二千六百十二(うた)橋爪峯村対談、功績一割誤り九割(続編)
新春前甲辰(西洋発狂人歴2025)年
一月一日(水)
前回に続いて、マネーポストのホームページに
日本軍が共産党に活動資金を提供… 日中戦争に引きずり込まれた日本は「毛沢東の中国共産党」に操られていた

が載った。
橋爪:支那事変(いまの言い方では日中戦争)で大事なポイントのひとつは、(中略)中国共産党と上海にあった日本軍の特務機関が連携していたことです。
(中略)中国共産党から、国民党軍についての情報を教えてもらうのと引き換えに、かなりの額の活動資金を渡していました。日本軍は、共産党に教えてもらった情報をもとに、軍事作戦を展開していた。
中国共産党とこんな取引をするのは、目先の利益になる。戦術的には理解できます。でも、戦略的にはきわめて愚かである。

この話は、国共合作の前なのか、後なのか。
橋爪:そもそも日本には、中国と戦争すべきかについて、国民的な議論も合意もなかった。(中略)このように支那事変(日中戦争)でずるずる戦線が拡大してよいのか、日本陸軍の内部でも議論がありました。たとえば、満洲事変を起こした石原莞爾は、この戦争に大反対だった。そもそも満州国をつくったのは、ソ連と戦争をするため。対ソ戦では、戦線の背後にあたる中国の好意的中立が必要である。それには中国の主権や領土を保全しなければならない、というのが彼の考えです。まことに正論である。

戦前は、ドイツとソ連が同盟を結んだり、イギリスがヒトラーの言ひ分を認めたり、ソ連は他の国と同じ扱ひだった。日本もソ連と条約を結んだ。ソ連が悪く、米英仏が正しいと云ふのは、日本がアメリカ軍に占領された後の、洗脳知識だ。
石原莞爾は、ソ連軍が毎年爆発的に増強される状況への対策を立てたのであって、ソ連が特殊な国だからと立てた訳ではない。橋爪とは、目的がまったく異なる。石原は、仏や菩薩などが書かれた曼荼羅に、マルクスも入れたほうがよいと主張したくらいだった。
また「満洲事変を起こした石原莞爾」は正しくない。中国東北部は、日露戦争の結果、親日の張作霖軍閥を誕生させたが、張作霖が日本の反対を無視して北京へ進軍して敗北し、日本は敗残兵の武装解除を主張したが従はず爆殺など紆余曲折を経て、息子の張学良は蒋介石の配下になった。そもそも満洲占領はバーデンバーデンの密約からの計画だった。
峯村:(前略)当時、日本は国民党副総裁(中略)汪兆銘と水面下で和平工作を進めていました。汪兆銘といえば、「中国革命の父」である孫文の側近中の側近です。(中略)にもかかわらず、日本側が近衛声明を出したことを機に、汪兆銘の国民党内におけるプレゼンスはどんどん下がっていき、最後は失脚しました。
峯村:中国の指導部で、汪兆銘のように日本に理解を示す実力者を、当の日本が大事にせずに潰してしまう愚行は、いまでも受け継がれていると感じる時があります。
そのいちばんの例が、習近平の前任の国家主席・胡錦濤に対してです。複数の中国共産党関係者が「胡錦濤ほど対日関係を重視している指導者はいない」と口を揃えるほど、「知日派」として知られていました。にもかかわらず、当時の小泉純一郎首相が靖国を公式参拝するなどしたことで、(中略)対日政策に重きを置いていたはずの胡錦濤の力は削がれていきました。
そして、とどのつまりが2012年9月の「尖閣国有化」です。胡錦濤から習近平へと政権が代わる、中国共産党大会直前の最も政治的に敏感な時に、中国側が領有権を主張する尖閣諸島を日本政府が国有化したことで、中国国内では反日デモが起き、(中略)胡錦濤は中央軍事委員会主席に残るとみられていたが、(中略)完全引退に追い込まれました。

これはおそらく違ふ。鄧小平はそれまでの路線を全面転換したから、引退後に揺り戻し(スターリン死後のフルシチョフや、フルシチョフ解任後にスターリン路線には戻らなかったものの政策はかなりスターリンに近かった)があるといけないので、中央軍事委員会主席に残った。江沢民は既得権として、それを真似しただけだ。
これを目の当たりにしていたのが習近平です。「日本に接近することはリスクになる」という教訓を得て、前任者より対日強硬路線に舵を切ったのです。この時に汪兆銘のことが習近平の頭をよぎったことは想像に難くありません。

これもおそらく違ふ。日本の首相交代について韓国(または北朝鮮)が、日本首相誰々は韓国(または北朝鮮)との関係を軽視したため短期間で退陣した、と論評したら、日本側は大爆笑するだらう。それと同じだ。中国には、中国の国内事情がある。
戦前・戦中から続く、こうした日本の対中戦略の欠如こそが、中国との関係悪化を招き、世界における日本の地位が上がらない要因だと思います。
橋爪:日本になぜそうした知恵がないのだろうか。外交では、まず相手をよく理解し、そのうえで相手が受け入れられるプランを提供し、相手を満足させながらこちらにいい状態を実現させる、というのが基本姿勢であるべきです。相手のことを勉強もせず、理解も欠けていたら、自分の利益も安全も確保できない。

それは、日本がアメリカの属国だからだ。今は属国の語が流行らないから、属領でもよい。信託統治下でもよい。あ、これは少し違った。不信託統治下だった。
欧米はアジアアフリカを戦争で植民地とし 謝罪など一切せずに 混乱はパレスチナなど今でも続く

反歌  秋津洲謝るべきは汪兆銘チャンドラボーズアジア各国 欧米不要
昭和天皇は、アジア各国には戦争に巻き込んだことを詫びたが、欧米に対してはそちらの軍隊が居たから戦争になったとして謝らなかった。この姿勢が重要だ。そしてこれは昭和の話で、それから数十年を経過した今では、未来志向で行くとよい。(終)
(つづく)

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