八百二十二 川崎大師の御影供(みえく)まつり
平成二十八年丙申(書いた日ではなく、起きた日で記載しました)
三月十八日(金)
御花奉納式
十八日から二十四日まで、川崎大師の御影供まつりがある。今日は御花奉納式があるので、休暇を取り参拝した。本坊から本堂までの行列を見学し本堂入口まで行くと、中から美しい合唱が聞こえた。本堂に入り、法要が始まり途中でも合唱があつた。智韻寺讃祷歌詠唱団による。その後、御花講講員による御宝前献花が行はれた。
讃祷歌といふものがあるとは書物で読んだことがある。しかし実際に聴くのは初めてだ。詠唱団の指揮は西洋音楽の専門家だが、団員に僧も一人見えた。作詞作曲は僧侶の名前が書かれてゐる。この僧だらうか。
三月十九日(土)
川崎大師教学研究所
今日は御影供まつりとは別に、川崎大師教学研究所で「浮世絵に見る川崎の街とお大師さま」といふ題で講演会があるので、これを聴きに行つた。国際浮世絵学会理事の女性が話される。
まづ心経勤行式。最初は「開教の文(もん)」で無上甚深微妙の法は、と導師が唱へられたあと、百千万劫にも遭い遇うこと難し以下を全員で唱へる。他宗でいふ開経偈の書き下し文だ。続いて「般若心経」を題名導師のあと全員で唱へ、「御宝号」で南無本尊界会と南無大師遍照金剛を全員で、「普回向」で願わくは以下一行を導師のあと、残りを全員で唱へるのは他宗と同一だつた。
講演では、江戸を明け方に出発すると品川で日の出になる、役者がそろつて川崎大師に参拝する浮世絵を見て多くの人たちも真似をした、領国回向院での出開帳、版画かすり減つて補修したため後期の印刷は図柄が少し異なる、などのお話があつた。
この日は同じ時刻に川崎大師で御褥奉納式といふ本尊仏像の座布団を奉納する儀式がある。これは参拝できないが午後四時半から実際に座布団交換が行はれるので、それに参拝しようと思つた。ところが講演会終了後川崎大師に到着したら小雨で寒い。信徒会館は暖房が入つてゐるかと思つたら入つてゐない。この日は薄着だつた。信徒会館で三十分ほど教学研究所で頂いた資料を読んだが、更に一時間半待つのは困難だからそのまま帰宅した。
後で知つたことだが、御褥奉納式は大師駅から大本堂までお練りの行列がある。来年はぜひ拝観したいものだ。
三月二十日(日)
正御影供大法要
御影供まつりの中心は、本日から三日間行はれる正御影供大法要だ。一日に朝、午後一時、夕方の三回行はれる。朝と午後は開帳、夕方は閉帳として行はれる。私は本日の午後一時に参拝した。
御花奉納式のときは会場に余裕があつたので、今回も同じかと思つたらぎつしり埋まつた。双盤引声念仏(そうばんいんじょうねんぶつ)といふ珍しいものが法要の途中であつた。双盤(銅鑼)を叩きながら南無阿弥陀仏に節を付けて唱へる。伝統のある珍しいものだ。
先日の教学研究所の講演を聴かせていただいたお礼もあり、法要終了後の御本尊巡りのとき、すべての賽銭箱にお金を入れて、しかも本尊には多く入れた。
三月二十三日(水)
正御影供百味供付二箇大法要(しょうみえくひゃくみくつきにかだいほうよう)
二箇大法要は年に五回奉修される。前回のときは、私の耳が西洋音楽に慣れ過ぎたためかよく判らないうちに終了した。だからもう一回参拝したいものだと思ひつつ本日を迎へた。この日は休暇届を会社に出してある。あとは午後三時の法要を待つばかりだ。
この一週間は難解も川崎大師を参詣した。なぜそんなにたくさん来るかといへば、僧X、曹洞、上座部、浄土、浄土真、真言の各宗派を等しく学ばうといふ昨年夏からの路線だが、もう一つ理由がある。臨港バスの通勤定期券が活用できる。鬼に金棒、臨終時に阿弥陀如来、川崎大師参詣に臨港バス定期券、といふ次第である。
その前に先週拝観した讃祷歌詠唱団をインターネットで調べると、智韻寺は平成二年に開山とある。二十六年しか経過をしてゐないのに、あの大人数の詠唱団と歌声はすばらしい、と感心して更に読むと、水曜の午前中の勤行で阿字観を行ふ。私は阿字観といふ言葉を知らなかつた。数か月前に会社の人で瞑想法には曹洞禅、臨済禅、阿字観があると書く人がゐたため、初めて阿字観といふものを知つた。早速電話を掛けて午前の部に参加することにした。
終了後に昼食を頂き、会話が弾むうちに午後二時を回つた。急いでお寺を出たが、今からでは間に合はない。といふことでこの日は国会図書館で阿字観について調べた。二箇大法要は次の機会に参拝したい。この日の正御影供百味供付二箇大法要は、百味のお供えが一つづつ手送りされ、御本尊にお供へされるさうだ。(完)
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