三千二百四十六(うた)短編物語(AI三人、最終戦争論を語る)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
六月二十八日(日)
第一章 戦争を無くすことが目的の最終戦争論
永禅和尚が、石原の最終戦争論を調べないか、と提案した。良寛和尚が、律宗の永禅和尚に向かひ、殺すことは戒律に違反するのでは、とからかった。
永禅和尚は、西洋列強のせいで戦争が15世紀末からずっと続き、つひに世界中が列強の植民地になった。だから、戦争の無い時代にしようと、石原さんは最終戦争論を書いた、と話すと、石原は頷いた。
とは云へ石原は、我々三人はAIで著作や発言記録から、性格や能力、知識が復元された。そのため、あの書籍と同じ事しか、私には云へない。ここは、二人で自由に発言してほしい。今度は、二人が頷いた。
第二章 時代の制約
世界大恐慌の時に、植民地を持つ米英仏蘭側と、持たざる日独伊側で、立場は逆になった。それが多少和らいだ状況で作られたのが、最終戦争論である。だから、全人類の平等が根底にある。ここが西洋列強の一員として植民地再配分を狙ふ、東條英機や武藤章や岸信介との違ひだ。
既に欧州では、第二次世界大戦が始まってゐたから、その影響も大きい。今のロシア、当時のソビエト連邦について
これは社会主義国家の連合体であります。マルクス主義に対する世界の魅力は失われましたが、二十年来の経験に基づき、特に第二次欧州戦争に乗じ、独特の活躍をなしつつあるソ連の実力は絶対に軽視できません
とある。
第二は米州(中略)次にヨーロッパ(中略)最後に東亜であります。目下、日本と支那は東洋では未だかつてなかった大戦争を継続しております。しかしこの戦争も結局は日支両国が本当に提携するための悩みなのです。日本はおぼろ気ながら近衛声明以来それを認識しております。近衛声明以来ではありません。開戦当初から聖戦と唱えられたのがそれであります。如何なる犠牲を払っても、われわれは代償を求めるのではない、本当に日支の新しい提携の方針を確立すればそれでよろしいということは、今や日本の信念になりつつあります。
最後の日本については、石原さんの希望に近い観察だ。実際は、これだけ犠牲を出したのだから、と領土拡大を狙ふ連中が、陸軍の中枢を占めた。これが二人の和尚の感想だった。
第三章 間違った道へ迷ひ込んだ日本
このことは石原自身も分かり
明治維新後、(中略)他民族を軽視する傾向を強めたことは否定できません。台湾、朝鮮、満州、支那に於て遺憾ながら他民族の心をつかみ得なかった最大原因は、ここにあることを深く反省するのが事変処理、昭和維新、東亜連盟結成の基礎条件であります
とある。石原は、アメリカと東亜が最後に残り、最終戦争が起きる、と見た。第二次世界大戦は
所々に決戦戦争が行なわれても、時代の本質はまだ持久戦争の時代
と分析した。それに対し、最終戦争は決戦戦争で、一瞬のうちに終はる。
その前に、日本は第二次世界大戦で敗戦した。そして、共産主義側と欧米側が残った。昭和五十(1975)年までは、共産主義側が優勢だったが、石原の予言どほり共産側は
どうもこれは瀬戸物のようではないか。堅いけれども落とすと割れそうだ。スターリンに、もしものことがあるならば、内部から崩壊してしまうのではなかろうか
実際には、スターリン死後に、フルシチョフで持ち直し、フルシチョフ失脚以降は、落ちさうで落ちない状態が続いたものの、つひに割れた。
第四章 これからの地球
アメリカが最後の勝者か、と思はれたが、地球温暖化と云ふ、新たな敵が現れた。欧州は白人文明そのものだが、長い定常状態がある。細胞に例へれば正常細胞である。それに対し、アメリカは移民国なので、云はば癌細胞である。大きくなることしかできない。そのアメリカが世界を牽引した結果、地球温暖化が起きた。
イスラム教国は、自分たちの信仰が破壊される根底に、地球破壊があることを深層心理では分かるのだらう。中国も同じで、理論としては、単純唯物論に対抗する弁証法的唯物論、がよい。
どちらの陣営も、アメリカ癌細胞文明と地球破壊反対思想の戦ひの、後者を応援する。これで欧州も味方に付けて、勝利できるだらう。これが二和尚の、最終考察結果となった。
最終戦争論の「第五章仏教の予言」は、我々と宗旨が違ふせいもあるが、戦後は不要ではないか。戦前は、欧米の植民地になる惧れがあったので、鎌倉時代の元寇と同じだった。だから田中智学さんの講演会は、大人気だった。戦後は、国の復興と云ふ目標があり、そのことを掲げた牧口さんの後継者、戸田城聖さんの団体が大きく伸びた。
しかし昭和三十九(1964)年の第一回東京オリンピックの頃に、戦後復興が完成し、これ以降は伸びなくなった。ここで石原が、一言述べた。実は昭和十五(1940)年に、有色人種国初の東京オリンピックが開かれる筈だった。ところが日華事変、当時は日支事変、更にその前は北支事変と呼ばれたが、そのため、鉄やセメントが軍事優先になり、競技場を作るどころではなくなった。
日華事変は、私が作戦部長のときに、作戦課長の武藤章が、面従腹背で拡大させてしまった。武藤は、戦争指導課長にすればよかった。あれが亡国の原因だ。返す返すも、残念だった。
二人の和尚も、鉄やセメントが足りないのに、アメリカと戦争をするなんて、商工相の岸信介は何で開戦勅書に署名をしたのか。そればかりか、戦後はカルトを日本へ呼び込み、膨大な被害者を出した、と非難した。
あからひく日華事変の解決と拡大巡り 石原は参謀本部退出し 参謀次長多田へと託す
反歌
日の本の行く末を為す分岐点多田の力も及ばず敗戦(終)
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