二千六百十七(うた)連吟、狂言、能を鑑賞
新春前甲辰(西洋発狂人歴2025)年
一月五日(日)
一月二日に放送された「新春能狂言」を観た。まづ短い連吟「四海波」があり、これは能「高砂」の一節で、新年に将軍の前で奉じられた。次は狂言「福の神」。信心深い二人が出雲の大社(おほやしろ)へお参りし、福天の御前で年を迎へる。すると福天が現れ、松の尾の大明神は日本の酒奉行なので、まづ松の尾の大明神に酒を差し上げないと他の神々も受け取らない、と述べる。
次に、裕福にしてあげようと告げる。二人は喜ぶが、元手が要ると云はれ、疑問を福天に問ふ。福天は、金銀米銭のことではなく、心掛けだと諭す。朝起きたら慈悲の心を、人が訪れるのを厭はず、夫婦で腹を立てるな、福天には食事を用意しお酒は古酒をたくさん盛る。最後は笑ふ門には福来たる、の笑ひ止めで終了した。
-----------------------ここから「日本酒、その三十八」-------------------
酒は、神に捧げて、下げた物を頂く心が無いと、気違ひ水になってしまふので、この姿勢が大切だ。
日本酒は神に捧げてお下げした物を頂く気持ち大切
「日本酒、その三十七」へ
-----------------------ここまで「日本酒、その三十八」-------------------
三つ目は能「一角仙人」。インドの波(は)羅(ら)菜(な)国で、一角仙人が龍神たちと争ひ、一角仙人が神通力で龍神を窟に閉じ込めた為、雨が降らなくなった。帝は、高官と旋(せん)陀(だ)夫(ぶ)人と従者を仙人の住まひ近くへ訪問させ、仙人に酒を飲ませて舞を踊り、仙人の神通力を無効にしてしまふ。龍神たちが窟から出てきて、雨が降るやうになった。
一角仙人の話は、仏典と今昔物語にもある。
狂言と能の発声法は、放送設備のない時代に、遠方まで声を届かせる技法だ。今後も機会があれば、能や狂言を鑑賞したいものだ。だからリンクの題名を、「いろは亭、浪曲その他」から「いろは亭、浪曲古典芸能」に変更した。ここで、能と狂言の違ひについて、文化庁のホームページに次の記事があった。
能と狂言は能舞台という専用の舞台で600年以上もの長い間,一緒に演じ継がれてきた日本の古典劇です。(中略)能舞台では大きな舞台装置や背景を使うことはありません。演者の所作やセリフで舞台が山や海あるいは家の中といった情景となり,(中略)何もないからこそ観客の想像力を刺激する(以下略)
狂言は中世の日常的な出来事を題材にしたものが多く,大半は二人か三人の少人数で演じられる,セリフを中心とした劇です。設定は中世で(中略)比較的写実性を持つ開放的な演技で,セリフも聞き取りやすいので,初めて見る方でもすぐに楽しめます。(以下略)
一方の能は歴史上の事件や物語などの文学作品を素材として書かれ,謡と呼ばれる歌と,舞を中心に進行する歌舞劇です。亡霊や鬼,神そして女性など多くの主人公は能面という世界でも類のないほど繊細な仮面と,美しく豪華な衣装を着用します。演技は狂言とは対照的に求心的で,最小限の動きで最大の効果をねらう表現方法をとります。地謡(中略)や囃子(中略)を伴うのも特徴です。能の言葉は和歌や連歌の手法を用いていて,すぐには聞き取れないかもしれませんが,事前にあらすじだけでも予習すれば大丈夫。
----------------ここから(歴史の流れの復活を、その五百十七)-----------------
古典芸能を日本に復活させるには、幼稚園や小学校からの、西洋音楽を中止すべきだ。日本に西洋音楽は必要ない。
古典芸能を、文化庁の補助金や、世襲制で維持すること自体が変だ。西洋音楽教育を中止すれば、古典芸能は復活する。
--------ここから「和歌論」(二百二十一)-------
秋津洲 西洋音楽教育は鹿鳴館の二の舞に 中止しないと国が滅びる
反歌
敷島のそらみつ大和日の本の秋津洲には音楽不要
音楽とは西洋音楽のこと。今回は「日の本の」を枕詞として用ゐたので、枕詞が四つある四重奏となった。何で西洋音楽の用語を用ゐるのか。
(1.11追記)枕詞を五つ用ゐてみた。
敷島のそらみつ大和日の本の秋津洲歌枕詞あり
四つは枕詞として、一つは枕詞の語そのものを使った。(土屋)文明の枕詞非超個人説に従って、大和を歌の枕詞とすると、枕詞は六つになる。小生が歌と云ふ時は和歌だから、小生の感覚だと大和は歌の枕詞だ。
「和歌論」(二百二十の三)へ
「和歌論」(二百二十二)へ
--------ここまで「和歌論」(二百二十一)--------
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(歴史の流れの復活を、その五百十八)へ
----------------ここまで(歴史の流れの復活を、その五百十七)-----------------
-----------ここから「マスコミ、その他独占企業の横暴を許すな174」---------
最初は、副音声で解説を聞きながら鑑賞した。ところが、アナウンサーが解説はxxxxさんです、と言った後に、解説者が「xxxxが解説します」と名乗る。終了時も「xxxxが解説しました」と名乗る。それが連吟、狂言、能と繰り返す。この解説者はよほど自己顕示欲が強いのかな。或いはNHKも悪い。どちらにしてもNHKは悪い。民放ではあり得ない失態であった。
「マスコミ、その他独占企業の横暴を許すな173」へ
兼「マスコミ、その他独占企業の横暴を許すな175」へ
------------ここまで「マスコミ、その他独占企業の横暴を許すな174」----------
二回目は副音声無しで聴いたので、快適だった。(終)
「いろは亭、浪曲その他三十九」
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