三千二百五十三(朗詠のうた)中村元「非我説」
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
七月七日(火)
中村元は書籍「インド思想史」で
ブッダの(中略)『無我』(中略)は無主体とか無霊魂ということではなかった。無我の『我』とはウパニシャッドの哲学に説く絶対原理であるアートマンのことである。ブッダはアートマンの絶対性を自己自身のものと誤認してはならないとして、捉われの自我を捨て、我執なき本来の自己を実現すべきであると説いた。

全面賛成。ところが、この中村説に対し、佐々木閑と宮崎哲哉対談集で
宮崎 (前略)当該箇所を一読したときには強い違和感を覚えました。
佐々木 「本来の自己を実現する」というところですね。たしかに一番古いとされる「スッタニパータ」において、無我説が明確な形で唱えられているわけではないから、中村説を受け入れる余地はあります。かと言って、決して非我が積極的に唱えられているわけでもない。
それ以降の初期仏教は、アートマンはないという考え方一貫していますから、やはり釈迦は無我を説いたんだと思います。(中略)中村をはじめとしたその系列の学者たちは、「自我は実存するはずだ」という自分たちの願望で無理な説を押し通しているように思えます。

二人の主張こそ、無理な説だ。釈尊滅後の時代は、衣料が未発達だし、天災や戦が多かった。だから一切皆苦と、その発展形の輪廻を解脱することは、修行者やこれから修行を目指す人々から支持された。
修行者やこれから修行を目指す人々は少数で、良く云へば阿羅漢候補者、悪く云へば変はり者、だった。それが一変したのは、アショーカ王の時代である。これ以降、普通の人が修行者になった。
佐々木宮崎の両名は、アショーカ王の時代と、それ以降を、区別しなかった。
宮崎 非我説について(中略)は中村元の弟子筋なのに意を唱えた。その批判的視点は次の一節に(中略)
『非我説』が『真実の我を実現する』教えであるというなら、(中略)実現されるべき真実の我とは何か。それは倫理的道徳的に完成された我ではないないはずである。なぜなら(中略)中村博士はそのことをブッダは『倫理学者ではなかった』と表現している。

真実の我とは、無記の我である。インド哲学式に云へば、我は自己の所有物と、肯定も、否定も、肯定兼否定も、肯定兼否定ではないことも、すべて含む我である。大乗式に云へば、如来蔵の我である。南伝式に云へば、如来蔵の五蘊である。
我及び仏は何か記さずに心穏やか世と時を越え


七月八日(水)
人類の文明は、近代に突然進歩したものではない。釈尊の時代を含めて、少しづつ進んだ。そして、生活は少しづつ改善された。一切皆苦から、半楽半苦、そして現代では原則楽例外苦の時代になった。
とは云へ、止観の方法として止観の目標として、一切皆苦と、そこから発展した無我説は、有益である。(終)

「良寛和尚と原始仏法を尋ねる」(二百四十七)へ

メニューへ戻る うた(一千八百九十二)へ うた(一千八百九十四)へ