三千二百五十(朗詠のうた)東京メトロの二十四時間券(井伊邸跡、ナショナル麻布スーパー、都立中央公園、竹下通り、ヨドバシ池袋店)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
七月五日(日)
前回に続いて、東京メトロの二十四時間券を購入し、永田町(国会図書館を外から、三宅坂小公園、陸軍省参謀本部跡)、広尾(ナショナル麻布スーパーマーケット、有栖川宮記念公園、都立中央図書館)、明治神宮前(渋谷区立中央図書館は休館だった、竹下通り周辺)、池袋(ヨドバシが新規開店)へ行った。
あらがねの土なか走る電の車は都たて横に 乗り外堀と有栖川宮の家跡文の蔵外の国から来た品を売る店へ寄り 三たび目は渋谷と豊島寄りて家路へ

反歌  草枕泊りはせずもみやこうち巡り楽しのひと日は暮れる
永田町は、日曜で国会図書館が休館は知ってゐたが、副都心線開通の平成二十(2008)年までは、よく通った。最初は、暑さ対策で、地上に上がってから最短の出入り口を利用したが、後に、駅内を含めて最短の出口を利用するやうになった。
あれから十八年を経過したので、完全に記憶が薄れたが、地上から最短は、有楽町線ホームを端から端まで歩く2番出口。駅内を含めて最短は、半蔵門線と南北線を含めた三線が集まる3番出口だと、記憶が蘇った。
当時は、途中駅の100円ローソンでお昼を買って、三宅坂小公園で食べた。今回も公園へ寄ったが、変な銅像があり、これは電報通信社が主催する広告競技の審査委員会社などが立てたものと、初めて知った。今までは知らなかった。尤も、最初は図書館内の食堂で食べた。二社が入ってゐたが、入札か途中で入れ替はり、土曜は半分のみ営業になった。この頃から、弁当持参になった。だから、公園で食べたのは、せいぜい十回だ。
このあと、内堀通りに沿って緩い坂を下り、井伊直弼邸跡の表示を見た。ここは、陸軍省、参謀本部の跡だ。検索すると、祠に陸軍の記号が印刻されてゐる。しかし憲政記念館の工事が始まり、水準原点標庫しかなかった。
帰宅後に調べると、水準原点標庫のことだった。参謀本部の外局だった陸地測量部が、戦後は国土地理院になった。陸軍の記号は無いやうだ。

  
渡邉崋山誕生の地                  ナショナル麻布スーパーで買ひ物

このあと、広尾まで行った。まづナショナル麻布スーパーマーケットへ行った。缶ビールの品定めをした。このとき買はうと思ったが、都立中央図書館を出てからに変更した。ドイツ大使館の壁に描かれたドイツ語と解説を興味深く読み、中央図書館では、開架の書棚を見て、新聞を二種読み、外へ出た。
有栖川宮記念公園では、池の左側を緩やかに下った。このあと、再度ナショナル麻布スーパーマーケットへ入った。二階の売り場は、初めて見た。アメリカ長期出張時に、スーパー(SafeWayだったか)で食料や日用品を買ったことを思ひ出した。在日欧米人にとっては、日本からの駐在員がサンノゼのヤオハンへ行く感覚だな。ヤオハンは日本の本社が、その後に倒産し、おそらくサンノゼも閉店したのだらう。
一階で、タイのビールを購入した。南伝仏法の、アジア各地及び欧米へ広まることを願ってのことである。不飲酒戒はどうなるのか、は冬に寒かった日本では不問である。小生も、ほぼ断酒を試みた。問題なくできるので、依存性はまったくない。ところが、便秘になる。酒好きな腸内細菌である、は冗談。交感神経が優位なので、断酒すると便秘になるのだらう。
さて、ナショナル麻布スーパーマーケットを検索すると
ナショナル麻布株式会社(括弧内略)は、(中略)中島董商店の子会社。ナシヨナル物産は、1962年にスーパーマーケット第1号店であるナショナル麻布スーパーマーケットを開業して以降、1986年にナショナル田園、2015年にナショナル麻布スーパーマーケット広尾ガーデンヒルズ店を開業させ、3店舗体制でスーパーマーケットの運営を行ってきた。
ナシヨナル物産の親会社である東北新社は2023年(中略)株式の90%を中島董商店へ譲渡する事を発表した。(中略)ナショナル麻布スーパーマーケットa(中略)都内で2店舗を運営している。

次に、M&A速報によると
東北新社<2329>、傘下のナシヨナル物産が手がけるスーパー事業を中島董商店に譲渡
(中略)スーパーマーケット事業を、加工食品販売の中島董商店(東京都渋谷区)に譲渡することを決めた。(中略)譲渡対象はナシヨナル物産が都内で営む麻布店(港区)、田園店(世田谷区)、広尾店(渋谷区)の3店舗における青果、精肉、乳製品、一般食品、和洋酒類などの販売に関する事業。東北新社は1962年に「麻布店」をオープンしてスーパー事業に参入し、1960年代当時、日本ではまだ馴染みのなかった乳製品(チーズなど)の輸入品の品ぞろえで知られた。
譲渡先の中島董商店はキユーピー・アヲハタグループの源流企業で、ナシヨナル物産とは長年取引関係にある。

早速、譲渡で閉店した田園店を調べると、環八沿ひだ。あの辺りは、上の子が卒業後に就職するので、賃貸の下見で行ったことがある。何となく、環八の反対側にあったやうな記憶がある。
このあと、明治神宮前まで乗った。渋谷区立中央図書館は、竹下通りを越えて歩く。いつもと同じ丁字路の僅かにずれたもの二ヶ所を越えて、東郷神社へ入った。かつては、東郷神社が終はるとすぐだったが、その後は少し歩くやうになった。昔の建物は気に入ってゐたので調べると、建物跡は小高い盛り土、その背後へ移動した。
着いて驚いた。一週間くらい、臨時休館中だ。二十秒で、小生のほか二人が、何だ休館か、と驚いた様子だった。帰りも、竹下通りを同じ変形四辻で越えて、道に迷ひながら、明治神宮前駅に着いた。昔も、何回か迷ひながら、定常状態になった。と云ふよりは、混雑を避けようと、明治通りや、太田美術館前、階段など、いろいろ試した。
池袋まで乗った。開店したばかりのヨドバシへ行った。売り場面積が、秋葉原の1.5倍ほどある。階数は低いが、一階当りの面積が大きい。西武百貨店との境界に、工夫が見られた。
ヨドバシと、西武百貨店の、各階と屋上、パルコの一部階へ行った。そして帰宅した。そのあと、西武百貨店の北半分がヨドバシになったと知った。パルコと西武百貨店の一部が、ヨドバシになったのかと思った。
吾妻はや大和武の嘆く声 因むあづまの都へと 朝五つより暮れ六つ五つの時を巡る旅かも

反歌  草枕内堀からは西へ行き北へと巡る楽し旅なり(終)

メニューへ戻る うた(一千八百八十九)へ うた(一千八百九十一の一)へ