八百二十五の一 子離れを感じたが、本当の子離れは

平成二十八年丙申
三月三十日(水) 下の子の実家宿泊
下の子が、実家に泊まりに行つた。下宿生活に入ると泊まりに行けなくなるからだ。私の知らないうちに話が進んだ。今までは私が電話を掛けて、しかも子供だけで泊まることはなかつたから、さうか親離れが始まつたのか、と感慨深いものがあつた。
てつきり前以つて連絡してあると思つた。しかし行く前日に、妻は「おばあちゃんのところに連絡しておいて」と云はれたが、その日は電話が通じず、当日本人が出発したあとに連絡したさうだ。もし当日都合が悪かつたらどうするのか。しかもこの日は、引つ越しのアルバイトを入れてあつて、定時に終らず夜10時まで掛かつたため、実家到着は夜中の12時、寝たのは午前3時ださうだ。
子離れはまだ先だ。さう感じた。

三月三十一日(木) 上の子の免許合宿
上の子は春休み中に免許を取るため合宿に行つた。これも子離れを感じるが、二週間で戻つてくる。仮免に合格したといふメールがあつた。

四月一日(金) 下の子の旅立ち
下の子が大学の下宿先に旅立つた。家が売れるとこれで最後になるといふので、ガス工事のときに道路境界が不鮮明になつたので、売れないような気がすると答へた。数年前にガス管工事があつた。そのとき我が家の前ではないが、標識が撤去されてしまつた。
家屋調査士の話では、悪質な業者は標識を勝手に撤去したり別の場所にずらして埋めてしまふこともあるといふ。道路を工事する業者が標識を撤去したときは罰するべきだ。
下の子の下宿で我が家は部屋に余裕が出た。ここを売つて小さな家を買ふか借りるかする予定だつた。しかし計画を変更しなくてはならないかも知れない。

四月ニ日(土) 久しぶりの一人暮らし
昨日は妻も買い物や荷物受け取りでいつしよに出掛けた。そのため昨日から明日朝まで私一人になつた。子供が小さいときは、夏休みなどに子供2人を連れて里帰りし、その間は私が一人になつた。子供が大きくなるにつれて私一人だけの留守番は少なくなつた。そのことを思ひ出した。

四月三日(日) 優れた監督には優れた選手が集まる
一日は午後一時からの練習に参加するとかで、朝六時に家を出発した。手際の良さには感心する。その体育会サークルを調べると、監督が優れた方だ。それで昔、父が存命だつたときに、優れた監督には優れた選手が集まることを話してゐたことを思ひ出した。たまたまテレビで放送してゐたのであらう。高校野球の話題になつた。なぜ強かつた高校が弱くなるのかと私が云ふと、あの監督のところでやりたいといふ生徒が全国から集まるからだと云つた。父は別にアマチュアスポーツに詳しい訳ではないから、新聞か何かで読んだのだらう。その話を聞いて、成程と思つた。
下の子が監督まで調べて大学を選んだかは不明だ。おそらく大会の成績からだと思ふ。

四月四日(月) 私も出発
私も昨日出発した。寮を見て、大学を見て、大学周辺を見て、入学式に参加する。事情が判らないと適切な助言ができない。教育学は面白いかも知れないし、つまらないかも知れない。面白いと感じたらそれを続けてほしい。つまらないと感じたらそれは西洋の教育学が西洋以外の地域に合はないためだから、将来教員になつてから、どのようにすれば日本に合ふ教育学になるかを見つけて、後輩たちののために発表する基礎としてほしい。(完)


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