七百五十 反日新聞の社会破壊を批判(緒方貞子、上野千鶴子の両氏を批判)その十二

平成二十七乙未
九月二十六日(土) 緒方貞子氏批判
二十四日の一面に難民受け入れ 積極的平和主義の一部といふインタビュー記事が載つた。積極的平和主義は、難民の出ない世界にすることだ。難民受け入れは消極的平和主義である。記事を書いた朝日新聞の二名の実名入り記者と云ひ、発言した緒方貞子氏と云ひ、呆れたものである。
西アジアの政治が安定しないのは、まづイギリスなどが植民地にしたからだ。突然独立を果たしても政治が安定するには時間が掛かるし、イギリスはユダヤ人の受け入れと二枚舌といふ大罪を犯した。更に第二次世界大戦後に国連主導でイスラエル建国を行つた。米ソ冷戦終結後は西洋式の政治、経済をアジアに押しつける。これらが西アジアの混乱の原因である。
緒方氏は元国連難民高等弁務官の肩書で一面に載つたが、だつたら国連にこれらの問題、特にイスラエル問題を解決させるべきではないのか。だいたい高等弁務官といふのは帝国主義国が植民地を支配するための責任者のことだ。例へば日本復帰前の沖縄には琉球列島高等弁務官がゐて、アメリカの陸軍中将が任命された。権限は主席や上訴裁判所裁判官の任命、琉球政府全職員の罷免、立法院が制定する立法の拒否権、琉球裁判所が扱ふ訴訟のアメリカ政府琉球統治機構(United States Civil Administration of the Ryukyu Islands、琉球列島米国民政府)の裁判所への移送と絶大だつた。フィリピンにも高等弁務官が置かれた。イギリス連邦の加盟国間は大使を置かず高等弁務官を置く。大使はエリザベス女王の代理のためだ。
緒方氏は国連に勤務したときはそれが正式名だからやむを得ないとしても、退職後に元高等弁務官を名乗るといふみつともないことをしてはいけない。

九月二十七日(日) 猿真似根性でやっていけるのか
一面だけでは不十分ならしく第九面(国際欄)にもインタビューが載つた。しかも島国根性でやっていけるかといふ見出しまで付けられた。
長い間、島国を守っていくということだけで来たからでしょう。島国根性的なことは変わっていないと思いますよ。だけど国際化が進んで、非常に国際協力が発達したなかでは、前と同じ島国根性でやっていけるのでしょうか。


まづ緒方氏は島国に言及したのではない。島国根性と島国を馬鹿にした。日本では本州のことを島だと思ふ人はほとんどゐない。北海道、九州、四国を島だと思ふ人もほとんどゐないが、文脈上、島と表現することはある。つまり島国根性とは以上の四つを除いた佐渡島、淡路島、沖縄本島などを馬鹿にした言葉とみなすしかない。ここは日本だ。日本で島を馬鹿にすればそれは四つの島以外を馬鹿にすることになる。もし緒方氏が島ではなく島国と国を付けたといふなら、佐渡国、淡路国、壱岐国、対馬国、琉球国を馬鹿にしたことになる。
緒方氏が国とは国際上の国だと云ふならインドネシア、スリランカ、キューバ、マダガスカル、フィリピンなど多数の島国を馬鹿にした。なぜ島国根性なる差別用語が緒方氏の口から飛び出したかといへば、大陸が普通で島国が異端といふ意識が緒方氏にあるからだ。もう一つ、欧米が普通で非欧米は異端といふ意識もある。それは「国際化が進んで、非常に国際協力が発達したなかでは」といふ発言で明らかになる。国際化とは何か。西洋が自分たちのやり方を押し付けただけではないか。だから緒方氏はイギリスやニュージーランドを島国とはみてゐないようだ。緒方氏に質問したい。西洋猿真似根性で日本と非欧州地域はやつてゆけるのか。

九月二十九日(火) 島を差別用語にしてはいけない
私が島にこだはるのは、島といふ言葉は使ひ方一つで差別用語に変はるからだ。そのことに気付いたのは昨年の沖縄フェアで、ミス沖縄が登場しコントの一人がもしかして離島出身?と尋ね、もう一人がそれは差別用語だぞと云つたときである。島は都会の喧騒を離れよい場所である。しかし使ひ方を誤ると沖縄本島より貧乏といふ意味になる。
だから島国根性といふのは西洋猿真似の視点から見た差別用語そのものである。似た言葉に村意識といふのもある。村も都会の喧騒を離れたよい場所である。しかし使ひ方を誤ると差別用語になる。

十月二日(金) 特殊な少数者から社会を考察してはいけない
二十五日の三十五面(文化・文芸欄)には変わる女性の性表現と題して、上野千鶴子氏と女性作家の対談が載つた(記事批判は遊行経にも掲載)。前文は
女性による「性」の表現に、変化が起きている。差別や抑圧の下で生きる「痛み」から、からりと明るい「笑い」へ。フェミニズムの先駆者・上野千鶴子さん(67)と、性や生き方をテーマにしてきた作家の北原みのりさん(44)が、背景を語り合った。

まづ性の表現に関はる女性は極めて少数だ。僅かな数から世の中を見るのは、例へば殺人犯人像の経年変化から世の中を調査しようとするもので、正しい結論も幾つかは出るがほとんどは無意味な調査に終はる。それと同じで極めて少ない女性の「性」の表現に、変化が起きていると云つたところで世の中の動きとは無関係である。本文に入ると
−−今年、人型ロボットにセクハラをして遊ぶプログラムが開発されました。中心になったのは女性デザイナー。女性による「性」の表現として印象的な出来事でした。(注1)
北原 私は女性が性を表現した作品に、痛みや力を感じてきました。でも、ロボットに「痛み」はありません。「この『人』は何をやっても痛まない」と、笑ってセクハラできる。(以下略)

相手がロボットでもセクハラはよくない。それが私の第一印象である。(注1)を見ると、セクハラ事案生成ロボ・ペッパイちゃんの説明と、デザイナーの女性が発案したことといふ解説があり、最後に「セクハラ是認」との批判も浴びたとあるから、私だけではなく多くの人がセクハラはよくないと批判したのである。それなのになぜ社会破壊拝米新自由主義反日(自称朝日)新聞は掲載するのか。

十月三日(土) 社会に有害な存在を賞賛する悪質な新聞
−−ろくでなし子さんの作品も笑いを誘います。(注2)
上野 女性アーティストにとって、女性器の表現は核心的な主題です。

ここから先は下品なため省略した。(注2)にはろくでなし子さんがわいせつ物領付罪とわいせつ物陳列罪で起訴され公判中のことと、北原氏がろくでなし子さんに関はつたため
北原さんは積極的に争わず略式命令を受けた。

ここだけ読むと大したことのない印象を受ける。積極的に争へば無罪だつたかのような書き方だからだ。ちょうど朝日新聞が慰安婦ねつ造記事の取り消しを福島原発の記事の取り消しの次に付属物みたいに扱つて軽く見せたのと似てゐる。北原さんには弁護士が付いてゐて、警察に逮捕されたときも2時間後には弁護士が警察署に到着した。争つて無罪を勝ち取れるか無理かは弁護士と相談したはずだ。

十月四日(日) 天声人語
二十六日の天声人語は次の文章で始まる。
戦前の日本は、どのようにして先の戦争に突入していったのか。政治学者の丸山真男は、敗戦直後に執筆した論文で喝破している。「何となく何物かに押されつつ、ずるずると」。

こんなことは判り切つたことだ。それなのに丸山真男を引用する。その偏向した志向にまづ驚く。次に何物かに押されつつではない。新聞社に押されつつとしなくてはいけない。戦争を煽つたのは新聞社なのだから。
終戦直後は皆の思想が混乱した。丸山真男も同じである(いまだに丸山真男を信奉する者は現代の軍国主義者であるへ)。それなのに敗戦直後に執筆した論文で喝破していると得意になつて書く。無能な執筆者には呆れる。
偏声珍語、ではなかつた天声人語の最後は次で締めくくつてある。
大会組織委員長でもある森氏は撤回前、3、4千億円かけてもいいと語っていた。それでも、おとがめなし。「ずるずる」体質は骨がらみなのか。

丸山真男の発言には大切なことが抜けてゐる。解決策である。丸山は何でも西洋の真似をすれば解決すると信じたようだ。だからファシズムまで日本のものはドイツやイタリアのファシズムとは違ふと述べた。この日の天声人語も同じで、西洋のものがよいとは一言も書かないが、行間には十言、百言と書いてある。西洋のやり方を完全に真似するには言語体系、家庭、人間関係、更には食事から気候まですべてを西洋化しなくては駄目である。そんなことはできる訳がない。
だつたら日本に合ふ方法を考へるしかない。そのことを学者に期待したい。少なくとも朝日新聞の売文屋には無理である。だつたら偉さうに反日言辞を繰り返すのではなく、地道に世の中の不合理を取り上げるべきだ。(完)

追記十月十三日(火) 上野千鶴子氏の言品な発言を再度批判
先日の引用で「ここから先は下品なため省略した」と書いた部分は、熟女発言に匹敵する下品な発言である。新聞がこのような文章を書いてよいのか。反日新聞の本質が社会破壊であることを改めて認識した。上野千鶴子氏の主張は人間の畜生化である。今回の発言は更に、畜生の機械化である。単純唯物論の恐ろしさも改めて認識した。


朝日新聞批判、その十一(マスコミの横暴を許すな40)
朝日新聞批判、その十三(マスコミの横暴を許すな42)

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