二千六百二十三(うた)キーツドイツ語と日本語
新春前甲辰(西洋発狂人歴2025)年
一月八日(水)
「明治大学発、社会への提言」を掲げるmeiji.netに
ドイツ語の変種「キーツドイツ語」から見えてくる、日本の現在地

が載った。
渡辺 学(明治大学 文学部 教授)
ドイツの有力紙「フランクフルト・アルゲマイネ」に先日、ドイツ人のドイツ語力が低下し、逆に英語力が増しているという調査記事が掲載されていました。(中略)ドイツ語が文法的に簡略化・単純化している現実も含まれているでしょう。近年、変化しつつあるドイツ語のひとつに「キーツドイツ語」と呼ばれるものがあり、日本を知るうえでも興味深い比較対象となっています。

これは興味深い。
キーツとは「特定街区」を表す言葉で、ベルリンやマンハイムの一部など、トルコ人をはじめとする多くの移民が住んでいるエリアを指しています。トルコ系移民は1960年代から存在しますが、彼らが第3世代になった頃、つまりはドイツで生まれ、ドイツ語ネイティブとしてドイツ語を話す人が大多数を占めるようになった1990~2000年あたりから、トルコ語などの要素も入ったドイツ語が言語学者をはじめとする人々の注目を集めるようになり、2010年頃からキーツドイツ語という表現が使われるようになりました。

とは云へ
キーツドイツ語は、移民の増加を背景としながらも、ドイツ語の体系全体を揺るがすほどではなく、外来語が取り入れられたり、文法が簡略化したり、語彙が単純化したりといった形で進行しています。(中略)これは「話し方のスタイル」に過ぎないとの説もあります。

一つ目は
たとえばトルコ語で「ご老体」を意味する「lan」を「兄貴」的な呼びかけに使ったり、アラビア語で「神に誓って」を意味する「vallah」を「マジで」的な強調の意味合いに使ったりと、外国語を感嘆詞のようにドイツ語の中に混入させている事例もあります。

一つ目は日本語にもよくある。二つ目は
話しことばでもよくある語末音の消失や前置詞の脱落などが起こります。(中略)動詞変化語尾の-e が落ちるだけでなく、前置詞も脱落します。
(中略)日本語も大昔には上・下二段活用などがありましたが、今残っているのはせいぜいカ変(カ行変格活用)、サ変(サ行変格活用)程度で、ほかは規則変化です。

日本語のここまでは問題ない。極めて長い年月での変化だ。ところが
変化としてわかりやすいのは、英語からの借用語といった語彙レベルのものです。2023年にドイツで流行した若者ことばとしては、アメリカの俗語でもある「goofy」(天然ボケ的なニュアンス)や「side eye」(疑いの目で見ること)などが挙げられます。SNSを中心として、若い世代ではとくに英語からの借用語を使う傾向が見られます。
さらにドイツでは、英語を取り入れる際に、意味のみを抜き取って別のドイツ語を当てはめるケースが往々にしてあります。たとえば「ダウンロードする」を意味する「downloaden」は、英語の「download」に、「-en 」をつけてドイツ語化された単語です。しかし「herunterladen」(積み入れる)といった別の意訳も存在します。(中略)このような英語の借用方法は、ドイツだけでなく、中国や朝鮮半島でもよく見られます。

これはよい対応法だ。ところが
一方、日本で取り入れられる場合、英語由来の言葉をほぼ直接、あるいは若干変形してそのまま日本語に組み込みがちです。たとえば「バリアフリー」もそうですが、お年寄りにはピンとこないため、「段差解消」や「段差のない」といった翻訳が独立行政法人国立国語研究所からも提案されています。
英単語を活用しつつも、母語に意訳しようとするドイツに対し、日本には「クーラー」「ゲッツー」「レベルアップ」などの和製英語も多く存在します。言葉を取り入れる際、いったん咀嚼し、自分たちの言語に翻案する過程を経ることで、言葉や概念の捉え方、さらには自分たちの世界との向き合い方が異なってくるのかもしれません。ドイツ語と対照することで、日本語や日本のあり方も考えさせられます。

ここは重要だ。
そもそもキーツドイツ語は仲間内の言語であり、これを話す人のほとんどは標準ドイツ語、あるいは共通ドイツ語もできる、というのが大事な点です。すなわちキーツドイツ語の使用者は、相手やTPOに応じて言語を使い分けられる、ドイツ語のバイリンガルというわけです。

日本で問題なのは、意図的に日本語を破壊しようとする人たちだ。「キックバック」は旧安倍派内でしか通じないキーツ日本語だ。それなのにNHKと一部テレビ局が、さかんに使用した。日本語を破壊する意図が露骨だった。
日本語を破壊しようと悪魔たち 悪魔の思想リベラルに感染したか元から悪魔か

反歌  リベラルは社会破壊を企てるその一環で日本語破壊
すべての人に英語を教育することは、中止すべきだ。今までは円高で海外へ行き、英語を話せたら、と思ふ人が多かった。これからは、英語、フランス語、ドイツ語、中国語、韓国朝鮮語、その他の言語から学ぶやうにしよう。
沖縄県は、沖縄言葉でもよい。その他の県も、事情によりその地域の言葉を学んでも良い。事情とは、絶滅しさうな場合だ。もともと流通するのに学ぶのでは、科目を一つ省略したに等しい。
おそらく近い将来、外国語はスマホが自動翻訳するやうになる。外国語を廃止するか、多様化した選択肢を用意するか。後者のほうが、逆に国語理解が深まる。
外国語学ぶは国語理解の為に 外国語スマホ翻訳人間要らず
(終)

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