七百八十三 浅草東本願寺参拝記、門前の大谷派末寺に法主追放の副作用を見る

平成二十七乙未
十二月十五日(火) 東本願寺へ
日曜は待乳山聖天の帰りに浅草の東本願寺を参拝した。本堂に入ると若い僧侶が片付けをしてゐたが、向かうから挨拶してくれて感じのよい本山だ。真宗大谷派の騒動で法主は京都の東本願寺を独立させようとしたが失敗、ご長男(新門)は東京別院東京本願寺の独立に成功。東京別院は浄土真宗東本願寺派本山になつた。末寺は九千から三百数十に激減したが、まとまりのある感じのよい宗派になつた。
午後一時から法話がある。浅草寺でも午後二時から御宮殿御開扉がある。この時点では東本願寺の法話に参加しようとまだ決めてはゐなかつた。東大島の江東メモリアルに行き、作家Xの言葉を刻んだ碑の写真(123)を撮つた。作家X忌法要のときに撮つた写真がうまく写つてゐなかつたためだ。
この日はあいにくの雨だつた。東大島駅前の100円ローソンで買つた昼食を、東大島は地上駅で寒いから、隣の大島駅のホームのベンチで食べたあと、東本願寺に向かつた。浅草寺の御開扉は一般の参拝者は参加できないかも知れない。そんな思ひがあつた。なぜ100円ローソンで買ふかといふと、安いといふこともあるが、庶民の店を守らうといふ理由が大きい。

(追記十二月二十日(日) すべての宗教は統一できる
天台宗系聖観音宗と、僧X宗と、浄土真宗東本願寺派の寺院になぜ一度に参拝できるのかを説明しませう。これら三つだけではなく、私は上座部仏教のお寺に参拝することもある。上座部仏教では、呼吸に集中する、自分の動作に集中する、心に水晶があると想像するなどいろいろな止観(坐禅、瞑想)の方法がある。同じように日本の禅宗系も、曹洞宗のようにただ座ることに意義があるやり方と、臨済宗のように公案を解く方法がある。つまりこれらすべては止観に向かふための方法が違ふだけだ。更には、XX教もイスラム教もヒンズー教も儒教・道教・神道もすべて止観の方法だと気付けば、止観をすることが自身に功徳を与へ、諸天の神々もそれを賞賛し、一切衆生に回向することも判る。全宗教の統一である。
今回から私のホームページでは坐禅、瞑想といふ用語を統一して止観とすることにした。それだけ今回の特集(浅草東本願寺参拝記)は重視した。奇しくもこの日に参拝した三宗の関係、僧X聖人と親鸞聖人は比叡山に学ばれたことを象徴する用語の統一となつた。)

十二月十六日(水) 説法
まづ正信念仏偈、恩徳讃の読誦を行なつた。節をつけて読むお東さん独自の読み方にまづ驚嘆した。二十年以上前にタイの寺院に参拝したとき見るもの聞く物すべてが珍しかつたが、そのときと同じ心境だつた。
長い勤行ののちに説法に入つた。若いのに教学力があり、俗人のふりをして坊主バーに客として行つた話あり、テレビによる最近の第2お坊さんブームへの批評あり、充実した内容だつた。

最初からさう思つた訳ではなかつた。最初、寒さに弱い、聴力が落ちたことがある、歯ぎしりで摩耗するなどの話があつたので、若いから仕方がないが、末寺が少ないから法話の質が落ちたと早合点してしまつた。9000の末寺から選抜されて本山で説法するのと300の末寺から選抜されるのとでは質が違ふと勝手に解釈した。
風向きが変つたのは、歎異抄について黒板に書かれたときだつた。抄の字は、お西では鈔、お東は抄を使ふ、第一章、第二章の章も、西では第一条、第二条と呼ぶ、といふ話をされた。お、普段から勉強してゐるなと聞き耳を立てると、坊主バーは本物の僧侶ではなく寺の次男など僧侶ではない人が商売でやつてゐるのでは、テレビに出演する僧はありふれたことを言ふと次から出演しなくなる、など本質を突く話が次々と出た。
抄の字のお西とお東の違ひの話から、なぜ普段から勉強をしてゐると判断できるかといへば、そのことだけ知つてゐて話すのと、多くの知識を持つ中のお西とお東の違ひを話すのでは、話し方が異なる。そして適切な位置でその話ができない。

十二月十八日(金) 説法、その二
説法を聴いたときのメモ書きが出て来たので説法の詳細を記すと、普段信仰をせず阿弥陀仏を1回信仰した人が浄土に行けることについて
浄土に報土、辺地。辺地には仏、僧がゐない。大無量寿経には500年。つまり無限ではなく有限。その間に阿弥陀仏を信じれば報土に行ける。地獄に落ちることはない。

このようなお話があつた。テレビ番組「ぶっちゃけ寺」のブームについて
ねたが無くなつてきたので終るのではないか。方便を超えてしまつたのでは。僧は俗のかたまりとテレビを見て思はれてしまふ。ブームで行きすぎないように。

といふお話があつた。或る有名な占い師がテレビで、三が日はお寺に行つてはいけないと発言したので、全日仏と全仏婦から手紙を出し、それ以降テレビに出なくなつた、全仏婦は大裏方さんが役員をされ、裏方さんは若いがそのうち役員をされるだらう。そのような話もあり充実した1時間半(その前に勤行30分)を終へた。

十二月十九日(土) 坂本龍馬の思想と、木戸孝允大久保利通の思想
東本願寺の正門前の道路と東門前の道路には、両側に塔頭形式で末寺が合計十八並ぶ。表札を見ると真宗大谷派と書かれたものが多く、浄土真宗東本願寺派は一つも無かつた(見落としたかも知れない)。心配になりインターネットで調べると六寺が浄土真宗東本願寺派、十二寺が真宗大谷派で安心した。比率からすれば三百寺対、九千寺だから1/3が本山側に付いてよかつた。

なぜ心情的に本山側を応援するかといふと、坂本龍馬が最後は幕府を助けようとしたのと同じで、権力側が敗者となつたとき、正義は逆転して旧権力側に移る。明治維新のとき坂本龍馬の提案が実現されれば幕府と諸藩の連立政権ができて、神仏分離はなく、日本が西洋のものを急速に吸収することもなく、朝鮮や清国が日本を嫌ふ理由がなく日清戦争は無かつた。それと同じで真宗大谷派の内局側は、やり方が強引だつた。法主に反対なら自分たちが独立するのが一番良い。包括法人としての真宗大谷派を一緒に独立させてもこれは許される。しかし法主が住職を務める京都の東本願寺を法人解散して吸収することは許されない。内局側がいふように借金や不明金など問題があつたのかも知れない。その辺の事情は判らないが、少なくとも今の東本願寺派は真面目な宗派だから応援したくなる。

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十二月十九日(土)その二 台東9条の会
東本願寺周辺の末寺の幾つかに、台東9条の会といふ標識が掲げてあつた。私も仏教徒の一人として戦争には絶対反対だ。しかし憲法第9条のうち戦争放棄はよいとして、自衛権は憲法に入れないと今の自衛隊は違憲になる。少なくとも野党第一党の社会党は村山富市の前まで違憲を主張したし、共産党は多少主張が異なつても違憲といふことでは同意見だつた。そして美濃部都知事は社会党と共産党の推薦候補だからこの立場だつたし、かつて東本願寺のあつた京都府知事もこの立場だつた。東京周辺の神奈川県知事、埼玉県知事もこの立場だつた。
村山富市が自衛隊を認めてから変になつた。本来は改憲の主張だつた人たちが護憲を云ひだした。要は日本の独立に反対なのだ。米軍の属領を続けたいのだ。本来は改憲の主張だつた人たちだけではない。革新勢力だつた人たちまで別の護憲を云ひだした。帝国主義は全部を批判しなくてはいけないのに、米英仏は正しく、日本は間違つてゐたと主張する。左翼崩れの誕生である。
僧侶がお寺で9条を主張してはいけない。それでは違ふ意見の人の救済を放棄してしまふ。戦争に反対するのは仏教徒として当然だが、それ以外の添加物を主張してはいけない。

十二月十九日(土)その三 真宗大谷派不戦決議
ある末寺には、真宗大谷派不戦決議なるものまで掲げられてゐる。この決議は正しくない。まづ人を殺したり自分が殺されることが好きだといふ人はゐないといふのが我々仏教徒の立場だ。真宗大谷派不戦決議なるものは、自分たちだけが平和主義者で、その他の多くの人たちは違ふと考へてしまつた。その思ひ上がりを矯正することから始めなくてはいけない。
次に当時の多くの国民がなぜ戦争に賛成したのかは、当時の世界情勢を考へないと理解できない。欧米を除いてその他の地域はほとんどが植民地だつた。そして武力による対立は平成三(1991)年のソ連崩壊まで続いた。第一次世界大戦は帝国主義間、第二次世界大戦は植民地を持てる国と持たざる国、朝鮮戦争からベトナム戦争までは米・西欧と、ソ・東欧・中の対立だつた。ところがソ連が崩壊すると、とたんに米英仏は正しくて日本は間違つてゐたといふ奇妙な世界観が出て来た。
真宗大谷派不戦決議が登場したのは、ソ連が崩壊して四年後のことだつた。

十二月十九日(土)その四 真宗大谷派は唯物論に毒された
お東騒動で法主側は、内局が共産主義者に乗つ取られたと当時主張した。当時の共産主義は資本主義と米帝国主義(ベトナム戦争終結まではこの呼び方は一般的だつた)に反対し民族運動を助成したから、私は共産主義は唯物論を克服したと考へ、だから共産主義に乗つ取られたのではなく、戦後にGHQがばら撒いた多数決主義と近代主義に乗つ取られたと思ふ。
ソ連が崩壊ののちは、恐ろしい話だがアメリカ一国が、或いはアメリカとそれに追従する西欧が世界を支配した。このとき日本が欧米の真似をすると国内の精神が混乱し社会は崩壊する。なぜなら日本と欧米は文化が大きく異なる。唯物論とは文化を無視することだ。世間一般には神仏を信じないことが唯物論といはれる。しかしそれでは世の中の現象をすべて説明できない。
不戦決議の最後の部分を批判することで、大谷派の唯物論批判としたい。
私たちは、民族・言語・文化・宗教の相違を越えて、戦争を許さない、豊かで平和な国際社会の建設にむけて、すべての人々と歩みをともにすることを誓うものであります。
右、決意いたします。

一九九五年六月一三日
真宗大谷派宗議会議員一同
一九九五年六月一五日
真宗大谷派参議会議員一同

まづ民族・言語・文化・宗教の相違を越えて、戦争を許さない平和な国際社会を建設することには大賛成だ。一方でアメリカ一国、或いはアメリカとそれに追従する西欧が世界を支配する現実に目を向けると、民族・言語・文化・宗教が欧米に統合されつつある。大航海時代以前の民族・言語・文化・宗教は保護されることを云はないと、欧米以外は大変なことになる。否、すでにアラブやアフガニスタンではなつてしまつた。
一九九五年六月一三日はよくない。真宗大谷派はいつXX教に改宗したのかと嫌みを云ひたくなる。ここは日本だ。聖徳太子の時代も親鸞聖人の時代も、そして現在に至るまで日本の年号が用いられた。なぜ宗議会と参議会は西暦を用いるのか。こんなところにも「民族・言語・文化・宗教の相違を越えて」と云ひながら実際は民族・言語・文化・宗教で西洋に統合されつつあることを示す。(完)

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