千九百六十三(うた) 竹村牧男「いま、生きる良寛の言葉」
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
三月十一日(土)
竹村牧男さんには、悪い印象をずっと持ってきた。四十年ほど前のNHKテレビで、出演してほしい人は竹村さんと云ふ視聴者の顔と声のあと、竹村さんが登場した。ところが内容の無い話だった。
今回、竹村牧男「いま、生きる良寛の言葉」を読んで、この本こそ小生の考へる良寛さんと同じだ、と喜んだ。
過去は已(すで)に過ぎ去り (書き下し文)
で始まる漢詩の、後ろから四行目から
ひたすら一心に坐禅に勤め、
どこまでも坐禅を窮(きわ)めなさい。 (訳)
を読み、良寛さんは坐禅一筋なのだとうれしく思った。法華讃で、坐禅から仏道全般に転じたと思ったからだった。
日落ちて群動息(や)み (書き下し文)
の詩では
夜も長くなったので、何回も坐禅ができた。
坐禅より起てば冷えるので衣を重ねる。 (訳)
これも先ほどと同じだ。
身を捨てて 世を救ふ人も ますものを 草のいほりに 暇求むとは
この歌の解説に
もっと精進しなければと、良寛は自分自身を見つめている。
冒頭に「小生の考へる良寛さんと同じだ」と書いたのは、この辺りだ。
『良寛禅師奇話』に、解良宅へ行った話が載る。
台所のかまどに行って火を炊いたり、奥座敷で坐禅をされたりしていた。(中略)いつもやったりとされていて、改めて言うほどのことは別段おっしゃっていなかった。ただ、良寛様のすばらしい徳が、人々を感化しているだけであった。
これも、小生の考へる良寛さんと同じだ。
人生 一百年 (書き下し文)
で始まる詩の
勉めよや 三界の人 (書き下し文)
解説でも「勉めよや」に触れる。昔は、勉強とはできにくいことに努力することだった。例へば商店で「勉強します」と云へば、ぎりぎりのところまで値引きします、の意味だった。「勉めよや」はよい言葉だ。
良寛の書が全国的に知られるようになったのは、鵬斎の影響が大きかったと考えられている。『良寛禅師奇話』によると、鵬斎は良寛のことを、六歌仙の一人である喜撰法師以来の傑物だろうと評していたという。
これはあり得る。
昨日の是とする所
今日亦(ま)復(た)非なり (書き下し文)
解説には
是・非、得・失といった(中略)対立の無意味さが説かれている。(中略)その判断は状況の移り変わりによって、変化するものだと良寛は言う。
これも同感だ。
迷と悟は相依りて成り
理と事とは是れ一般なり (書き下し文)
解説は
「理」とは(中略)理論や摂理の「理」ではなく、仏教でいうところの「空性」のことを指す。この世のすべてはさまざまな縁によって成り立っているので、永遠に普遍・固定的な実体は何もない、というのが「空」の意味するところ(以下略)
これも同感。最後に初めのほうの頁に戻るが
寒山とは、中国の天台山の別名である。
これは初耳である。
次に竹村牧男「良寛さまと読む法華経」を読んだ。最初のほうはよいことが書いてあるが、その後一転する。まづ法華讃の「開口」の
南無妙法華
について
この唱題は、あの「担行礼拝」の「担行」(中略)という無心のはたらきを生きるところに、開く・閉じるという分別対立を超えたところがあり(以下略)
これは何とも云へない。「担行」とは「ただ行じた」で常不軽菩薩の「担行礼拝」で
禅的には、この「ただ行じる」が味い深いところです。
序品の法華讃
日は朝朝東より出て
について解説は
『法華経』が開演される真栄原ねいつも光が放たれるなどの奇瑞があった(中略)と文殊菩薩さんは言っていますが、真の『法華経』は、毎朝毎朝、太陽は東からのぼり(以下略)
これはよい話だ。次は薬草喩品まで飛び
空は無ではありません。空ということの中に、仏智の世界もあります。生き生きとした生命のはたらきの世界があります。ここが誤解されると、ニヒリズムに陥ったりします(以下略)
「いま、生きる良寛の言葉」と異なり判りにくいが、誤解する、ニヒリズムに陥ることには賛成。ここから先は、判りにくい解説ばかりになり、世間で云ふ理屈っぽい内容ばかりになる。この本は平成十三(2001)年、「いま、生きる良寛の言葉」は二〇一一年。十年でこれだけ差が出るのかと驚いたが、「いま、生きる良寛の言葉」をよく見ると竹村さんは「監修」。別に著者がゐた。
飯田さん良寛の詩を訳注しその内容に感嘆し だが適応が過ぎるため書き下し文読むことが必要となる 別の著者牧村さんの書籍では良寛につき小生と同じ思想で嬉しさを増す
(反歌)
いま生きる良寛の言葉この書籍牧村さんは監修として(終)
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