二千六百十六(朗詠のうた)赤彦の歌、その三(付録、山辺温泉)
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
一月五日(日)
「山辺温泉に望月光氏を訪ふ 道路」の詞書が付く段落は、五首ある。うち二首は
うつくしき山辺松山裾長にめぐれる道をあかず来にけり
松山の松の下道車押す湯原少女に雪しづれつつ
松本を山に向へば里山辺 右にも山が見え出すと入山辺にて上り坂 その頂きは美ケ原
反歌
里山辺山に群れ松続く道今は松枯れ夜の明るきか
反歌
湯の原は美し地(つち)名左右山の頂き美しが原
松枯れが問題になり、ホテルの明かりが原因ではないかとする説もあるさうだ。
ここで「比牟呂」第二號(明治四十一年五月)に「山邊温泉の一夜」が載る。
三月十七日朝、淺間にみづほのや、四澤二君と別れ山邊温泉に向ふ。望月君を訪はんとてなり。美しき松山据を長くめぐれる径の猶雪深きに、斜め照る日の光に額の汗ばむを覺ゆる。さすがに春の心地なり。道の南さがりなるは朝けより雪とけ流れて、黒き土のそこここに小さき草のめぐめるなどいとなつかしく、泥に食ひ入る下駄のはこぴの捗らぬも興ある半日の物ありきなりけり。
湯の原のとある店の縁先に、君腰かけて待ちけるを、斯くと知らねば行過ぎつる我を、うしろより聲かけたるに打顧みて、かたみに笑みかたまけし喜び何にたとへん。三年前下諏訪の旅宿にわかれてより、君多くいたづきて家籠れば訪はまくのみ切に心に思ふものから、何くれのかかづらひに本意なくあかしくらしつるを、うれしくも思ひしより瘠せてはあらざりけりなど、物語り出づる詞もあとさきなり。和泉屋の真二階お亭の間といふに足をのばす。お亭はオチンと訓む。おちんの間とは振ひ居りなど笑ひ興ずるに、そのかみ松本の殿樣入湯のため特にしつらひつれば、お亭とはよぶぞなど故々しく聞かせらるるいよいよをかし。げに亭のしつらひ世のつねならず。庭べより立ち續きたる殿山、松のたたずまひ、寐ながらに仰げば雲井の風、萬翠吹きゆすりて直に我顔に落ちぬべし。おちんの間のたはれ歌つくりて、取りあへず鹿兒島なる堀内君がり送りなどするに、日くれたれば温泉の村のけ(358)はひ二人黙すれば、はるかに松本の市の太鼓を聞きうるも靜けし。淺間は一二夕の遊樂地なり。山邊は數旬の靜養地なり。二人して數旬の讀書に、この閑地に籠りてんやなど、折ふしの感興盡くるを知らねば、豫定を變更して一泊するに定めつ。人して云ひやりつる胡桃澤君が來ねばいと寂し。課題して歌つくる。夜おそく湯に浴みて寐ぬ。
道路
石山ゆ石曳き出だす山道はわだちの躍り馬いたはしも 光男
石曳き出すは概敍的なり。石曳きくだすなど光景的にありたし。わだちは車としたし。第五句を得てこの歌生きたりと思ふ。
石山ゆ石曳く道は澤水の雪消のにごり道あふれたり
「にごり」は不用ならずや。「水嵩」など如何。よき捉へ所と思ふ。
光云ふ。どちらにしても苦にならぬ。
松山のたをりの路しなづますと立出で待てる君ぞ來にける
面白し。「なづます」は「なづまん」などの方利くと思ふ。
光云ふ。全體この歌はよくない。
雪どけのぬかれる道をこちたみと女鳥羽の瀧は見ずて來にけり
(359)「こちたみ」他にあるべし。「雪どけの道行きなづみ」などにしたし。
光云ふ。「こちたみ」は此處にては「面倒臭い」位に見たいがいけぬか。
苧槽岡の雪げのぬかり時じきを徒歩ぞ來ましし病めるわがため
よい歌だ。
雪あかば山道近き桐原の梅も見んもの急ぐ君かも
「山道近き」少し故意なり。題詠の故なり。よき歌なり。
夜
殿山を裏庭近み松の木の雪落つる音夜更けて聞ゆ
非常によし。
光云ふ。「宵更けて松のしづりを深山さぴ聞く」と改めたし。如何。
不賛成なり。
屋根の雪いまだ消えねば暖きこの宵通し雫するおと
普通なり。
をととしに一目面逢ひ久しきに逢へる今宵は早く更けにけり
湯の原のいでゆのやどに湯にも入らず語りつきねば小夜ふけにけり
(360)下句「こよひの一夜かたり惜むも」など如何。
今日かへる君をとどめて君がため惡しとをいふな今宵たぬしも
第五句「斯くたぬしきに」など如何。
光云ふ。削正あまり説明にすぎたり。原作のなげやりの方よしと思ふ。
雜
わが君をけながきからと歸《い》くといふをとめてすべなしこの今朝の雪
「歸《い》くといふを」の第三句は第二句四句と連續して意鰺をなすべきを、その間に挿入して勢を殺げり。斯る挿入句往々見る所なり。注意して避くべきなりと思ふ。
光云ふ。必しも惡からざるべし。萬葉などにも往々あり。
玉だれの小簾の間とほし獨居て見るしるしなき夕月夜かも (卷七)
さきもりに行くは誰が背と問ふ人を見るが乏しき物もひもせず (卷二十)
など思ひ出せれど、予の歌を辯解する式の歌一寸浮ばず。
予も考ふべし。只挿入句の例萬実にありたりとて、挿入句ありてよき歌なりや疑ふべし。兎に角普通の場合、歌の調子を摧くは事實なり。同じく挿入句とても程度あるべし。前後の意味連續の模樣にて、一概に言ひ難きかも知るべからず。宿題とすべし。
(361) 雪ふればとどまる君にありもせばのどに見んものすべもすべなし
よき歌なり。
面見れば猛きものからつよからぬ吾君をやるかこの雪の道
第一二句緊密ならず。四五句重し。
夜
三年まへ君と相見し春の夜の一夜に似つる雨を聽くかも 柿の村人
光云ふ。「一夜に似つる」危し。
同感なり。さし當り考出ず。
小夜ふかく湯あみかすらし檐づたひ湯原少女の唄の乏しも
光云ふ。「檐づたひ」と「湯あみ」との關係判らず。
「のきづたひ」何とか改むべし。
〔編者曰〕 「道路」「夜」ノ短歌十首ハ『歌集編』ニ收録ス。
明くれば十八日、夜來の雨いつしか雪とかはりて、松本行の道いとたどたどし。心せかぬ旅ならば、一日二日をこのお亭の間に語らふとも心猶盡きざるべし。三月末までは學校のほだしのがれ難ければ、強ひて車して松本に向ふ。
ここで里山辺村は、明治初期には
上金井村/下金井村/新井村/湯の原村/藤井村/薄町村/兎川寺村/荒町村/北小松村/南小松村/林村/大嵩崎村
とある。温泉は
湯原白糸湯(ゆのはらしらいとのゆ)、藤井湯(ふじいのゆ)、苧桶湯
とある。この当時は、各温泉に宿が一つづつだったことが窺へる。
一月六日(月)
「分水荘の歌」段落では
垣ぬちの花野をひろみ甲斐の水信濃の水とわかれ湧くかも
甲斐の水信濃の水の行く末は富士川そして信濃川へと
歌会の作品が多い。題を出して詠むのは、小生の本歌取りと似てゐるかも知れない。(終)
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