千四百六十五 (和歌)市内の中堅駅前通り
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
九月六日(日)
(中華街に行かう、横浜駅の新商業施設ではなく)に書いたやうに、二年ぶりに鶴見へ行った。駅東口前の、格安理容店と格安そば屋は、二十七年前と変わらなかった。格安理容店は外装を変へたが。
二十七年前に追浜駅から1Kmの顧客から仕事を受注した。月に二回ほど打ち合はせに行ったが、追浜駅前は落ち着いた昭和の雰囲気で感性が合った。
そのときは気が付かなかったが、横浜を引っ越して二年を経過すると、鶴見駅前と追浜駅前は似てゐる。当時気付かなかったのは、鶴見は川崎の隣なので都会の印象があった。そして毎日通勤するので気付かなかった。
別の市の 中心ではない
中堅の 二つの駅前
落ち着いて 雰囲気が似る 懐かしい街
(反歌)工場が近くにあるのが特徴だ昭和を残す二つの理由
どちらも工業地帯が近くにある。そして工場はプラザ合意以降従業員を激減させた。駅前通りが昔の雰囲気を残すのは、プラザ合意以前の状態で固定されただけだった。

九月七日(月)
鶴見には 職安があり
映画館 飲み屋街に
作業靴 現業の街 工場の街
(反歌)少しづつ店が消えてはマンションとおしゃれな店に變はる街並み
鶴見の職安は神奈川職安に吸収された。映画館は建物が解体された。作業靴問屋のあった鶴見銀座は寂れた。鶴見の大黒埠頭からベイブリッジを渡ると、本牧ふ頭に造ったばかりのたくさんの乗用車が船積みを待つ光景が上から見えた。プラザ合意後の二十七年前にこの光景が残ってゐたのは、工場移転や製造計画の変更は急にはできないからだ。

九月八日(火)
鶴見駅西口の正面一等地に、店が四つくらいの大型家電チェーン店があった。店長クラスの人が親切で人気があった。まさか閉店するとは思はなかった。
近くにトポスと云ふダイエーの安売り店があった。ここも閉店された。インターネットで調べると1971年(昭和46年)ダイエーとして開店、1986年(昭和61年)トポスに転換。5階建てだが上りエスカレーターのみで客用エレベーターは無し。 2008年(平成20年)閉店。末期は5階を閉鎖し、3・4階はダイソーになった。店舗面積4,238m2、閉店時の直営店舗面積約2,534m2。
鶴見から 次々消える
大型店 家電にトポス
書籍店 書籍は鶴見銀座にあった
(反歌)家具店の閉鎖は三つ川の先鶴見銀座と横浜駅傍(そば)
鶴見川の先、鶴見銀座、横浜駅そばと、三つが閉店したのには驚いた。
書籍店は鶴見銀座と京急の高架側の両方に出入り口とレジがあり、あんな大きな店が、と驚いた。その少し前に、国道15号沿ひに新しい書店が開店した。600m離れてゐるし、駅前と国道沿ひだから、客層が異なると思ふのだが。
国道の更に先の鶴見川沿ひにイトーヨーカドーとサトームセンが開店したが、家電店とトポスの閉店理由ではないと思ふ。時期に相違がある。それよりイトーヨーカドーができたため、鶴見川の先の商店が寂れた。会社の向かひにあった小さな生協店が閉店した。サトームセンは会社自体が倒産し、ヤマダ電機になり小規模で今でも営業してゐる。

九月九日(水)
すべてはプラザ合意が悪い。
円高が 日本の社会を
破壊した 三十年後も
未解決 悪い政治屋 〇曽根〇弘
(反歌)円高が破壊したのは産業と更に恐ろし社会そのもの
丸曽根丸彦としたのは、本名を書くと和歌が汚れる。

九月十日(木)
今回の特集を始めるときは、市の中心ではない中堅駅前の特長を探ることだった。ところが円高がすべての原因だと気付いた。駅前の家電店や書籍店が閉店したのも、円高で自動車社会が到来したためだ。(終)

前、和歌十和歌十一の二特別編

メニューへ戻る 前へ 次へ