二千二百五十九(うた)語彙が似ても歌風が似るとは限らない(佐佐木信綱作詩の根津小学校旧校歌)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
三月三日(日)
小学校六年のときに、根津小学校の七十周年式典があった。上級学年が出席し、戦前の校歌を歌った。曲がよく、それに対して戦後の校歌は大きく劣る。小学生でもさう思った。
歌詞もよく、これは佐佐木信綱作詩だった。
緑の陰濃き根津の御(み)社
真近に仰ぎて心を正し
尊き皇国を背に負ふ吾等
等しく其の日の務めを果たす

小生が「背負ふ」のことを「背に負ふ」とときどき書くのは、校歌の影響である。例へば「樋口一葉の世界」(その二)の「家の主母と妹背に負ひて皆で生きるは沈むが多し」。
だからと云って、小生の歌は信綱の影響を受けてゐない。一葉について書いた書籍に、似た表現があることを以て、影響を受けたと書いてあったので、さうではない例として信綱と小生を挙げた。
もう一つ校歌で思ひ出すことがある。歌を詠むときに、途中の句で終止形を用ゐた方がよいのでは、と思ふことがときどきある。中学生になって、この校歌「真近に仰ぎて心を正し」は「真近に仰ぎて心を正」のほうがよいのではないかと思った。或いは小学生のときかも知れないが、小学生ではそこまで思はないだらう。その疑問が今でも続く。
六十年近く前の記憶だから、漢字は「吾等」が「我等」など、多少異なるかも知れない。また式典の練習の時は、「かげこき」と平仮名だったので、意味が分からなかった。小生がこの歌詞で、特に好きな部分は「心を正し」「背に負ふ吾等」「等しくその日の務めを果たす」だ。

三月五日(火)
校歌については中学生のときにさう感じたが、旋律を付けて歌ふなら信綱のほうがいいかな、と今では思ふ。曲を付けず独立した詞なら終止形がよいのではないだらうか。
和歌を作るときに終止形にした例として最新の歌論(竹取物語、序詞、一葉の歌)の「はしがき(序)の詞を含む歌を詠む思ひもよらず入るのが はしがき詞使ひ方かも」の「歌を詠む」だ。普通なら「歌を詠み」とする。
根津に在る権現様は維新後は神社を名乗る 知る人は後の世にても古い呼び名で

反歌  権現は看護師寮が横にありかつて往き来が今は昔に
小学生の時に「根津と云ふと根津権現があるところ?」と質問されたことがある。地元ではなくても権現で有名だった。中学生の時に、権現の横に日本医大病院の看護師寮が出来た。住み込み管理人の娘は、小生の同級生だった。権現の境内を往き来する看護師は、二十年くらい前だらうか寮を廃止し大学院になり、見られなくなった。街中を白衣では歩かないが、権現の横が寮、権現裏門の前が病院なのでこの区間は特別だった。権現様も落胆したであらう。(終)

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