛かり、出たときはお昼を過ぎてゐた。浅草寺は元は天台宗だつたが今は独立して聖観音宗を名乗る。待乳山聖天も同じである。
予定では西高島平に行き、前回は真夏で外に出なかつたので、今回は笹目橋辺りまで行く。その後、英語法座に参加するはずだつた。ところが田口ランディ氏の講演を聴いた。これはまつたくの偶然である。浅草から都営浅草線に乗つて蔵前で大江戸線に乗り換へる。まさか浅草の次が蔵前だとは思はないから乗り過ごした。しかしまだ大丈夫である。馬喰横山で新宿線に乗り換へようと思つたところ浅草線側は馬喰横山を東日本橋と称することを知らず、また乗り過ごした。日本橋駅は昔は江戸橋駅だつた。当時の営団地下鉄と駅名を合はせたのだが、江戸橋といふ橋は見たことがないから降りた。何の変哲もない橋だつた。再び乗つて次の宝町で降りた。午後一時に近くお腹が空いたのになぜしょつちゅう乗り降りするかと云へば、宝町は降りたことがないし、近くに100円ローソンその他手頃な店がないか探すためである。手頃な店がないのでまた地下鉄に乗るうち戸越で降りることを思ひたつた。戸越銀座なら店が多い。ところが戸越は中延の次かと思つたら手前だつたので乗り越した。といふことで終点の西馬込でスーパー文化堂で昼食を買つて食べた。レジで打つたあと、現金自動支払機なるものを始めて体験した。
西馬込から池上本門寺は近い。現に駅の地下通路に池上本門寺の電光広告がある。この日は 「作家Xと一緒にX経を楽しもう」の最終回があるが、開始時刻を書いて来なかったので地下鉄に戻つた。予定では西高島平だがこのまま築地本願寺の仏教文化講座に間に合ふかも知れない。時計を睨みながら東銀座で降りた。築地市場で降りないのは乗換時間節約のためである。そして空席に着いた途端、「ただいまから仏教文化講座を始めます」といふ放送とともに、田口ランディ氏が入場し宗歌の斉唱となつた。
十月五日(月)
聖路加病院
仏教文化講座が終了後に、英語法座までの一時間十分あるのでその近辺を散歩した。期せずして聖路加病院の前に出た。丁度、サトウハチローの「夢淡き東京」を書いた直後だつたので本館の高い屋根を見ながら、銀座からこの屋根は見えると納得し、しかし聖路加病院の年表を見ると本館は低層だつたので、この屋根は最近この地区で区画整理のあつた後のものかと思つた。(完)
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