八百二十四 共産主義者を救ふのは宗教者の使命だ(左翼を左翼崩れに追ひやつてはいけない)
平成二十八年丙申
三月二十八日(月)
石原莞爾
石原莞爾は如何にして共産主義者を救ふかと云つた。私自身は、救ふと表現すると宗教者が上、共産主義者が下といふ意識になるから、如何にして共産主義者と共に歩み、その中で意識を共通化して行くかといふ立場を貫いてきた。
一番いけないのは、共産主義者を左翼崩れに追ひやることだ。左翼崩れは社会を破壊する。社会に有害だ。
三月三十一日(木)
左翼崩れの典型
左翼崩れの典型は、社会破壊拝米新自由主義新聞失格反日パンフレット(自称朝日新聞)だ。或いはシロアリ民進党だ。左翼はスターリンの粛清、毛沢東の権力闘争、ポルポトの大虐殺が明らかになつた。なぜ左翼にこれらが発生したのかその根本原因を調べず、安直に「民主主義」で片づけようとするからいけない。これら三つの事件の直接の原因は独裁だ。しかし混乱期にあつては党内や国内を民主主義にしても、これらは発生する。
英米仏蘭は戦後しばらく経つまで世界のほとんどを植民地にしたが、英米仏蘭自身は民主主義だつた。それなのに植民地の住民が独立を叫ぶことは投獄や死罪の虞があつた。ドイツのヒトラーは民主主義から生まれた。
独裁者がゐるときに民主主義を叫ぶのはよいことだ。日本の場合だと江戸時代や東條英機内閣の時代に民主主義を叫ぶなら偉い。今、叫んでゐる人たちを江戸時代や東條内閣の時代に放り込んだら、果たして民主主義を叫ぶだらうか。叫びさうもない人間に限つて今の時代で声高に民主主義を叫ぶ。
四月ニ日(土)
唯物論が諸悪の根源
現代の日本や所謂先進国が混乱しないのは経済が豊かだからだ。しかしこれは地球滅亡と引き換へだ。社会が混乱したときに民主主義だけだと混乱を抑へられない。戦国時代は兵の数で概ね勝敗が確定したし、兵の数は農民の数と比例した。戦国大名は家臣や国人の意見を聞かないと下克上が起つたし、他の大名に勝てなかつた。だから半分以上は民主主義と云へる。しかし戦国時代を終らせるのに長い年月を要した。
社会を安定させるには文化が必要だ。文化とは社会が定常状態にするための生活の知恵だ。文化を破壊するのが唯物論だ。マルクスが弁証法的唯物論を提唱した理由は、当時は唯物論の世の中で社会は破壊に向かふしかなかつた。かと云つて中世には戻れない。だから弁証法的唯物論で社会を再構築しようとした。そこを見ないと、共産主義者は社会を破壊する側に回つてしまふ。
四月三日(日)
左翼は救へるが、左翼崩れは救ひようがない
政治運動が左翼と右翼に分裂したのは、外国の影響だ(特に日本の戦後の左翼はロシア革命が原因だが、幸徳秋水のように西洋の無政府主義に被れてしまつた人もゐるから、まとめて「外国の影響」とすることができる)。
ロシア革命の結果、無政府主義は消滅し、西洋列強に苦しむアジアではマルクス主義にまとまつた。米ソ冷戦の影響で、日本では左翼と保守主義が対立を続けた。しかし米ソ冷戦は終はつた。左翼と伝統主義が対立する理由はなくなつた。宗教者も左翼と対立する必要はなくなつた。
一方で左翼崩れ(シロアリ民進党、社会破壊拝米新自由主義新聞失格反日パンフレットがその典型)は、社会を破壊することと既得権を維持することが目的と化してしまつたから、ほとんどの国民にとつて敵対対象となつた。
四月十五日(金)
左翼崩れの民主主義偽装を再度批判
左翼崩れが民主主義を偽装することの批判を補足しておかう。腹黒い男がゐるとする。この男は毎朝鏡の前で笑顔の練習をした。だからこの男が腹黒いことに誰も気付かなかつた。左翼崩れが民主主義を叫ぶのはこれと同じだ。
本当にすべきは、唯物論の残酷さに対抗して、そしてあの時代は唯物論万能の時代になるであらうことが予想されたら、弁証法的唯物論で対抗したことに気付くことだ。唯物論に対抗するといふ部分を忘れることは腹黒い男だ。民主主義を叫ぶことは鏡の前で笑顔の練習をすることだ。
四月十五日(金)そのニ
宗教者の役割り
米ソの冷戦が終はり、左翼と右翼を区別する必要は無くなつた。しかし左翼と右翼が連帯したら、何か過激な連中が現れた印象を世間に与へる。ここに宗教者が加はることで過激を緩和することができる。
この場合、宗教者自身が唯物論になつてはいけない。宗教者が唯物論になつた例が日本に二つある。一つは妹尾義郎、もう一つは真宗大谷派の内局だ。妹尾義郎のページに載せた表が唯物論の特徴をよく表してゐる。真宗大谷派内局については特集(その一、そのニ)を最近書いた。(完)
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