二千二百十七(和語優勢のうた)期待外れに終った阿部龍一「評伝 良寛」
新春前癸卯(西洋未開人歴2024)年
一月十七日(水)
阿部龍一「評伝 良寛」のはしがきを読み、これは読むのが楽しみだ、と一旦は思った。まづ、良寛に関する本、特に伝記類は山ほど出版されてゐるとする。それにも関はらず伝記を書くのは、今までの伝記は三つの重大な欠陥があると云ふ。
その第一は良寛が少年期から一八歳になるまで学んだ古文辞学という儒教が(中略)朱子学とは大きく異なっていたにもかかわらず(中略)良寛にどう影響を与えたかが解明されていないことだ。

これは阿部さんの慧眼である。日本では、朱子学と陽明学などの違ひは言及しても、古文辞学は気にしなかった。
第二の欠落は良寛が曹洞宗門と(中略)袂を分かって、独自の仏教の実践の道を歩んだことが見逃されている点だ。

これは違ふ。良寛が、曹洞宗とは別の道を行ったのは誰もが知りそのため、真宗になった、僧侶を辞めた、裏がある、など好き勝手な説が多すぎる。一方で、真の仏法修行だったとする説も少数派だがある。
第三の欠落は良寛が三九歳で越後に帰国してから(中略)三五年間も続けた「乞食僧」としての生き方が一体何を意味するかが(中略)明確な説明を欠いていることだ。

これは、仏法から離れた又は日和見になった、と考へる論者と、真の仏法修行だった、と考へる論者がゐて、これは第二の論点と異なり、真の仏法修行だったと考へる人のほうが多い。
つまり第二と第三は、同じ論点だ。阿部さんの主張で目新しいのは、第一の古文辞学だけだ。阿部さんはハーバード大学東アジア言語文化学部教授兼、同大学ライシャワー日本研究所日本宗教専任教授。アメリカ流に、自分の正しい事、優れてゐる事を、声高に叫ばないと注目されないと考へたのかも知れない。これは序章の次の第一章を読み始めてからの感想を、前倒しで記載した。
序章では、相馬御風が三十四歳のときに中央文壇で築いた地位を捨てて越後に家族ともども帰郷した話と、その後まもなく良寛に傾倒した話を紹介する。
次に、茂吉が良寛と萬葉集に傾倒した話を載せる。更に夏目漱石が良寛に傾倒した話を載せる。序章を読み終へた段階では、この本への期待のみだった。

一月十八日(木)
第一章は良寛の幼年期だ。まづ余計な情報が多すぎる。幕府直轄地だ、名主職と幕府の行政だ、生家の学問だ、幕府の行政方式の破綻だと、延々と続く。
それでゐて、良寛の実父は以南だとして話を進める。小生自身は、実父、実父ではない、のどちらにも固執しないが、近年の流れからすると以南ではない説が有力だ。昨年五月に出版したにしては、怪しい。かなりこの本に不信感を持った。
次の章以降へ転読で飛ぶと、渡航説は無く、近藤万は無批判で取り入れる。万は、良寛が読経も坐禅もせず狂人みたいに過ごしたとするのだから、第二と第三で良寛は真の修行者だとした阿部説は矛盾する。
阿部さんの評伝良寛読み始め まづはしがきと序章読み期待をするも 次の日に第一章で期待外れに

反歌  安倍さんはハーバード大教授にて日中関係不仲を狙ふ

一月十九日(金)
本の最後尾にある「参考文献」を読んで唖然とした。漢詩は内田知也、谷川敏郎、松本市壽「定本 良寛全集」と東郷豊治「良寛全集」しか読んでゐない。曹洞宗の立場で漢詩解釈が優れるのは飯田利行さん、坐禅全般の立場で優れるのは柳田聖山さんだ。渡航説を嫌って避けたのではないか。あと漢文の立場で優れるのは入矢義高さんだ。
阿部さんはハーバード大学関係者だから、良寛と中国の関係を無視したいのだらう。良寛を愛好する人に多田駿がゐる。石原莞爾が作戦部長のときの参謀次長である。後に三長官会議で陸相に決まったが、取り消された。もし多田が陸相になれば、東條に出番は無かった。日本が負けなければ、アメリカは戦後、強大にはならなかった。
戦前の参謀次長多田駿(はやお) 戦後は柳田京大と飯田駒沢両教授 日本は長く中国の文化取り入れ免疫が アメリカ文化免疫が無い為真似は国を亡ぼす

反歌  黒船と海外派兵真似をして国滅ぼした岸と東條(終)


追記一月二十日(土)
小生は、以南非実父説と良寛渡航説に、賛成でも反対でもない。一方で、近藤万の若い頃の追憶には絶対反対である。江戸時代末期までは、全ての経典が釈尊の直説と信じられてゐた。だから良寛が読経しないことはあり得ない。鎌倉時代に出来た新宗派を除いて、止観はすべての宗派で行ふ。ましてや曹洞宗は坐禅の宗派だ。だから良寛が坐禅をせず、一日中狂人のやうだったことはあり得ない。
さて、大勢の云ふことだから皆が従へ、とごり押しがあると、これには反対する。小生のやうな考への人は貴重で、これが無いから戦争になったり、欧米猿真似になったりする。ごり押しに反対の立場から、以南非実父説と良寛渡航説を応援することになる。
以南非実父説を発表された方が、発表したらこれは大変なことになる、と話されたことを本で読んだ。良寛渡航説も同じである。阿部さんの本は、大衆受けを狙ってこの二つに踏み込まなかったのか、と感想を持った。

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