三千二百四十五(うた)空振りに終はった竹村牧男(『良寛 その仏道』『良寛「法華讃」』)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
七月一日(水)
竹村牧男『良寛 その仏道』は、初めて読む本だ。竹村さんには、四十年ほど前だらうか、NHKの番組で見た時から、中味の無い事しか云はない悪い印象を持ち続けた。今回此の本を読み、やはり同じ感想だった。
当ホームページは、竹村さんの別の書籍だが、過去に四回取り上げた。読み返すと、第一回は書籍を誉め、第二回は少し誉め、第三回は二冊あり、一冊目は誉めて、二冊目は途中から悪くなるが竹村さんは監修だった。第四回は第二回と同じ本だが、この時は評価が悪い。
今回の特集である『良寛 その仏道』に話を戻すと、「はしがき」では
良寛には、やや自信がなかったり悩みをかかえたりしている人々を、なぜか癒し、はげましてくれる温かさがある。

問題点を赤色にした。さう云ふ人たちにはもちろんのこと、さうではない人たちにも良寛和尚が心の支へとなってほしい。竹村さんと波長が合はないのは、此れが理由かも知れない。
「はしがき」はこのあと、良寛和尚について著した十一人の名を挙げ、その中で最新は阿部龍一さんの著書だ。小生のこの本は読んだことがあるが、かなり批判的だ。
第二章には、傭賃の詩について
海浜での製塩のアルバイトをしたこととの解釈もある。

竹村さんはどう考へるのか。解釈もある、とはずいぶんいいかげんだ。小生はこれまで三回取り上げ()、「傭賃」(托鉢のこと)を正しいとした。とは云へ、この直後の
以上のいくつかの詩によれば、良寛の行脚の目的は、遍参行脚と、『正法眼蔵』の写本の拝観、書写(中略)にあったと推定できよう。

ここは賛成。その直後に混同の「寝ぼけの友」について
名前が了寛であったのであれば、それは国仙和尚から印可を受けて良寛の名が与えられる以前、おそらくこの時の行脚の際の事なのであろう。

これなら、許容範囲である。このあと印可を受けることになるので、良寛和尚が坐禅や読経をしないことは、あり得ないからだ。と云ふことは、混同の嘘が分かる。
このあと竹村さんの書籍は、いろいろな人の各論並列になる。竹村さん自身は、意見が無い。波長が合はないのは、これが原因だった。これで第二章まで終はる。

七月三日(金)
第三章から第五章まで読み、あちこち情報を羅列するが、本質が無い。これが感想になった。第六章「良寛の『法華経』観2」に入り
なぜ(中略)『法華讃』を作ったのであろうか。(中略)「開口」(序)と「閣筆」(結)を除いて百の讃の形式は、『碧巌録』『従容禄』等の(中略)伝統にもとづく(中略)また、円通寺九世(中略)には(中略)百の批評の頌をまとめた著作がある(柳田『沙門良寛』以下略)ことから、(中略)良寛に影響を与えていたことであろう。

ここまでは同感。ところが続いて
白隠には、『般若心経』(中略)に頌をつけた(中略)作品があり、(中略)影響を与えたことであろう。

根拠は何なのか。竹村さんの主張が素通りする理由は、ここにもある。
そのやうな中で、竹村さんも、次のやうな良いことも云ふ。序品の讃で
日は朝々、東より出で
月は夜々、西に沈む
(中略)本の光瑞は斯(かく)の若し、と
   将に謂えり多少の奇特と

竹村さんは
文殊菩薩はこの奇瑞を讃え(中略)これに対し良寛は(中略)毎朝、太陽が東からのぼり(中略)日常ありのままのところにあるのだ、と釘を刺すのである。

この竹村さんの見識が勝れるのは、法華経を越える坐禅の立場を見逃さなかったことだ。
経典を超える讃にて批判ありどう整合を南無妙法華

反長歌  法華讃良寛和尚開口(く)にて 開口(こう)するも閉口も謗るが故に合掌は 身と法華経の一体観か

七月四日(土)
第八章「良寛の浄土教」では
隠元が日本に来て、(中略)黄檗宗が言われるようになるが、中国にこの一宗があったわけではない。隠元自身、臨済宗の南嶽下の(中略)一員と自覚していたと思われる(以下略)

日本でも、臨済宗の一派として扱はれたのは、正しかった。さて、法然は
「ただし浄土一宗において、諸家また不動なり。いわゆる廬山の慧遠法師、慈愍三蔵、道綽・善導等これなり」

竹村さんが補足し、廬山の慧遠は白蓮社の念仏三昧、慈愍三蔵慧日の禅浄双修、道綽・善導の弥陀の本願、だとする。そして
隠元は慧遠を崇敬していた。しかし(中略)慧日流のものと見るべきかと思われる。慧日は、インドに渡り(以下略)

中国の宗派は学派なので、すべてが禅浄双修と見るべきではないのか。さて、日本では
当時の曹洞宗の大半は(中略)黄檗宗に席巻されていたことは間違いないであろう。大本山の永平寺自体が、相当に黄檗宗風に改変されたことは事実であり(以下略)


七月六日(月)
今回の特集は、七月三日の後半に、変節点がある。前半で『良寛 その仏道』の限界を示し、そのまま『良寛 その仏道』はそれぞれの讃に解説があり、これは分かり易いが、飯田利行さんの定本と比べると、解釈にかなり差がある。竹村さんは、耳障りの良い文章を並べ、飯田さんは内容不明でも原文どほりなのが、原因だらうと結論付けるはずだった。
七月三日の後半に、竹村さんの解釈が、良寛和尚は法華経を禅として理解する、更に云へば、法華経を超える理解と解釈してゐることに気付き、この本への評価を一転させた。
法華経を三学として読むことは 達磨大師の流れとも 原文批判と取ることも 人に合はせた解釈は仏とともに無限へ続く

反歌  一切経原文どほり読む勿れ不立文(もん)字の心は活きる(終)
(追記)再度、評価を一転させる一文を見つけた。方便品の七番目の解説に「小乗仏教では、涅槃は」とある。2019年にもなって、差別用語を使ふやうでは、仏法研究者失格である。表題から一旦、「空振りに終はった」を除いたが、悪質なので、再度復活させた。

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