二千二百六十一(和語のうた)最新の歌論(八百一号記念特集)会話引用、万葉古今、子規と万葉
甲辰(西洋未開人歴2024)年
三月六日(水)
今号は「うた(八百一)」で、その記念特集だ。まづ、過去の特集について「話し言葉」を「会話」「会話調」に修正した。その理由は、和語の歌では、口語の事を「話し言葉」と詠んだ歌が幾つかあるので、混同を避けた。口語は、書き言葉と話し言葉に分けるのではなく、文章と会話に分けた。修正は1649、2142、2160の3ファイルだけだった。
先頭ページから入れる項目別検索の、「2-1.和歌」に801号を追加した。
和歌1号、11号、21号、31号、・・・(これ以降、すべての記事が和歌です)・・・801号
会話は普通の文章では、「 」で括るか或いは例へば、何々と云ふ、と書く。歌に記号を使ふべきではないから、後者なら可能だ。例へば
危ないよ母親の声幼子が倒れさうにて倒れずに来る
これまで、歌は文章だから会話調は駄目、と言って来たが、文章の中に引用するのであれば可能だ。
三月六日(水)その二
歌には、定型のほかにもう一つ美しさが必要と、これまで主張してきた。古今集の歌は、もう一つの美しさが有る筈が、それを感じないのは貴族の庶民とかけ離れた感覚と、出世など別の意図があるためだ。一葉の歌を読むとこれこそ古今集の美しさだと感じる。
一葉の歌には、良寛の歌と似たものもある。良寛は万葉集一辺倒ではなく、古今集に似た部分もある。万葉と古今は、二者択一に分離できるものではなく、良寛と一葉はその中間だ。小生自身も、自称その中間だ。
よろづ葉と古き今まで 二つには分かれず中にある歌が多く良寛一葉もその中にして二つ備へる
反歌
わが歌もよろづと古きその二つ備へる歌に入るを願ふ
子規の歌論は、写生と万葉集の二つが合はさったものだ。写生だけではないことは、子規が生存してゐた時代には万葉主義者たちが何人も歌会に参加したことでも分かる。
左千夫が主導する時代になって、それらの人たちが来なくなったことについて、万葉主義者とは手を切ったとする後世の書籍もあり、それは正しいのだらう。左千夫、赤彦、茂吉に熱心な万葉論と万葉集への傾倒が見られるから、左千夫とその一門は万葉集と手を切った訳ではなかった。
昭和六十年前後から、左千夫が悪いとする議論がまかり通るやうになったため、以上のことを指摘した。
秋津洲負け戦にてよろづ葉を離れることが現れて 左千夫のせいとする動きあり
反歌
見姿で左千夫を離す動きあり茂吉はせずも継ぐの人たち(終)
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