千六百四十九(新和語の歌) 私の歌は口語なのに、万葉集と似る理由
辛丑(2021)
十一月二十七日(土)
万葉集の歌は、文法と語彙に於いて、当時の言葉だった。時代を経るにつれて、文法と語彙が変化した。しかし既に書かれたた文書は、変化しない。ここに口語と文語が分かれた。
私がホームページに作った歌は、万葉集に似ると(本人だけが)思ってきた。理由は判らないから、心が似ると考へた。そして心が似る理由が判った。どちらも作ったときに使はれる言葉だ。
大昔 使ふ語(ことば)で 歌を詠む 千歳(ちとせ)を隔て 今にても 使ふ語(ことば)で 歌を書く 同じ心が 昔と今に

(反歌) 書く語(ことば) 話す言葉と 異なりて 美しさあり 慶びがあり

十一月二十八日(日)
明治維新以降、言文一致運動が起きた。しかし文語が使はれなくなったのは、昭和四十年以降だらう。それまでデモ隊は「何々せよ」と叫んだし、数学では「故に」の語を使った。
昭和四十年までは、文語と云ってもそれは文法のことで、語彙は現代語だった。その一方で、国語(古文)の教師が飛鳥時代や平安時代の文章を、文語と呼ぶこともあった。
つまり、口語は現代語、文語は現代から過去まですべてを含むものでもあった。昭和四十年以降、文語が使はれなくなったのは、マッカーサの洗脳が効き過ぎたためだ。それは漢字の略字、新仮名遣ひによる。
外の国 軍人(いくさびと)ども 洋(うみ)を越え 陸(おか)に上がりて 文(ふみ)の字(あざ) 変へたは何を する為か 昔の書(ふみ)を 読ませない為

(反歌) 我々が 昔の書(ふみ)を 読むことに 馴れれば今の 世にも役立つ

十一月二十九日(月)
古今集に収録された歌人のうち、万葉集を模範に歌を詠んだ人の割合はどのくらいだらうか。半分だとするとそれらの人びとは、当時使はれた語彙とは異なるものも使ったことになる。万葉集でも、四つの期に分けた場合に、前の期を参考にすると、語彙は少し異なるだらう。
古今集以降の人たちは、古今集を暗記し、その影響を大きく受けた。語彙の違ひは大きいのではないだらうか。さうなると、生活とはかけ離れた表現になるだらう。
暮らす声 歌を詠む声 異なると 力失ひ 光失ふ


十一月三十日(火)
口語と文語の違ひは文法だ。そして口語は、文章と会話に分けられる。歌は文章で詠むべきだ。会話だと、上品さが失はれる。
万葉集と私の歌では、大きな違ひがある。万葉集は、多くの人たちの膨大な歌のなかから選ばれた。私の歌は云はば、その膨大のなかの一部だ。私の歌も昔だったら、幾つかは万葉集に載ったかな、と(本人だけが)思ってゐる。
歌を詠む 心を正し 世の中も 良くすることが 出来ると思ふ
(終)

和歌論十九へ 和歌論二十一へ

メニューへ戻る 歌(百八十八)へ 歌(百九十)へ