七百四十三 社会破壊拝米新自由主義反日(自称朝日)新聞批判(その十)

平成二十七乙未
九月九日(水) 少しづつ読者を洗脳
八月二十六日の「天声人語」は次の文章で始まる。
高倉健さんの渋いせりふによって、「不器用」という言葉は株を上げた。本来は否定的な意味だが、その中にあった好意的なニュアンスが膨らんだ。いまや「器用」を超える褒(ほ)め言葉かも知れない。▼米国のフォード元大統領も不器用な人だったらしい。(以下略)


この文章の悪質なところは、フォード元大統領について六行書いただけで、その後は一切触れない。つまり言及する必要のないフォード氏をわざわざ取り上げた。このように何食はぬ顔をして挿入する文章が、どれだけ多くの人に属国根性、拝米卑アジア感情を植へつけてきたか。いくらアメリカ政府系新自由主義シンクタンク会員の船橋洋一が主筆だつたとはいへ、これはひど過ぎる。

九月十三日(日) 九日の朝刊
九日の朝刊は偏向記事が幾つもあつた。まづは「天声人語」である。
好き嫌いはいけません−。/子どものしつけの基本である。(中略)何でも食べるというと、昔の自民党を思い出す。右派からリベラルまで、官僚出身から党人派まで、幅広い人材を抱え、土建、農政、厚生と族議員の品ぞろえも豊富だった。

まづタカ派からハト派まで、或いは右派から左派までといふのが正しい日本語だ。右派からリベラルでは前後が揃はない。小泉純一郎以前の自民党の実態からすれば経済既得権優先の旧吉田派から分流した各派と、自主憲法の旧日本民主党系各派といふのが正しい。マスコミは前者を保守本流、後者を保守傍流と呼んだがこれは正しくない。前者は従米既得権経済派、後者こそ保守派だからだ。そしてハト派も後者に多い。それは改進党も後者だからだ。
米ソ冷戦終結後にリベラルといふ奇妙な連中が現れたが、前者が多い。つまり保守本流と云ひ、リベラルと云ひ、マスコミがでつち上げたものだ。

次に「官僚出身から党人派まで、幅広い人材を抱え」とは一体何だ。肝心の一般国民が入つてゐない。「土建、農政、厚生と族議員の品ぞろえも豊富」も同じだ。単に既得権派を羅列しただけだ。日本は全国紙が少なく、地方紙も原則1県1紙である。これは幾度の戦争の度に全国紙、地方紙ともに統合されたからだ。その上にあぐらをかく新聞業界こそ既得権の典型だ。だから他の既得権にも甘くなる。

九月十三日(日)その二 視点 異論封じ 単色自民
一面の先頭記事の解説欄に
視点 異論封じ 単色自民といふ文章がある。この記事はよくない。新聞は事実を伝へてくれればよい。その先は国民が考へる。ところがこの新聞は一方の意見を読者に押し付けようとする。
政権を担う政党には二つの車輪が必要だと思う。一つはリーダーがめざす政治を「支える」車輪。もう一つは、政策をできるだけ多くの人に理解してもらうため、多様な世論を「まとめる」車輪。

この文章の悪質なところは押し付けだけではない。明らかに間違つたことを書いた。政策を理解してもらふのと、多様な世論をまとめるのは、別の作業である。多様な世論をまとめた上で政党は目指すものを決める。時系列なのに二つの車輪に分けたら大変である。まづ片方の車輪が動くから車は止まつたまま回転し、しばらくすると逆の車輪が動くから今度は逆に回転する。
次に多様な世論とは何か。本当に国民の意見を汲み取ることではない。偏向した新聞の主張である。こんな文章が一面に載るとは呆れる。

九月十三日(日)その三 西洋流政治に洗脳
二面のいちからわかる!ミャンマーで総選挙があるのか?はさりげなく偏向を混ぜる。スーチー氏の野党優勢だけど、大統領にはなれないんだの部分である。まづミャンマーがイギリスの植民地だつたことが抜けてゐる。スーチー氏はイギリス人の夫(故人)と二人の子供(イギリス国籍)がゐる。ミャンマーを植民地にした国の国籍を持つ人の家族が大統領になることは今でも適切ではない。大統領にはなれなくても党首として国政に関与できる。スーチー氏が国民のための政治を目指すなら喜ばしいことである。スーチー氏が日本のシロアリ民主党の首相経験者どものように上昇志向が異常ならば、これは不満であらう。私は前者だと信じたい。

九月十三日(日)その四 二つの意見
四面には自民党総裁選が無投票になつたことについて、二人が意見を述べた。対立する二つの意見を載せたから、それ自体は新聞合格である。私は京大大学院教授の待鳥聡史氏の意見に賛成である。
自民党総裁選による党内論争に期待する人って、何に期待しているのか。私にはよく分らない。/小選挙区比例代表並立制は「不満があれば、政権を代えてください」という仕組みだ。(中略)与党内論争に意味があるとは思えない。

わたしも同感である。更に待鳥氏は重要なことを云つてゐる。
総選挙で示した政策の基本的な方向性は、与党の間は維持すべきだ。有権者から評価を受けた路線について与党内で争う必要はない。与党は大きな権力を持ち、責任を負っているので、気に入らないなら中途半端なガス抜きを繰り返すのではなく、総選挙で責任をとらせないといけない。/そのためには、英国のように政権を取ったら基本的に次の総選挙までは党首を代えないほうがいい。

これも同感である。これに違反したのがシロアリ民主党の菅と野田である。鳩山政権は危なつかしいところはあつても自民党からの政権交代の意味をわきまえてよくやつてくれた。それなのに総選挙を経ないで菅、野田といふ悪質な政治屋が出現した。このとき日本の民主主義は破壊された。残つた政治家のすべきは、消費税を5%に戻すことである。せつかく対論を載せたよい記事なのに見出しが
責任問うなら総選挙で
党内議論できず不健全
とどちらも否定的になつてしまつた。中身を読めば対論なのに、見出しだけ読むとどちらも反安倍首相になる。朝日新聞による悪質な操作である。

九月十三日(日)その五 社会面にまで悪質な偏向記事
三十八面の社会欄にまで偏向記事は続く。自民党総裁選挙が無投票だつたことに三十九の都道府県連が「問題ない」、五つが「どちらともいえない」、茨城・島根・徳島が「どちらかといえば問題がある」だつた。新聞にはここまでしか載らないが「どちらかといえば問題がある」があるからには「問題がある」も設問項目としてはあつたのではないのか。例へば朝日新聞に問題があるかないかを聞かれて、ある方の最大が「どちらかといえば問題がある」だつたら、多くの国民は「どちらかといえばではなく、本当に問題がある」と答へるだらう。安保法案の結果も載つてゐる。「法案に賛成で、今国会中に成立させるべきだ」に三十七都道府県、「わからない」または「ノーコメント」に群馬、静岡、兵庫、「「法案に賛成だが、今国会中の成立にこだわるべきではない」が七県だつた。これも載つてはゐないが質問項目には「法案に反対」「どちらかといへば反対」もあつたはずだ。それをごまかすところに朝日新聞の悪質さがある。しかし驚くなかれ、その百倍も悪質なことが書いてある。見出しは
無風自民 街は消化不良
小さな見出しで地方支部「やむなし」には次のように書かれた。
「安倍さんに刃向かえる国会議員が(立候補に必要な推薦人)20人にも満たないのが現状。ワンマン運営は変わらないだろう」/自民党大阪府連の幹部は8日、こう漏らした。

かう漏らさない府連の幹部はその百倍はゐるだらう。安倍氏を支持する発言を漏らす幹部も百倍はゐるだらう。朝日新聞はこんなでたらめな記事を書いてよいのか。(完)


朝日新聞批判、その九(マスコミの横暴を許すな38)朝日新聞批判、その十一(マスコミの横暴を許すな40)

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